[裁判員制度]なお慎重さを求めたい
沖縄タイムス社説 2008.4.13
[裁判員制度]なお慎重さを求めたい
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20080413.html
重大事件の刑事裁判に国民が参加する裁判員制度が二〇〇九年五月二十一日にスタートする。
裁判員法が同日施行され、それ以降に起訴される殺人、強盗致死傷、現住建造物等放火、傷害致死、危険運転致死などの刑事事件が対象だ。
各市町村選管が必要な人数を選挙人名簿からくじで選び、地裁に提出。来年六月中旬から下旬にかけて裁判員候補者に呼び出し状が届くことになる。
誰でも裁判員に選ばれる可能性が出てきたわけである。
裁判に加わるのは裁判員六人と裁判官三人だ。
判決の前に法解釈をめぐって裁判官と一般の裁判員が評議するが、果たして対等に議論できるのかどうか。
判決は被告人の運命を左右するだけに、死刑を含む有罪の場合の量刑、あるいは無罪の判断を自信をもって下すことができるのかが、やはり気になる。
好むと好まざるとにかかわらず、情報が洪水のように押し寄せてくるのが私たちが生きている社会だ。
裁判員は予断と偏見を持たずに被告人を裁くことが何よりも重要だが、無色透明の状態で裁判に臨むのは難しいのではないか。
私たちは国民の司法参加を否定するものではない。だが、事件に関する情報を一切シャットアウトして、検察側、弁護側の証拠調べのみで事件に接するのはむしろ現実的でない。
裁判員制度では審理をスピードアップするために公判前整理手続きが行われる。最高裁は「裁判員裁判の九割は五日以内に終わる」としている。
だが、スピードのみを目的にしてしまうと、肝心の事実認定のための証拠調べがおろそかになる恐れも出てくる。何よりも、そのことが懸念される。
捜査段階の密室の取り調べで自白したものの、公判に移ってから否認する事件もあるからだ。
これまでの冤罪事件で繰り返されたパターンであり、短い審理で裁判員が被告人の言い分を十分に聞き、心証形成できるのかどうか。
それがうまく機能しなければ、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の大原則が崩れる可能性もある。
判決が「社会的常識」から乖離したものであってはならないのは当然だが、裁判員制度の導入で誤判、冤罪を防ぐことができると考えるのは早計だろう。
政府は最高裁の意識調査で、裁判員裁判に「参加したい」「参加してもよい」「義務ならやむを得ない」と答えた人の合計が60%を上回ったことから実施の判断をしたという。
一方、日本世論調査会の調査では裁判員を務めたくないと考える人が72%に上る。制度を知らない人も五割近くおり、国民の間に浸透しているとはいえない。
裁判員制度はさまざまな問題を抱えている。
裁判員制度が始まる前に、もう一度立ち止まり、導入への機が熟しているのかどうか、なお慎重に考えてみる必要がある。


