記者の目:裁判員制度 記事にしなかった「裁判官の告白」
記者の目:裁判員制度 記事にしなかった「裁判官の告白」
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20080522k0000m070156000c.html
一般の人が重大事件の審理に参加する裁判員制度が来年5月にスタートする。刑事事件の裁判官は何に迷い、どう決断してきたのか。それが知りたくて、連載「正義のかたち-裁判官の告白」(3月)で、取材班の一員として20人余りの元裁判官に話を聞いた。
「殺人事件で誤判をしたが、結果的には良かった」
ある元裁判官はそう告白した。記事化しなかったが、実は一番心に残った取材だった。半世紀以上前、惨劇は3世代が同居する農家で起きた。酒癖の悪かった息子を棒で殴り殺したとして、年老いた父親が逮捕された。素直に罪を認め、執行猶予付きの有罪判決が出ると法廷で泣いた。
ところが確定後、「本当は中学生の孫の身代わりになった」と、元裁判官は家族の事情をよく知る人物から聞かされる。衝撃を受けたが、「事実」と直感したという。息子が死んで家庭は平和になり、誰も刑務所に行かずに済んだ。元裁判官は、結果的に良かったと信じることで、「事実」を封印した。ただ、中学生の孫がどう成長したのか。ずっと気にしてきたという。
私は、既に70歳を超えた孫を訪ねた。表札には妻と子どもの名前。新しい家族の営みがあった。意を決して声を掛けると、玄関先に現れた白髪の男性は丁寧に応対してくれた。事件の話を切り出したが肝心な点を聞けず、逃げるように帰った。
それから4日後の2回目の訪問。男性は農作業の手を休めて、「裁判で決まったことが真実。孫や子もいて平和に暮らしている」と語り、「身代わり」を否定した。
元裁判官の話が正しければ、孫は罪と向き合わずに生きてきたことになる。だから、私は訪問前、孫が道を踏み外していることをどこかで期待した。しかし、目の前の男性は、働き者で穏やかに暮らしてきたように見えた。私が報告すると、元裁判官は「罪を償わなかったことが、かえって重荷になっていないか気がかりでした。聞いて安心しました」と話した。
真相は分からない。もし裁かれていたら、孫はその後どうなっていたか。すべてが丸く収まればいいのなら、裁判は一体何のためにあるのか。何が正義なのか。はっきりしたのは、判決が終わりではないということ。そして、人を裁くとは、それほど重い行為だということだ。
死刑事件なら、なおさらそうだろう。静岡県で66年に一家4人が殺害された事件で、無罪を主張する袴田巌(はかまだいわお)死刑囚(72)=第2次再審請求中=に、68年に1審で死刑判決を書いた熊本(典道のりみち)さん(70)は昨年3月、「無罪の心証だった」と当時の自身の気持ちを公表した。
熊本さんは他に数件の死刑判決を出したが、判決後に拘置所を回り、被告らを訪ね歩いた。「本当にやったのか。本人は納得しているのか確かめたかった」からだ。全員が罪を認め、死刑を受け入れていた。それで胸のつかえがとれたという。
袴田死刑囚のことは40年たっても頭から離れなかったという熊本さん。「冤罪(えんざい)で死刑になれば、(国による)新たな殺人に手を貸すことになる」。命の重さを考え、あえて評議の秘密を明かしたのだった。判決を出して、なおその決断が正しかったのか悩む裁判官の姿が浮かんでくる。
真相に争いがなくても、刑として死刑とするか、無期懲役とするか。この選択も大変だ。19歳だった68年に4人を射殺した永山則夫元死刑囚(97年執行)の事件。79年の1審で死刑判決を言い渡した時の3人の裁判官の一人だった(豊吉とよし)彬弁護士(78)は、連載で取り上げたように「死刑と無期では差がありすぎる。もし制度があれば、終身刑を選択した」と振り返った。
事件では、83年の最高裁判決が、死刑適用に当たり、事件の罪質や事件の態様、結果の重大性(特に殺害された被害者の数)、被告の年齢などを総合的に判断するとした「永山基準」を示した。そして、無期懲役から一転して、少年に死刑を言い渡した山口県光市の母子殺害事件に対する4月の差し戻し控訴審判決。永山基準に照らして、死刑判決のハードルを下げたとの見方もある。しかし、事件は千差万別だ。私は一定の基準で死刑判断ができるものではないと考えている。
「死刑判決を出すのに迷いがない方が怖い」。取材に応じた元裁判官たちの言葉だ。裁判員制度が始まれば、裁判員も、死刑か無期懲役かの選択を迫られることになる。裁判員は大いに迷って結論を出してほしい。これを機に、死刑制度存廃の議論が高まっていくことも期待したい。
毎日新聞 2008年5月22日 0時16分


