「生き続けることにこそ意義がある」死刑件数と自殺者の多い国で思うこと
「生き続けることにこそ意義がある」死刑件数と自殺者の多い国で思うこと
http://www.news.janjan.jp/government/0806/0806230403/1.php
海形マサシ2008/06/25
死刑すべしのオンパレードだが、1.日本の司法制度では冤罪が起こりやすい、2.死刑執行後には新たに遺族が発生する、3.人は苦しくても、罪深くても生き続けなければならないのだから、筆者は敢て反対論を述べたい。
最近の日本は「死刑すべし」のオンパレードだ。そんな中で筆者は、敢えて死刑反対論者として意見を述べたい。死刑反対論にはいろいろとあるのだが、ここで3つの点を強調したい。
1.冤罪の可能性
2.被害者感情以外の感情の問題
3.人が生きるということの真の意味
1.に関しては、死刑反対議連陣頭に立つのが元警察官僚の亀井静香氏であることが、その象徴であるといえる。特に日本の警察の内部に詳しい人ほど、死刑反対論者が多いと思われる。筆者が何度かお会いしたことのある民主党の長妻昭議員は、父親が警察官だったことで、その辺りの事情に詳しく、同氏が以前「日本の死刑囚の1割近くは冤罪である可能性がある」と述べたことを覚えている。ご存知の通り、日本の司法制度では冤罪が起こりやすい、逮捕されてから何十日も弁護士と接見できずに自白を促される。日本では検察に起訴された事件の99%が有罪となっている。裁判官は検察の言い分を丸飲みすることが慣例だ。こんな不十分な司法制度のもと、自分がいつ巻き込まれるかと考えると恐ろしい。
また、どんなに司法に携わる裁判官、検察官、弁護士が公正をきすため最善を尽くしたとしても、結局は真実は神のみぞ知るなのだ。裁判は真実を暴く場所ではない。可能な限り、真実を追究するためにあるのだ。司法を完璧なものと思っては絶対にならない。
2.死刑に賛成する意見で最も聞かれるのは被害者の遺族の思いを軽んじていいのか、という意見がある。確かに、その通りなのだが、しかし、遺族といえば加害者である死刑囚にも、死刑が執行された後に遺族が発生することになる。家族の思いとしては、とんでもないことをした我が子でも生きていて欲しいと願うのも軽んじられない思いだ。秋葉原の通り魔事件では、実に奇妙な現象が起こった。それは、加害者の男性が携帯サイトで犯行にいたるまでの思いを綴り、派遣労働の過酷さという同世代の多くが共有する心情が表に出たため、凶悪犯として簡単に切り捨てるわけにいかず、加害者の立場になって犯罪を考えざる得ない状況が作りあげられた。
また、光市の母子殺害容疑で死刑になる可能性の高い18歳の容疑者は、幼児期から父親により虐待を受け、中学生の時に母親が家庭内暴力で絶望の余り自殺。そんな状況で育ち、感情や知力に著しい障害があると鑑定を受けていたほどだ。その側面は、メディアではあまり報じられていない。ちなみに日本の刑務所で服役している受刑者には、かなりの割合で知的障害者がいる。メディアは、そのことを積極的に報道しようとしない。
記者会見をする鳩山邦夫法相(撮影:兼古勝史)。「鳩山邦夫法相が死刑制度について会見」(JanJan)より、一部修正。
もっと見過ごされがちなのが、死刑を執行する人々の立場だ。刑務官の多くは死刑執行に際し、激しい良心の呵責に苛まれるという。死刑をすべきと論じるのは簡単だが、いざそれをするとなると、口でいうほど容易ではないダーティワークなのだ。考えてみれば、江戸時代までは死刑を執行していたのは身分制度の最下層にあった「非人」と呼ばれた人々だ。また、死刑を命じて間接的に執行する立場の人にとっても重い決断なのだ。「アルカイダの友人」発言をした鳩山法相でさえ、新聞で「死に神」と揶揄されたことに激高し、執行した死刑囚に対し「彼にだって人格がある」と発言したほどだ。
3.に関しては、死刑執行数が増えている日本らしい特異な現象、自殺数が年間3万人突破、それも10年連続でという話だ。殺人などの凶悪犯罪を犯した死刑囚と自殺者がどうつながるのかと不思議に思われるかもしれないが、それに関しては、仏教徒だった筆者の恩師の言葉を思い出す。
ずいぶん前に見たテレビドラマで、第2次世界大戦中、将校だった軍人が、戦後、若い兵士を数多く死に追いやった罪を悔やんで割腹自殺をしたエピソードに対し、どう思うかを聞いた時に仰った言葉だ。
「罪深さを感じるのなら、生きながら弔いをし続け償うべきだ」と。つまりは償いは生きてこそしかできないのだ、という仏教徒らしい考え方である。
自殺をしては、なぜいけないのかという問いに対する答えにも似通うと思う。苦しくても、罪深くても、人は生き続けなければならないのだ。生き続けることにこそ意義がある。もし、日本で死刑が廃止されれば、自殺をしようとする人々に、そんな説得がしやすくなるのではないか。



