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各国での動き

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ヨーロッパ

欧州連合 (EU) 各国は、不必要かつ非人道的であることを理由として死刑廃止を決定し、死刑廃止をEUへの加盟条件の1つとしている。このため、現EU加盟国に於いて死刑制度を存続している国は、法律上死刑制度を存続させているラトビアを除き、1ヵ国も存在しない(ラトビアもEU加盟に当たって、死刑の全廃を公約している)。また死刑制度は欧州人権条約第3条に違反するとしている。そのため、欧州評議会においても同様の基準を置いているため、ヨーロッパ唯一の死刑存置国ベラルーシは欧州評議会から排除されている。またEU加盟を目指しているトルコ共和国は死刑制度を廃止した。EUは日本やアメリカなど死刑を存続している他国に廃止を迫り、2001年6月には、日米両国に2003年1月までに死刑廃止に向けた実効的措置の遂行を求め、それが成されない場合、両国の欧州評議会全体におけるオブザーバー資格の剥奪をも検討する決議を採択した。これに対しては、日米両国は現在まで、何ら回答していない。


[編集] フランス(1981年に廃止)

フランスは、西欧諸国でも死刑執行に熱心であり、現在では忌諱される公開処刑を1939年まで継続していた。19世紀中頃から、処刑される時刻は、午後3時から、朝、そして夜明け前というように変遷した。処刑は市場の広場のような公共の場で実行されたが、徐々に刑務所の処刑場に変更された。なおフランス革命以来、死刑執行方法はギロチンが廃止まで使用されていた。最後の公開処刑はベルサイユの聖ピエール刑務所で、1939年6月17日に6人を殺害した死刑囚に執行されたのが最後であった。この時の処刑の写真は新聞で発表されている。

ナチス占領下にあった当時、反独闘争を行うレジスタンスなどに対し死刑適用が濫発された結果、19世紀以来なかった女性に対する初の処刑を含め執行数が増加し、2948人の処刑が執行されているが、これは1870年から1977年までのフランスでの処刑件数よりも多い数字だという。

そのためか、フランスでは死刑執行が戦後大幅に減少していった。たとえば1969年から1974年の間に在職したジョルジュ・ポンピドゥー大統領の時代には、一部を除き死刑囚を恩赦していた。最後の処刑は1977年9月10日に執行された。

1981年に就任した社会党のフランソワ・ミッテラン大統領(当時)が「私は良心の底から死刑に反対する」と公約し当選。弁護士のロベール・バダンテールを法務大臣に登用し、「世論の理解を待っていたのでは遅すぎる」と死刑廃止を提案。国民議会の4分の3の支持を得て決定した。西ヨーロッパで最後の死刑廃止国となった。世論調査機関TNSソフレスによる、死刑制度廃止当時の世論調査では、死刑制度の存続を求める声は62パーセントを占めていた[10]。

1985年12月20日に、フランスは人権と基本的な自由を保護するための"additional protocol number 6" を批准し、戦時以外にフランスが死刑を復活することはないことを意味するものであった。また2002年5月3日に、フランスと30カ国は"additional protocol number 13" に署名し、戦時も含めあらゆる状況における死刑を禁じるものであった。2003年7月1日に実施された。

2006年9月18日にソフレスが発表した世論調査によると、「死刑廃止25周年」を迎えて、52パーセントが「死刑制度復活反対」と答え、死刑制度復活を望む意見は42パーセントを占めた。支持政党別で、死刑復活賛成は、右派政党の国民戦線支持層で89%。与党・国民運動連合(UMP)で60%。社会党支持層は賛成は30%となった。若齢、高学歴者ほど死刑復活反対の傾向が強かった[11]。ただし、フランスの政治家で死刑制度復活を公言しているのは国民戦線指導者のジャン=マリー・ル・ペンなど少数であるうえに、死刑制度を廃止する国際条約に批准しているため、事実上不可能となっている。

2004年には、フランス下院に悪質なテロ行為に対する死刑を復活させる1512号法案が提出されたが、成立することは無かった。2006年1月3日には、ジャック・シラク大統領(当時)が死刑を禁止する憲法の改正を発表した。2007年2月19日にフランス国会は圧倒的多数の賛成で憲法修正案を可決した(賛成828票、反対26票)。そのため憲法に死刑の廃止が明記された。


[編集] ドイツ(1949年に廃止)

1849年に開催されたフランクフルト国民議会で起草されたドイツ憲法案では、自由主義的色彩の濃いものであり死刑の適用をほとんど除外するように規定されていたが、実際に成立することは無かった。

ナチス・ドイツ政権のヒトラー総統は、犯罪に対する行きすぎた厳罰化政策を推進した結果、およそ40,000人に死刑宣告が行われた。処刑の効率を上げるためにギロチンが使われたが、1942年からは落差のない高さで行う絞首刑も行われた。また軍人に対する銃殺執行隊も準備されていた。なお死刑が適用できる犯罪として殺人、国家反逆罪、反逆罪教唆のほか、スパイ活動、地下出版や外国のラジオを聞くこと、良心的兵役拒否者を隠匿する行為など、第三帝国が「不必要」と判断したで者を死に追いやることが出来た。また罪を犯していなくても粛清によってユダヤ人を含め多数の国民を処刑した。

1945年から1946年にかけて行われたニュルンベルク裁判ではナチスの戦争犯罪人に死刑が適用されたが、旧西ドイツ最後の処刑は、1949年に強盗殺人犯に対するギロチン刑が行われた。その後旧西ドイツは戦争中に多数の国民を処刑した反省からドイツ基本法制定時に死刑が廃止された。一方の旧東ドイツも1987年には死刑を廃止していた。


[編集] イタリア(1994年に廃止)

イタリアでは、前述のようにトスカーナ地方の専制君主レオポルド1世(後の神聖ローマ皇帝レオポルト2世)によって1786年には完全には死刑を廃止した。欧州諸国では初の死刑廃止であった。イタリア王国として統一された1860年以後も死刑制度はトスカーナを除いて存続していた。その後イタリアの両上下両院の承認によって1889年に刑法改正で廃止されたが、実際には1877年以降死刑が執行されていなかった。これはイタリア国王ウンベルト1世の勅令(1878年1月18日)によるものであった。ただし死刑制度は、軍法会議によるものとイタリア植民地の刑法では存続していた。

1926年にイタリアの独裁者ベニート・ムッソリーニによって大逆罪に対する死刑が適用されるようになり、刑法改正で1931年7月1日以降は、一般犯罪に対しても死刑が復活した。そのためファシスト政権下で死刑が多用されるようになったが、死刑を復活させたムッソリーニがイタリアのレジスタンスによって死刑にされたのは歴史の皮肉である。

イタリア最後の死刑執行は1947年3月4日に行われた。これは1945年に10人を殺害した強盗犯3人に対する銃殺刑であった。その直後制定されたイタリア共和国憲法(1947年12月27日国民投票で承認、1948年1月1日から施行)は、平時における死刑制度を廃止したもので、1948年1月22日に立法によって実施された。ただし1994年10月13日まで軍法会議の判決の最高刑は死刑(実際には執行例はない)であったが、2007年に憲法改正が行われ憲法第27条4項の『死刑は、戦時軍法の規定する場合を除いては、これを認めない』が改正され、いかなる犯罪に対しても死刑が禁止された。


[編集] ポルトガル(1867年に廃止)

ポルトガルでは、西欧では最も早く1867年に死刑を廃止している。ポルトガル国民の多くはカトリックであり、殺人行為に対する嫌悪感が非常に強いことが背景にある。この政策はサラザール独裁政権下にも引き継がれ(サラザールはカトリック聖職者から経済学者、政治家に転身した)、その後の政権においてクーデターが数度起きるなど政情不安の時代もあったが、死刑は復活せず今日に至っている。


[編集] イギリス(1969年にイングランド等3地域廃止、1973年に北アイルランド廃止、1998年に完全廃止)

イギリスにおける死刑廃止思想は古く、トーマス・モアにまで遡ることができる。これは当時のイギリスでは数多くの罪状に対し死刑が適用されており、非常に多くの人びとが処刑されていたことが背景にある。1723年のブラック法では窃盗犯や紙幣偽造犯など50もの罪状に適用されていた。なお一般庶民は絞首刑に処せられており、例外的に貴族は斬首刑が適用されていた。また殺人や強盗といった凶悪犯の処刑が一般的であったが、少年犯罪者に対する死刑宣告は実行されない場合もあった。しかし子供であっても当時「被害者が自衛する機会がない」として強盗犯よりも悪質とされていた窃盗犯に対しては処刑される場合も少なくなかった。

死刑判決が教会の儀式のひとつとして赦されたり、また軍務につくと永久に執行猶予される場合もあった。そのため1770年から1830年の間にイングランドとウェールズでは35000人に死刑が宣告されたが、実際には7000人に対し死刑が執行され、相当が免除されていたが、それでも少なくない数字であった。

このように、19世紀まで、あまりにも死刑の適用範囲が広すぎたため、1808年にはスリのような窃盗犯が除外され、1823年には裁判官に反逆罪と殺人以外には死刑を適用できないように法を変えた。このように19世紀には徐々に死刑を適用できる犯罪を制限するようになったが、それでも国家反逆罪や殺人に対しての死刑制度は存置された。また1866年にはイギリス国内では公開処刑は廃止され、死刑執行は刑務所内で行われるようになった。

1908年には16歳以下に対する死刑が禁止され、1933年には18歳以下に年齢が引き上げられた。また1931年には妊婦の死刑が禁止された。そして1938年には死刑廃止案は下院を通過したが、第二次世界大戦勃発により死刑廃止は立ち消えとなった。なお1900年から1949年までに、イングランドとウェールズでは621人の男性と11人の女性が処刑されたが、戦時特別立法によって13人のドイツのスパイも処刑された。

イギリスでは戦後も死刑制度が存置されていたが、1957年の法律では殺人犯のうち囚人による看守の殺害や警察官殺害犯、爆弾テロ犯などに死刑の適用が限定されるようになった。これによって死刑制度擁護派に譲歩した形になった。しかしながら、エヴァンス事件やA6殺人事件など、決定的な証拠が無いまま処刑され冤罪が疑われる事件をきっかけとして死刑廃止要求が再燃したため、1965年11月9日に5年間死刑執行停止する時限立法が議会で可決された。なおイギリス国内最後の死刑執行は1964年8月13日に、リバプールのウォールトン刑務所で行われた。

その後ジェームズ・キャラハン内務大臣の下1969年12月に死刑廃止を決定した。なお当初は北アイルランドは適用が除外されていたが、1973年に北アイルランドも死刑が廃止された。またIRAのテロが活発になった1975年以降、死刑復活が叫ばれるようになった。復活論者であったマーガレット・サッチャー率いる保守党政権が総選挙で圧勝し、2度死刑復活法案が提出されるが大差で否決(1度目は362対243、2度目は357対195)された[12]。

なお、イギリスでは死刑が実際に全面的に廃止されたのは1998年のことである。それまでは海賊行為、国家反逆罪、軍隊内部の犯罪について死刑の適用ができるとされていたが適用された事例は皆無だという。またイギリス王室領であるチャンネル諸島では執行された事例はなかったが、2006年まで死刑制度が存続していた。そのため1984年には死刑を宣告された被告人がいたという。またマン島では1993年にようやく死刑が廃止されたが、最後に処刑が行われたのは1872年の事であり、それまで死刑判決が確定しても、内務大臣によって終身刑に減刑されていたという。


[編集] スウェーデン(1921年に廃止)

スウェーデンでは1800年から1866年の間に644人の死刑執行が行われていたが、殺人罪以外で死刑が適用されたのは1853年に発生した集団暴行事件の首謀者に対するものが最後であった。だが、1866年以降1921年までに死刑が執行されたのは15人と激減した。最後の執行は1910年1月に発生した強盗殺人犯に対するもので、1910年11月23日にストックホルムで行われたが、ギロチンがスウェーデン史上唯一死刑執行に使われた。それまでは斬首刑で行われており、絞首刑は1864年の刑法改正で削除(実際には1836年を最後に使われていなかった)されていた。

スウェーデンで死刑が廃止されたのは、1921年3月であるが、この時は戦時犯罪を除くとされた。全体的に死刑が廃止されたのは1973年1月1日以降である。また1975年の憲法改正で死刑の絶対禁止項目が盛り込まれた。

スウェーデンの世論であるが、死刑制度への支持率は30から40%の間を変化しているという。スウェーデンの世論調査会社SIFOによる2006年の調査によれば、スウェーデン市民の36%が『死によって罰されなければならない犯罪があると思う』と考えており、特に若い男性のほうが他の年齢層よりも支持率が高かった。しかし他の年齢層では死刑に対する支持は概ね低かったという[13][14]。


[編集] バチカン(法規上は無いが死刑制度は全面否定)

カトリック教会の伝統的な見解では、報復のための死刑は不可、犯罪予防、威嚇のための死刑は人命救助の観点から可という教義上の立場をもち、長くその立場を維持している。近代社会においては終身刑によって犯人の再犯の予防および他の犯罪者に対しての威嚇の役目は十分果たされているとの見解である。よって「全ての命は神聖である」として死刑には反対している。また現代の多くの死刑が報復の役目を果たしていることにも言及し「死刑は憎悪と復讐心に満ちた行為」「罪をもって罪を裁くことは殺人である」と表明している。

ただし一部の極貧の途上国(カトリック信徒の多いアフリカ諸国を念頭においていると考えられる)においては近代国家並みの懲役制度の維持が不可能な場合があり、この場合は凶悪犯罪者を社会から隔離することがができない場合もあることを認めており、この場合は例外として全カトリック教会の総本山である教皇庁(バチカン)は死刑もやむなしとの見解を示している。


[編集] ロシア(存続)

ソ連時代末期の1988年に当時の民主化と人道主義の観点から、死刑の適用対象から60歳以上の高齢者と経済犯罪を除外した。その後は非常に悪質な故意殺人に対してのみ死刑制度が存置されていた[15]。

1996年の欧州議会加盟時に死刑執行を停止。1999年に憲法裁判所が死刑判決を正式に禁止した。しかし一部の下級裁判所は死刑判決を継続している。停止は2007年初めに期限切れとなる。ロシアが2006年5月に欧州評議会議長国に就任したことをきっかけに、ヨーロッパ諸国から死刑廃止議定書批准を求める声があがっている[16]。

だがテロ事件頻発を背景に、死刑復活を求める世論が高まりを見せている。プーチン大統領は死刑廃止を行う事を示唆しているものの、詳細な具体策を明らかにしていない。2006年2月9日には多数の児童が殺害された2004年9月の北オセチア共和国で発生したベスラン学校占拠事件(犠牲者数386人)の被告人(32人いた犯行グループ唯一の生存者とされている)に対しロシア検察当局が死刑を求刑した[17]。しかしながら、結局2006年5月16日の判決公判では終身刑が宣告された[18]。なお同人は刑務所内で復讐のため殺害される危険から身柄を守るため、偽名で安全体制の整った刑務所に収監されているとされるが、ロシア当局は彼の生死を含む現状の情報を一切公開していない。またチェチェン人武装勢力によるMi-26ヘリコプターの撃墜事件(2002年8月19日発生、犠牲者数127人)では、地対空ミサイルを使用し墜落させた実行犯に対し、2004年4月に終身刑が宣告され確定している[19]。以上の事からテロリストかつ大量殺人犯であっても、現在のところロシアでは必ず死刑になるわけではないといえる。


[編集] 南北アメリカ

[編集] アメリカ合衆国(存続)

死刑制度自体は「合憲」と連邦最高裁の判断が出ているが、執行方法について残虐であるとして違憲とされたケースもある。また死刑を適用できる対象を制限する傾向にある。1972年に合衆国最高裁はファーマン事件の違憲性の判断の中で誰を死刑にするか実質的説得力がない[20]とされた。なお合衆国最高裁は2000年以降に死刑の適用範囲を制限する判例を出している。2002年6月に陪審員による裁判を選択した被告人は、裁判官ではなく陪審員によって死刑の是非を判断してもらう憲法上の権利があるとされた。2004年11月にはテキサス州の精神遅帯者(知能指数が低い)被告人に対する死刑判決を『異常な刑罰』として憲法違反とした[21]。2005年3月にはミズーリ州の18歳以下の少年犯罪者に対する死刑適用は憲法違反との判決を出した。当時全米19州が少年犯罪者に対する死刑を規定[22]していたが、テキサス州など6州は存置意見を表明[23]していた。そのため連邦最高裁は死刑制度を容認しているが、誰を死刑にするか慎重になってきている。

州に強い主権を持たせているアメリカでは、死刑制度の存廃は州の法律によって決められている。また連邦自体も死刑制度を維持[24]しているうえ、アメリカ合衆国軍人に対する軍法会議で求刑できる最高刑は銃殺刑である。死刑に対する態度は州による差異も大きく、死刑を廃止した州もあれば、死刑制度を存置している州もある。存置州でもテキサス州のように2000年代にはいっても全米で毎年死刑執行数の三分の一が同州で行われている一方で、死刑執行を10年以上していない州もある。

アメリカ国内では1973年から2004年までに944名の死刑が執行されたが、多くは南部諸州で行われている。1999年には98人と最高の執行数を記録した。特にテキサス州はそのうち336名の死刑が執行されており、2004年には全米59件のうち23件が同州でおこなわれている。なお2004年12月当時全米には3471名の確定死刑囚が収監されている[25]という。

死刑制度の有無は、州によって異なるが、一般的には、民主党優位の州では廃止、共和党優位の州では維持される傾向にある。具体的にはニューイングランド諸州、ニューヨーク州で死刑廃止、または禁止された。ただし、共和党勢力が強い中北部諸州も死刑廃止されている州があるが、これらの州が治安的に安定している事が背景にある。逆に、民主党が強い西海岸諸州でも死刑制度が存続している州がある。これは、賛成派と反対派が拮抗している状態であるためである。また凶悪犯罪の率の高い州で死刑制度が維持される傾向にある、特に南部諸州で顕著である。死刑維持派は主に被害者の権利を根拠とし、廃止派は人権保護の普遍性人命の尊重とを根拠としている。(参考:レッドステートとブルーステート)なお、死刑存置州でもニューヨーク州、カンザス州の裁判所は2004年に死刑を違憲とした。またニューハンプシャー州、サウスダコタ州では1976年以来死刑が執行されていない。そのため事実上死刑停止州となっている。

イリノイ州は、ジョージ・ライアン知事(共和党)が任期満了による退任直前の2004年に州内の確定死刑囚18名全員が仮釈放無しの終身刑に減刑された。これは2001年1月に死刑執行直前であった死刑囚の冤罪が明らかになり、この事を受けライアン知事が「死刑を宣告されたすべての者が本当に罪を犯したと確信できるまで」の措置として死刑執行の停止とともに、死刑制度調査委員会を設置した。2002年4月に委員会が出した報告書は検察側の不正な法手続きを挙げ「無実の人間が処刑されないよう保障できる制度の確立はありえない」という結論に対応して減刑した。なお、この委員会に参加していた作家で弁護士のスコット・トゥローが、調査の過程で死刑存置から死刑廃止に主張が変わったという。

ニュージャージー州では、州議会が2007年12月13日に死刑廃止法案を可決し、アメリカ連邦裁判所が1976年に死刑は合憲との判断を下して以降で初めて死刑を廃止した州(実質的には1976年以降停止されていた)になった。同州の死刑囚8名は「仮釈放のない終身刑」に減刑されたが、そのうちの一人は性犯罪の公表を定めた「ミーガン法」制定のきっかけとなった女児殺害犯人だったという。ノース・カロライナ州では、薬殺刑の執行に際し医師の同伴を州法で規定していたが、同州の医療監察委員会が「生命を助ける医師が、医師が死刑執行に関わる行為は倫理の観点から許されない」として、死刑執行に立ち会った医師は医師免許の剥奪等の処分を下すとの結論を出したため、実質的に停止せざるをえない状況に追い込まれた。

かつてアメリカでは「レイプを罪状とする死刑」が横行していた。1870~1950年までにレイプを理由に771件が死刑判決を受けたが、そのうち701人が黒人であった。人種差別との批判が相次ぎ、1972年に連邦最高裁によって「レイプを罪状とする死刑」は違憲と認定された。しかし、「未成年に対する殺害を伴わない性犯罪の再犯者」へ死刑が適用される州法がサウスカロライナ州、フロリダ州、ルイジアナ州、モンタナ州、オクラホマ州の5州で最近成立し、殺人を犯していない性犯罪者に対する死刑適用は過酷であり、憲法違反であると強く批判されている。

近年の犯罪捜査ではDNA鑑定が導入されてきている。迷宮入りしていた事件が解決することもあるが、過去に死刑判決を受けた数多くの死刑囚の冤罪が明らかになり、全米に大きな衝撃を与えた。1973年から2001年までにアメリカ国内でDNA鑑定で96名の死刑囚の無罪が判明し釈放されているが、特にフロリダ州では21名も釈放されており、フロリダでは5名の死刑執行が行われる間に2名が無罪放免になったという。そのため2004年には連邦議会は有罪判決確定後もDNA鑑定を受ける権利を保障した、冤罪者保護法(Innocent Protection Act 2004)を成立させた。

アメリカでは依然として死刑制度が維持されてはいるが、DNA鑑定による大量の誤判の存在が判明した上に合衆国最高裁が死刑適用範囲の厳格化を求めているため、裁判所が慎重になり死刑の言い渡し件数は減少傾向にあるという。具体的な数字[26]として1999年に282件の死刑言い渡しがあったのに対し、2003年に144件、2004年に130件であった。また全米の多くの州では死刑執行もまた減少傾向にある。

なお、テキサス州であるが、全米のほかの州では死刑執行が減少傾向にあるため、2007年には全米で執行された42人のうち26人が同州であり全米の3分の2が執行されていた。そのためアメリカのメディアが「死刑の格差」と報道しており、同州でこのような姿勢をニューヨーク・タイムズは「「執行に対する住民の積極的な支持」、ロイター通信は『犯罪者に厳罰を科すことをいとわない「カウボーイ気質」のほか、一部で根強く残る人種差別意識がある』と報道した[27]。これはテキサス州の黒人住民の割合は12%なのに対し、黒人死刑囚が40%であり、黒人の方が白人より数倍死刑になる率が高いためである。2008年現在全米13州とコロンビア特別区及び海外領土で死刑制度が廃止されている。


[編集] カナダ(1976年に廃止)

カナダでは絞首刑で死刑が行われており、イギリス同様特定の死刑執行人が執り行うことになっていた。また第一次世界大戦では敵前逃亡罪などで25人(うち殺人罪2人)のカナダ軍兵士が銃殺された。また第二次世界大戦でも1人が銃殺された。最後の死刑執行は1962年12月10日に2人に対して行われた。

1961年に刑法が改正され、死刑の適用が計画的な殺人などに限定されたが、1963年の総選挙で勝利した自由党政権によって死刑宣告の方法が改定されたため事実上カナダの死刑制度は終焉を迎えた。その後、死刑制度をめぐる様々な論争が行われたが、1976年7月14日に死刑が廃止されるまで、カナダで1,481人が死刑を宣告され、そのうち710人(男性697人、女性13人)であった。カナダ政府は死刑を廃止した理由として「誤審のために、個人の生命を奪う権利を国が行使することに対する懸念と、犯罪抑止力としての死刑の働きが不確実であるため」としている[[2]。廃止派はロジャー・フッド『世界の死刑』(2002年) によると、カナダでは、人口10万人当たりの殺人の比率は、殺人に対する死刑廃止の前年(1975年)の3.09件から死刑廃止後には2.41件(1980年)に低下した事実を指摘している。Statistics Canadaの統計データによると、人口10万人当たりの殺人の比率は、1966年の一般殺人罪の死刑廃止(1.26人/10万人)から1977年まで(3.03人/10万人)殺人発生率が増加したと言うデータもしめされている。

またカナダ政府は、カナダに逃亡した犯罪者が相手国から死刑の適用が行われないと確証がないかぎり、引き渡さない方針をとっている。


[編集] メキシコ(1917年に廃止)

メキシコ内戦終結後の1917年に憲法で死刑廃止が規定された。しかし軍隊内で発生した軍法会議では死刑制度が維持されていた。ただし最後に死刑執行が行われたのは1937年の事であった。それでも死刑の廃止には異論が根強くあり、全面的に死刑が廃止されたのは2005年の事であった。


[編集] 中米・カリブ海沿岸諸国

[編集] グアテマラ(存続、執行は停止)

2000年から刑の執行は無いが、死刑宣告は継続して出されている。2002年ポルティージョ大統領が死刑制度廃止の法案を提出するが、議会が否決[28]。


[編集] キューバ(存続)

2000年以来の刑の執行を停止していたが、2003年年4月に、アメリカへの渡航目的でフェリーを乗っ取り逮捕された3人に対し死刑が執行された。この際、国連人権高等弁務官事務所から執行停止を勧告されたが、キューバ政府は拒否した[29]。。


[編集] 南米

[編集] ペルー(存続)

これまでペルーでは、死刑適用は国家反逆罪のみ、一般刑法犯は終身禁固を最高刑としていた。しかし、2006年6月に就任したアラン・ガルシア大統領は、選挙公約の一つに掲げた、「7歳未満の子供に、性的暴行を加え殺害した被告への死刑適用」を認める法案を、9月21日に議会へ提出、審議が行なわれている。

背景に、日本の広島県で2005年に発生した少女暴行殺害事件(広島小1女児殺害事件)で、容疑者として逮捕された日系ペルー人が、母国において同様の性犯罪を繰り返していたにも関わらず、司法の不手際で収監を逃れたことにより、「年少者に対する性犯罪」の厳罰化世論が高まったことや、殺害した場合の死刑適用に8割が賛成するなどの世論調査の結果が挙げられる[30]。

※ラテンアメリカ諸国の傾向として、78%の国が一般犯罪に対する死刑を廃止し、59%の国が完全な死刑を廃止している。死刑制度存続国も、10年以上死刑を執行していない。


[編集] アジア

[編集] 日本国(存続)

後述の日本における死刑制度に対する近年の動きを参照のこと。


[編集] 韓国(10年以上執行なし・法規上は存続)

大韓民国では死刑執行法は絞首刑としているが、軍刑法は銃殺刑が規定されている。犯行時18歳未満の場合、死刑は宣告されず最高懲役15年に処せられる。また身体障害者と妊婦の死刑は猶予される。

1997年12月30日に23人に死刑執行されて以降行われていない。これはカトリック教徒である金大中政権が発足したためである。なお裁判所による死刑の求刑は許容されているため2007年4月12日に1人が死刑判決が出された。そのため死刑既決囚の総数は64人まで増加したが[31]、2007年12月31日に6人が恩赦で無期懲役に減刑されたため現在は58人となっている[32]。

2005年4月には国家人権委員会が死刑廃止を勧告。一方で20人連続殺人事件が発生。犯人が悪びれる様子が全く無かった事で死刑廃止を疑問視する声が挙がったという。2007年12月30日には前の死刑が実行されてから10年以上経過することを根拠にアムネスティは事実上の死刑廃止国としている。その直前の2007年10月10日には "死刑廃止国家宣言"を行った。法規上は死刑制度を存置しているため、韓国社会で大きな影響力を持つキリスト教団体が死刑制度を撤廃することを要請している。たとえばカトリック大韓聖公会は『人間が他の人間の生命をむやみに奪うことができないという点と同じく、たとえ殺人のように凶悪犯罪を行ったものであっても、悔い改める機会を与えなければならない』として死刑廃止論の根拠としている。またキリストが十字架刑で処刑されたことも強調しているという。なおアムネスティ韓国支部では死刑執行の過程で死刑囚に対する人権侵害が生じる点を指摘し反対している。

2006年2月21日には、法務部(日本の法務省に相当)において、死刑廃止し、絶対的終身刑(重無期刑)の導入の検討を行うべく、2006年6月までに関連研究の検討と公聴会を行う予定であったが、結論は出なかったようである。これは死刑制度廃止論議に責任を持つ法務部は廃止には消極的であるためだという。

2007年5月に行われた韓国政策学会による大統領選候補者に対する政策評価では、多くの候補が死刑廃止であったが、当選した李明博大統領は『犯罪を予防するという国家としての義務を果たすため、死刑制度は維持しなければならない』とし、死刑制度廃止に反対であると主張したが、一方で『法定刑に死刑が定められている罪種があまりにも多い。人命を奪う罪や、人倫に反する凶悪犯罪などに対象を絞る必要がある』と指摘し、死刑適用を大幅に制限すべきだと主張したという[33]。また韓国の国会で死刑制度廃止法案が何度も上程されているが、審議未了廃案となっており、死刑制度の廃止については消極的[34]であるという。ただし、国際的には1985年以後に事実上の死刑制度廃止国となった国が、死刑執行を再開した国がないため、仮に韓国が再開すると欧州諸国から外交的に強い圧力を受けるようになるとして、韓国の死刑執行モラトリアムは継続されるとの指摘[35]もある。


[編集] 中華人民共和国(存続)

死刑の『中国の状況』についても参照のこと

中華人民共和国は毎年1000人以上(公式値、非公式分も含めると一万人近いという説もある)の死刑執行が行われる世界最大の死刑存置国家である。裁判手続きが当局に都合の良い形であり、安易なことや以前は死刑執行が自動的に行われるといった粗雑な司法制度が中国の人権問題のひとつとして問題視されている。中国の場合は、賄賂授受・麻薬密売・売春及び性犯罪など犯罪被害者が死亡しない犯罪などでも死刑判決が下されたこともある。また死刑を犯罪撲滅に対する最大の効果があると司法当局が確信しているため、死刑の適用が多用されている。特に麻薬犯罪に対しては公開処刑の実施や、バスを改造した移動死刑執行車を導入してアヘン栽培をした農民の処刑を行っている。

温家宝国務院総理は、2005年3月14日の記者会見で、中国の国情を理由に死刑廃止について否定的見解を示した。現在進められている司法制度改革に、最高人民法院による死刑再審査制度復活も含まれており、今後、制度改革により死刑判決の厳格さと公正さが保障されていくと述べた[36]。

最高人民法院弁公庁報道官の孫華璞主任は、2006年3月11日に、中国政府公式サイト「中国政府網」及び「新華網」のネット掲示板において、中国における将来的な死刑廃止の可能性について質問に答え、現在、中国を含めた世界半数以上の国々が死刑制度を有している。段階的な死刑廃止は世界的傾向であるが、現在の国情で死刑廃止の条件は整っておらず、死刑廃止を支持する国民的同意も得られる段階にないとのべ、死刑廃止に否定的見解を示した。

その上で、 現在の中国政府の政策は、法律及び司法の両面から死刑の適用・執行を厳格化して、極少数の犯罪や、深刻な犯罪への適用に留めている。死刑は、「即時執行」と「執行猶予2年」に分けられ、後者の死刑判決は、執行猶予2年間に罪を犯さなければ、無期懲役へ減刑される。このため、死刑執行例は実際は少ないと述べた[37]。なお死刑に執行猶予が付せられる規定(中華人民共和国刑法43条)であるが、この目的はいわゆる再教育を目指すものであり、国家に対する反革命(反政府)行為に対して死刑の重圧をかけて『労働改造』する目的があるとの指摘[38]もある。


[編集] 中華民国(存続)

2000年、中華民国(台湾)ではリベラル色の強い民主進歩党の政権誕生後、死刑廃止に向けた作業が続いているが、国内世論の意見集約は進んでいない。2001年5月17日、陳定南法務部長(法相)は、3年以内に死刑廃止のための法改正をすると表明した。

一方、その翌日の5月18日に、台湾の主要紙聯合報が行なった世論調査では、台湾国民の79%が死刑廃止に反対と答え、さらに死刑制度は凶悪犯罪阻止に有効と答えた割合は77%となった。2002年には18才以下の未成年者に対する死刑免除法案が可決。懲役刑の上限引き上げや仮釈放審査の厳格化を盛り込んだ刑法の改正が、2005年2月に可決、2006年7月1日から施行された。

刑法改正の具体的ポイントは、有期懲役の上限が20年から30年に。無期懲役の仮釈放が可能となる年数が25年に引き上げ。殺人や強盗、身代金目的の誘拐など、重大な刑事事件を複数犯した者は、仮釈放期間中または懲役終了後の5年以内に、再び重大な刑事事件を犯した場合、仮釈放は認められない(絶対的終身刑)。また、連続犯罪規定の削除により、連続して罪を犯した場合、犯した罪ごとに罰則が科される事になった。

2006年6月14日、陳水扁総統が、国際人権連盟 (ILHR) 代表との会見の中で、死刑廃止は世界的潮流と述べ、廃止に賛同。また、懲役刑の上限引き上げや、仮釈放審査の厳格化を含む刑法改正により、将来的に死刑制度廃止の国民的コンセンサスは得られるだろうとの見通しを述べた。横浜弁護士会の発表によると、台湾では、死刑を廃止する条項が盛り込まれた「人権基本法案」の検討が開始されている


[編集] フィリピン(2006年に廃止)

フィリピンの死刑制度は、1987年のアキノ政権下で一度廃止されたが、1993年のラモス政権下では華僑の圧力により復活した。2001年発足したアロヨ政権では死刑執行が凍結され、2006年6月7日上下院で再度死刑廃止法案が可決された。死刑廃止後の最高刑は「仮釈放なしの終身刑」となった。2006年6月24日、アロヨ大統領が死刑廃止法案に署名、同法が成立。

アロヨ政権による死刑廃止の背景には、国内で大きな政治的影響力を有するカトリック教会が、かねてから死刑廃止を訴えており、カトリック教会の大統領への支持をつなぎとめるための決断と見られている。加えて、2006年6月25日から同大統領がヨーロッパ歴訪。バチカンでローマ教皇と会見するため、死刑廃止法案の成立を急いでいたという政治的背景も指摘されている。


[編集] カンボジア(1989年に廃止)

王政復古した1989年に死刑廃止している。これはポル・ポト派による大虐殺が影響している。ポル・ポト派は死刑制度を利用し、政治犯を処刑し、体制反対者やポル・ポト派から見て邪魔な人物は死刑に処せられたため、当時の国民の3分の1にあたる400万人が虐殺された為である。現在は憲法により死刑は禁止されている。


[編集] ネパール(1997年に廃止)

1997年、憲法の規定に、総ての犯罪に対して死刑を廃止する条文が盛り込まれた。


[編集] ブータン(2004年に廃止)

国王令によりあらゆる犯罪に対して廃止。


[編集] スリランカ(1976年凍結、1999年復活)

1976年6月の死刑執行を最後に凍結され、歴代大統領により死刑囚は自動的に減刑された。1999年3月13日、犯罪増加報告を受けた政府は、「今後、チャンドリカ・クマラトゥンガ大統領は死刑判決を自動的に減刑しない」と発表。2004年11月19日に発生した高等裁判所判事殺害事件を機に死刑復活世論が高まり、同年11月20日、クマラトゥンガ大統領は、強姦、殺人、麻薬に関する死刑を復活すると発表した。しかしながら死刑執行の再開まではまだ踏み切られていない。


[編集] イラク(2003年凍結、2004年復活)

イラク戦争後のアメリカ軍を主体とする多国籍軍による占領時、アメリカ政府が派遣したブレマー行政官により凍結された。2004年6月30日イラク暫定政府のヤワル大統領は、アラブ有力紙のインタビューで、死刑復活を決定したと表明。適用範囲は、テロ行為や殺人、強姦に限られると述べた[39]。2005年5月22日、イラク中部クートの特別法廷は、イラク警官の殺害、拉致などの20件の犯行に関与して訴追された、反米武装勢力「アンサール・スンナ軍」の男3人に死刑を言い渡した。死刑判決はフセイン政権崩壊後初めて[40]。その後、フセイン元大統領に対しても、死刑判決が下った。2006年12月25日、フセイン元大統領に対する死刑が執行された。余談ではあるが、この死刑執行を世界中の子供が真似しこれまでに7人が事故死した。また、この死刑執行に対し潘基文国連事務総長が死刑を肯定するとも取れる意見をし、国連の立場と矛盾した発言を行ったと非難が集中。のちに弁明した。


[編集] オセアニア

オーストラリア、ニュージーランド共にいかなる場合も死刑を廃止している。ニュージーランドには死刑廃止後、復活させた事があったが、今日は死刑を非人道的として完全に廃止している。島嶼諸国も死刑廃止している。パプアニューギニアは10年以上死刑停止状態である。


[編集] アフリカ

アフリカ53カ国のうち13カ国が死刑廃止している。また20カ国が死刑執行していない。合計すると53カ国のうち死刑を行っていない国は33カ国である。政情が安定している南部諸国における廃止が目立つ。政情が安定しているアラブ圏ではイスラム法の影響もあり死刑存続している国が多い。フランスの文化的影響の強い西部アフリカ諸国は、死刑を中止しているか、国事犯を除く通常犯罪への適用を行っていない国が多い。

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死刑問題

死刑存廃問題(しけいそんぱいもんだい)とは、死刑制度の是非に関する問題のことである。たとえば死刑制度を維持している国では刑罰の一つとして死刑を存続させる死刑存置論と死刑制度を廃止させるほうが適切であるとする死刑廃止論との議論である。前者の場合、現状維持派とみなされる場合もあるが、死刑の適用は裁量的なものであり、適用が拡張される場合も縮小される場合もありえるため、必ずしもそうとは言い切れない。なお死刑制度が廃止されている国の場合には死刑復活問題となるが、現在では、その復活する理由として、テロリズムに対する抑止力として主張される。

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