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最新記事【2008年03月29日】

死刑執行文書、開示せず

http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20080329-341460.html

法務省が死刑執行に関連する文書の開示に応じないのは不当として、東京と大阪の弁護士2人が、不開示処分の取り消しを求めた訴訟の判決で、東京地裁は28日、死刑囚の名前が特定されることなどを理由に請求を棄却した。

 定塚誠裁判長は「死者の名誉に対する国民感情などから、死者の個人識別情報も開示せずに保護するのが、情報公開法の趣旨」と指摘。検察官が死刑執行を上申する文書の決裁者名や、法相による命令書のあて先、執行場所や立会者の職名などについて「報道や職員録と照合すれば、死刑囚を識別できる」とし、不開示は適法と判断した。

 弁護士は1993年と98年の「死刑執行上申書」や「死刑執行命令書」などと、2003年の大阪拘置所の死刑執行速報などの開示を求めた。

 判決は、執行状況が詳細に記録された文書については「死刑囚個人の識別にはならない」としたが、「(死刑囚)自身がいずれ執行される態様を具体的に知れば、精神的安定を保てず、執行に支障を来す恐れがある」とし、不開示が妥当とした。

 [2008年3月29日3時9分]

正義のかたち:裁判官の告白/7 死刑への信条、正反対に変化

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080328ddm041040095000c.html

◇「廃止は空論」「誤判の危険」--制度存続は国民次第

 判決で死刑を言い渡すことを決断する過酷さは時に信条さえも変える。多くの裁判や被告と向き合う中で、正反対に振り子が振れた2人の元裁判官がいる。

 「死刑なんてけしからん」。元岐阜地・家裁所長の塩見秀則さん(81)は学生時代から任官当初にかけてそう思っていた。駆け出しのころ、北海道で裁いた殺人事件。死刑を主張する先輩2人を説き伏せ、無期懲役で合議をまとめたほどだ。

 だが法壇に座る経験を重ね、次第に変わっていく。「死刑反対は浮ついた理想論。実際の事件は、そんなに甘いもんじゃない」と思い始めた。他の裁判官の判決に学び、こんな事件ならと、死刑言い渡しの相場もつかんだ。

 名古屋地裁で82年、女子大生誘拐殺人の被告に死刑を言い渡した。被害者は1人だが、殺害後も生存を装い、しつこく身代金を要求していた。

 「ひどいことをやっていると、それほど死刑に抵抗はない」。被告が取り乱さぬよう後回しが多い主文を、普段と同じく冒頭に言い渡した。今も憤る塩見さんは「死刑は存続すべきだ」と言い切る。

 「再審請負人」の異名を持つ秋山賢三弁護士(67)は、67年の任官後に配属された横浜地裁で2度死刑言い渡しに加わったという。どちらも被害者は複数で、被告は自白。やむを得ないと納得した。死刑廃止は思いさえしなかった。だが、今は、もっと慎重に判断すべきだと思う。

 転機のキーワードは「誤判」だ。初めての死後再審となった徳島ラジオ商事件。裁判官12年目で着任した徳島地裁で、懲役刑が確定し仮釈放中だった冨士茂子元服役囚の再審請求を担当した。

 確定判決のページをめくる度に、これはひどい、と怒りすら覚えた。住み込み店員をしていた少年は、冨士さんに頼まれ凶器の包丁を川に捨てたと供述。だが、川から包丁は見つかっていない。後に、検察に強要されたと少年は告白した。

 秋山さんらは再審開始を決定、その後無罪が確定する。その時、冨士さんはこの世にいなかった。「誤判は取り返しがつかない」。まして懲役刑でなく死刑だったら。死刑廃止に傾いた。

 20年余で退官して弁護士になってからは、袴田事件の再審弁護団に加わるなど冤罪(えんざい)にこだわる。

 秋山さんは死刑に限らず量刑判断は、裁判員には無理だと見る。被告の将来も見通した適正な刑はプロでも難しいからだ。だが誤判をただした経験から思う。「裁判官の過信が一番いけない。裁判員より裁判官の方が優秀とは言い切れない」

 現役を含め多くの裁判官は「制度がある以上、死刑を言い渡すこともある」と口をそろえる。死刑存廃は国民次第という意味だ。

 内閣府の世論調査によると04年、死刑存続派が初めて80%を超えた。裁判員制度スタートの09年は5年ごとの調査と重なる。=つづく

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毎日新聞 2008年3月28日 東京朝刊

最新記事【2008年03月28日】

#探偵ファイル/スパイ日記

http://www.tanteifile.com/diary/2005/03/29_01/

死刑執行の流れ。


7:30頃、いつもの通り拘置所職員が出勤する。

いつもの通り職務についていると、いきなり、別の職員から交代を告げられる。

その後、本日、死刑執行があることを告げられる。

死刑執行の期日が、死刑囚本人に秘されていることは良く知られているが、執行人である拘置所職員にも秘密にされている。 以前は、職員には前日に通知されていたのだが、そうすると、当日「体調不良」などで欠勤する職員が 相次いだため。

執行人の人選は、全くのランダムであり、基準は設けられていない。ただ、「妊娠中の妻がいる職員」「身内に慶弔事がある職員」は除外される。執行の時間は、9:30頃とされている。誰の刑が執行されるのかは、死刑囚を迎えに行く時までわからない。


9:00前後。死刑囚を迎えにいく。


保安課長が刑の執行を告げ、死刑囚を獄舎から連れ出す。

その際、囚人は即刻退出を強要される。獄舎内の片付けをすることすら許されない。

囚人は「渡り廊下」を10人前後の屈強な職員に囲まれて、執行場「第8舎」へ向かう。

この際、足腰が萎えてしまう囚人も多く、職員に引きずられて移動する囚人も少なくないという。


一番手前のドアは、執行人5名が入る「ボタン室」

実質の死刑執行人に当たる「ボタン係」の5名は、8:45分くらいに「ボタン室」へ入れられる。

この「ボタン室」は3畳ほどの広さで、刑場に隣接しているが、完全に仕切られているため、刑場の様子を窺うことはできない。

ボタン室は、壁に5つのボタンが並び、上部にスピーカーが設置されただけの閑散とした部屋。 執行人5名は、この部屋で刑の執行を待つことになる。

真ん中のドアは、正しく刑が執行される「刑場」

刑は絞首刑。刑場は真っ平らで、濃いピンク色のカーペットが敷かれた部屋。

中央に油圧式の「落とし穴」がある。これが「プッシュー」という音と共に開くことになる。

その真上の天井部分には滑車が取り付けられており、これが執行の際囚人の落下と共に「ガラガラガラ」と鳴り、 「ガッシャーン」という音と共に、囚人を縊り殺すことになる。 刑場の奥にはロープを締め上げるための「手動ウィンチ」が取り付けられている。

一番奥のドアは、最期の祈りを行うための「祭壇室」 死刑囚はこの部屋から、刑場へ入って行く。

部屋に入ると、右手はベージュ色のアコーディオンカーテンで仕切られており、左手には、最期の祈りを捧げるための祭壇がある。

この祭壇は「仏教」「キリスト教」「神棚」の「電動回転式」である。

囚人はここで最期の祈りを捧げ、希望があれば喫煙、及び、好物の飲食ができる。

最期の祈りが済むと、拘置所長より刑の執行が宣告され、右手のアコーディオンカーテンが開かれ、刑場が目前にひらける。

この際、囚人は「目隠しをするか?」と聞かれるが、ほとんどの囚人は目隠しを希望しない。

おそらく、恐ろしいのだろう。

目隠しは普通のタオル状ではなく幅の広い「ふんどし型」

この頃「ボタン室」の5名に執行準備が告げられ、5名はボタンに指をかけ、待機する。

特に取り決められているわけではないが、5名は全くの無言。

ボタンに指をかけたままの姿勢で、スピーカーを凝視している。

囚人は「落とし穴」の上に立たされ、直系3cmほどのビニールロープを首にかけられる。

そのロープを天井の滑車に通し「ウィンチ」の端に連結する。

(一般にイメージされているように「ぶら下がったロープに首をかける」わけではない)

その後、手動ウィンチでロープを締め上げ、囚人の首を外れないように締め付ける。

これで、準備は完了する。

ボタン室のスピーカーから「ブッ」という、一秒間ほどの短いブザーが鳴る。

執行人5名は一斉にボタンを押す。

「落とし穴」の油圧機が作動する。

プッシュー

ガラガラガラ

ガッシャーン

その後、全員が半地下になった刑場「第8舎 地下」へ召集される。

地下には刑に処された囚人がぶら下がっている。

囚人は大抵、排泄物を垂れ流している。刑の瞬間、快感があるのか、射精している囚人も多い。

それらを洗い流しやすいように、1階の床には「プールの足洗い場」のような緩い傾斜がついており、一番底に排水口がある。


半地下1階で死刑執行に立ち会うのは、

医師。

拘置所長。

及び、極刑を求刑した検事。

一定の時間が経過後、医師による死亡確認が為され、検死報告書が作成される。

その後、ロープから外された囚人の遺体は、隣接する霊安室に安置され、翌日、死刑囚専用門である「5号門」より、霊柩車で運び出されることになる。

刑を終えた一同は、拘置所内の食堂にて「無言の昼食」をとる。

メニューは「とんかつ定食」と「缶ビール1本」。なぜか、決まっているらしい。

「無言の昼食」と書いたが、別に無言の取り決めがあるわけではなく、自然に無言になってしまう。

その後、職員達は「5600円」の「死刑執行手当て」を現金手渡しで受け取る。

(銀行振り込みでは、家族に知られてしまうため。)

午後からの業務は免除され、帰宅を許される。


死刑執行の日付は決められているわけではないが、

目安とされるのは、

・総選挙の後

・国会閉会中

・世間を揺るがす事件(同様事件)の後

など。


ごく稀に、拘置所長が「5号門」に油をさしているのを見かける。

職員は「ああ、そろそろか・・・」と、暗澹たる気持ちになるという。




次号、現役刑務官に対する聞き込み。



ー BOSS ー

社説:袴田事件 生死の問いかけに向き合おう - 毎日jp(毎日新聞)

http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20080327k0000m070166000c.html

 42年前に静岡県で一家4人が強殺された事件で、最高裁は袴田巌死刑囚の再審請求を認めない決定を下した。確定判決に合理的な疑いが生じる余地はない、とする判断だ。物証など客観的証拠で犯人と認定できると判断しており、自白を強要されたとする弁護側の主張は空振りに終わった。

 再審請求から27年。裁判所はもっと早く結論を下せなかったものか。再審や恩赦を請求している間、死刑は執行されないのが原則だが、例外もある。袴田死刑囚が日々、死の恐怖と直面してきたことは容易に想像がつく。死刑は残虐な刑罰ではないとする判例は定着しているが、刑執行を目的とする期間不定の拘置の是非や、受刑者が味わう恐怖心のむごさについて、改めて精査されねばなるまい。

 事件は、45通の自白調書のうち44通の任意性が否定され、証拠不採用になるという特異な経過をたどっている。取り調べが強引だったとうかがわせるに十分だ。最高裁は自白がなくても有罪は明らかとしたが、今日なら不当捜査として問題化したケースだろう。

 1審の静岡地裁で判決文を書いた元裁判官が昨年、無罪の心証を得ていたが他の裁判官が有罪と判断したため「2対1」で死刑となった、と明かしたことも衝撃的だった。勇気ある発言との賛辞と、評議の内容の秘密を守るべき裁判官の職業倫理に反するとの批判が交錯した。

 裁判員制度のスタートが来春に迫る折、裁判員となる市民には、意に反して死刑判決を下した元裁判官が40年もの間、苦悩し続け、禁を破ってまで告白した事実が重くのしかかる。評議が紛糾すれば心理的な負担が増幅されるはずだし、多数決で死刑を選択してよいか、といった疑問も生じるだろう。その意味で、終身刑を創設し、死刑判決は全員賛成の場合に限ろうとする「死刑廃止を推進する議員連盟」の提案などを、真摯(しんし)に検討すべきでもある。

 いわゆる体感治安の悪化を背景に、世論はもとより判決の流れまでが厳罰化に傾いている。世界のすう勢が死刑廃止に向かっているのに、死刑判決が急増している現状に無頓着でいてよいものか。先ごろの秋田連続児童殺害の判決公判の後、直感やイメージで死刑か無期懲役かを二者択一する論議の輪が広がったことも、見逃せない。

 いかに凶悪事件の被告についてでも、他人の死を求める声が飛び交う現状は、健全な法治国家のありようとは思いがたい。近代以降の刑罰思想は「被害者が望んでいるから」との理由で極刑を選択することを認めているわけでもない。

 最高裁の決定は、死刑のあり方を問い直す好機だ。人ごとではなく、自らが裁かねばならぬことを前提に、生死の選択という重いテーマと向き合いたい。

毎日新聞 2008年3月27日 0時20分

袴田事件:再審棄却 「新証拠無視された」 死刑囚案じ不安と落胆

http://mainichi.jp/area/shizuoka/news/20080326ddlk22010053000c.html

◇弁護団や支援者、第2次請求へ

 66年に旧清水市で起きた袴田事件で、最高裁は25日、袴田巌死刑囚(72)の再審請求の特別抗告を退けた。逮捕から42年、請求から27年が経過したが、再審への扉は開かなかった。弁護団や支援者は袴田死刑囚の健康状態や死刑執行への不安から落胆の色を隠さないが、「今回の決定で再審への道が狭まったとは思わない」と第2次請求へ向け、早急に準備を進める考えだ。【浜中慎哉、望月和美】

 ◇姉「元気でがんばれ」

 25日午後、県庁で会見した袴田死刑囚の姉秀子さん(75)は、死刑囚への言葉を問われ「元気でがんばれと言うしかない」と涙を浮かべた。弁護団の事務局長、小川秀世弁護士も「27年間の再審請求をこのような形で終えるのは残念。出してきた新証拠も裁判所の決定に反映されていない」とため息をついた。

 秀子さんは同日昼過ぎ、浜松市中区の弁護士事務所で支援者からの電話で決定を知った。落胆は大きかったが、「まだ第2次請求がある」と自分に言い聞かせ、会見でも気丈に語った。

 関係者が心配するのは、袴田死刑囚の心身状態だ。80年の死刑判決確定以降、死刑囚は精神的に不安定で、昨年11月以降は面会の許可が下りていない。また昨年秀子さんが果物を差し入れようとした時には、東京拘置所に糖尿病との理由で拒否された。

 島田事件で死刑判決が確定後、再審無罪を勝ち取った赤堀政夫さん(78)は、「袴田さんは病気なので一時保釈し(拘置所外の)病院で加療すべきだ」と指摘する。その上で「棄却はひどい。何を審理してきたのか。冤罪(えんざい)は司法の犯罪で断じて許すことはできない」と怒りをあらわにした。

 これまで秀子さんらを支えてきた地元の支援組織「袴田巌さんを救援する清水・静岡市民の会」の山崎俊樹事務局長は「再審決定が出るのではと期待していた。残念としか言いようがない。最高裁に新証拠を無視された思いだ」と話した。

 また、これまで再審請求の要請行動などにも参加してきた日本プロボクシング協会袴田支援委員会の大橋秀行委員長は「今後も支援を続けていくことに変わりないので、何ができるのか協議して決めていきたい」と思いを新たにしていた。

 一方、静岡県警は「最高裁の決定なので、コメントする立場にない」としている。

毎日新聞 2008年3月26日 地方版

小林薫主演「休暇」、地元山梨県先行公開が好調に推移

http://eiga.com/buzz/show/11087

[文化通信.com] 山梨県を舞台に人間の尊厳、家族の絆を描く人間ドラマ「休暇」(製作:「休暇」製作委員会=山梨日日新聞社、山梨放送、リトルバード/配給:リトルバード/支援:文化庁)が、2月23日より同県甲府市内の4劇場、武蔵野シネマ5、甲宝シネマ、グランパーク東宝8、東映セントラルで先行公開され、好調な成績を続けている。

本作は、「戦艦武蔵」「魚影の群れ」「闇にひらめく」(「うなぎ」の原作)の文豪・吉村昭の同名短編小説(中公文庫刊「蛍」所載より)を映画化したもの。死刑執行の際、支え役を務めれば1週間の休暇が与えられる――。子連れの女性と結婚したベテラン刑務官が、1週間の特別休暇を得て新しい家族と新婚旅行をするために、死刑執行の補助役を買って出るという物語だ。

主人公の刑務官に小林薫、死刑囚に西島秀俊、刑務官の妻に大塚寧々、刑務官の上司に大杉漣が扮する他、柏原収史、菅田俊、利重剛ら多彩なキャストが顔を揃えた。監督はモントリオール世界映画祭出品作品「棚の隅」の新鋭・門井肇。

本作は“山梨日日新聞創刊135周年記念作品”“山梨放送開局55周年記念作品”。同県出身の小池和洋プロデューサーの強い希望で、全シーンが山梨県内で撮影された。柏原、菅田の出演者2人が同県出身ということもあり、撮影当初から公開まで県内メディアで大々的に取り上げられた。地域協力前売券(単価1000円)は4万5000枚が販売され、文化庁からの助成金2千万円もあることから、すでに製作費回収のメドが立っている。公開劇場の一つ、グランパーク東宝8でも劇場前売が1000枚を突破。2月23~29日の1週目に動員3445人・興収355万8400円を記録し、週計トップの成績を記録。2週目週末も「ライラの冒険/黄金の羅針盤」に次ぐ週末2位の好位置を占めた。有楽町スバル座、シネマメディアージュ、TOHOシネマズ西新井、TOHOシネマズららぽーと横浜他全国50館規模での初夏の公開に向けて、大きく弾みがついた格好だ。

最新記事【2008年03月27日】

日本人は「死刑」をなぜ支持するのか?~『死刑』森達也さん【後編】 (我ら、文化系暴走派)

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080324/150969/

2008年3月27日 木曜日 朝山 実

 〈……少なくとも死刑を合法の制度として残すこの日本に暮らす多くの人は、視界の端にこの死刑を認めながら、(存置か廃止かはともかくとして)目を逸らし続けている。

 ならば僕は直視を試みる。できることなら触れてみる。さらに揺り動かす。余計なお世話と思われるかもしれないけれど〉(『死刑』より)

 「ゲシュタルト崩壊って、わかりますか?」と森さんは尋ねてきた。漢字をじっと見つめていると、字がゆらゆらと崩壊していく。死刑について考えていると、そんな思いを何度となく繰り返してきたという。

 僕はこの本で、「死刑を凝視せよ」みたいなことを言ってはいるんだけど、いざ凝視していると何がなんだかわからなくなる。やってみて、とてもやっかいなテーマだと思いましたね。

 これはオウムの事件以降、ずっと考えていることでもあるんだけど、日本人の特殊性って何なんだろうか。世界が死刑廃止の趨勢にあるなかで圧倒的な死刑存置を支持するこの国の特殊性を考える作業は、日本人について考えることと重なるんです。

―― 日本人の特質というと、ワタシはマスコミのバッシングが気にかかります。芸能人でも政治家でも、さんざん持ち上げたあげくに、一夜にして、寄ってたかってリンチのように吊るし上げにする。イジメはいけないと呼びかけるメディアが、獲物探しを楽しんでいるふうにも思える。もうひとつは、結論を急ぐ、イライラしている傾向も気にかかります。

 話が逸れるかもしれないけど、今、国内線の飛行機には、ライターを二個以上持ち込むことは禁止されているんですよね。テロ対策という名目なんだけど。



森達也(もり・たつや)

映画監督、ドキュメンタリー作家。1956年生まれ。98年オウム真理教の荒木浩を主人公とするドキュメンタリー映画「A」を公開、各国映画祭に出品し、海外でも高い評価を受ける。2001年、続編「A2」が、山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。著書に、『「A」マスコミが報道しなかったオウムの素顔』『A2』(現代書館)、『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』(晶文社)、『いのちの食べかた』(理論社)、『ドキュメンタリーは嘘をつく』(草思社)、『森達也の夜の映画学校』(共著・現代書館)など。ホームページはこちら

 以前はタバコを吸っていましたから、僕も何回もチェックのときにひっかかって没収されてきた。でも、一個なら持ち込んでもいいと言われる。「なんで一個はいいの?」と聞いたことがある。答えは、「お客さん、タバコを吸うのに困るでしょう」。

 それで、小声で係官に「これ、ヘンじゃないですか?」って言ったら、「わたしもそう思います。でも、そう言えと言われているんです」だって。確かに空港のいたるところに「二個以上お持ちの場合は一個を残して没収します」と表示されています。

 明らかな論理矛盾ですよね。テロ対策が理由なら一個を許したら意味がない。テロリストが喫煙者ならどうするのでしょう? 不安や恐怖が前提に置かれることで、ふつうに考えれば「あれ?」というようなことが、いつのまにか当然のルールや慣例になってしまっている。こんな事例が最近はとても多い。ライターならまだ大事にはならないけれど、でも人はこうして歴史的な過ちをくりかえしてきているんです。

思考停止の恐ろしさ

 本書でも、たびたび「慣例」が取材を阻むことになる。刑務所など関連する施設では、取材活動に対しても当然のごとく「制限」が加えられる。刑場の施設は、国民に対して非公開。執行そのものも、ベールに包まれている。さらに、監房内で受刑者が使用できる筆記具の色や便箋の枚数まで、まるで女生徒のスカートの膝丈寸法を定めるかのように指定されている。マーカーの色はなぜ決められた色に限定なのか。規則であるからとの答えしか返ってこない。紋切り型なシステムが、日本を覆う。そのことに不安を覚えてしまうのは、おかしなことなのだろうか。

 ナチスのアドルフ・アイヒマンの裁判を思い出します。ホロコーストを遂行した幹部の一人である彼は、検察官や裁判官に何を訊ねられても、「命令に従っただけ」としか答えない。言い逃れじゃなくて、おそらく実際にそうなのでしょう。システム化することで端数が消えてしまう。アイヒマンは見るからに中間管理職のような風貌です。凡庸な悪ですね。でも、その帰結として、気がついたら膨大な数の命が犠牲になっている。

―― 戦争犯罪に加担した意識についていうと、戦前の日本にも通じるものですよね。

 戦前だけでなく、戦後もそういう部分は変わっていない。さっきのライター没収の話にもつながります。熊井啓監督の「帝銀事件 死刑囚」の映画をつい最近、見直したんです。

 事件は1948年で、映画が撮られたのは63年かな(※64年劇場公開)。その映画の中で、新聞記者たちが「世論が平沢は犯人だといっているんだから、それに従うしかありません」とデスクに詰め寄っている。

 あの事件は、何も物証がないまま、状況証拠だけで死刑判決が下された。当時のマスコミは新聞でした。今はテレビという、より市場原理に敏感なメディアが民意を先取りしようとする時代です。その影響力は昔の比じゃないでしょう。

 朝山さんがさっき言われた、昨日までは褒めそやしていたのを一夜明けたらバッシングする。いまのメディアの状況をみると、日本中がある意味で臨界状況にあるのでしょうね。

 今日もね、ここに来るまで、駅のところに、警察官と例の毒ガス防護服を着た人がうろうろしていて、何が起きたんだろうと驚いたんだけど、千葉県警と消防署が合同で行ったテロ対策の訓練だったようです。

 しばらく見ていたのだけど、メディア用に何度も防護服の隊員がポーズをとったり、訓練というよりもアピールでしたね。まあ訓練することは悪くはないにしても、でもこのセキュリティへの喚起は激しくなるばかりです。

 電車に乗ったら「不審物を見かけたら……」という例のアナウンス。街のいたるところに、特別警戒実施中とかテロ警戒中のポスターやサインボードが目につく。もちろん監視カメラは増殖中。自警団も増えるばかり。日本中が慢性的な擬似避難訓練状況に陥っている。非日常的な状態が日常化している。

 つまり、本来なら異常な事態のはずが常態になってしまっている。そして、仮想敵に脅えながら待ち望んでいる。そういう不安や恐怖が慢性的に臨界状態にあるからこそ、悪い奴を成敗してくれる強力な後ろ盾を、人は求めたくなるんでしょうけど。

「死刑」から日本の特殊性を読み解く

―― 国家に対するセキュリティの要求は、日本だけのことだと思わないんですが、こと死刑に関しては、海外では廃止の方向に動いているのに、日本だけが存置で固まっている。なぜだとお思いですか?

 確かに危機管理意識の高揚は、9・11後のグローバルな現象です。でも日本人は特に染まりやすい、それでいて、個人プレーを許さないお国柄がある。なぜなら集団への帰属意識が突出して強いのだろうと思います。だからこそ「KY」なんてフレーズが流行する。空気を読むことは大切だけど、日本人の場合はそれが空気に従えに直結してしまう。同調圧力ですね。

 群れて生きることを選択した人類の普遍性ではあるけれど、この国はそれがとても強い。だから想像だけど、かつてアジア諸国も、一人ひとりは善良で思いやりのある日本人が、国家や軍隊という組織になったときに、どうしてこれほど無慈悲になれるのだろうと驚いたんじゃないかな。

 首相が靖国に参拝すると、いまだに中国や韓国は、ゆゆしき問題だと怒る。なぜ彼らがこれほど過剰なまでに日本を警戒するのかというと、集団になったときに相が転移する日本人の怖さを、どこかで記憶しているからではないかな。

 それは最近の亀田問題や沢尻エリカ騒動からも感じることだし、とにかくこの国は一極集中・一斉傾斜が激しい。この傾向が仮想的の論理に組み込まれたらと考えると、やっぱり相当に怖い存在ですよね。

 石原都知事が以前、日本軍は強いんだ、みたいなことを公式に発言したけれど、実際にそうなのでしょうね。アイヒマン的な人が多いから。


―― 豹変する怖さというのが、日本人の特色であるかもしれないということですか。

 熱力学に、相転移というのがあって、一個一個のH2Oは変らないのに、水が液体になったり氷になったりすることをいうんです。じゃ、零度の状態は水になるのか、氷になるのか、どっちだと思います?

―― ……水かな?

 これね、学校教育では、水は零度で氷になり、氷は零度で水になる、と教えています。つまり、零度の状態の水は、個体でもあり液体でもある。物理的には確定できない。この零度の状態の水をコップに入れて、指でちょっと衝撃を与えると、一瞬にして氷になってしまうことがあるんです。臨界状態における物質の振る舞いのひとつの特性です。一瞬にして相が変わる。

 日本人はこの臨界点が低い。だから、ちょっとした刺戟で一色に染まってしまいやすい。その閾値が今、不安や恐怖を燃料にさらに低くなっている。僕はそう感じます。

 集団行動が突出して得意だから、あの敗戦から十数年で高度経済成長を成し遂げた。だから美徳でもある。でも今、日本人のこの属性が、とても危険な方向に向かっている。死刑制度はそのシンボルのようにも思えます。

 死刑という制度は、罪を犯した人への想像を「凶悪な犯罪者」として、ひとくくりにして終わらせる。犯罪の背後にあるものを考えることなくすませてしまう「閉じた回路」の象徴だと森さんはいう。


『死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいと思う』森達也著、朝日出版社

 さっき、朝山さんは、何でそんなに結論を性急に出したがるんだろうと言われたけれど、それはやっぱり、不安で余裕がないからでしょうね。

 悪い奴はどんどん捕まえてほしい。それは自分の身体の健康に自信がないのと同じことです。なんとなく調子が悪くて、医者に行って、べつに悪いとこはないですよと言われても安心できない。悪い箇所を言われて、人は初めて安心できる。

 社会も同じで、悪いものは予防したい。悪いものを早く同定したい。だから仮想敵を求めてしまうのだろうし、それがいまなら対外的には北朝鮮であったりアルカイダだったり。対内的には、犯罪者やカルト集団。そういったものを一律に排除しようとする意識が強まっている。あの騒音おばさんの報道なんてひどかった。晒し者。ほとんど公開リンチでしたね。

 そういう空気が濃密になるこの状況において、相転移が対外的に為されるときには戦争になるし、対内的には死刑制度が嵌るんでしょうね。

 共通することは、悪の抹殺への希求。でも、その悪の実相には目が届かない。こんな世相を背景にすれば、もっと自動的にできないものかと発言する法相が現れることにも何となく納得がゆきます。もちろん発言の内容に納得するわけじゃないけれど(笑)。

 森さんは、この本の取材を「ロードムービー」だという。立ち止まることが珍しくない旅。予期していたこととはいえ、死刑について考えることは、一人ひとりの死生観、制度の矛盾、人の「生」を検証する作業にも連なっていくことだと森さんは気づいた。

組織が殺人マシーンになるとき

 今回、取材してみて、冤罪の多さには驚きました。ある程度は知ってはいたけれど、これほどに多いとは思わなかった。冤罪と判明しているものはほんの一部です。でもその過程を取材すれば、同じようなことはいくらでもあることが容易に推察できます。

 警察の取調べがいかに杜撰で乱暴か、検察はいかに恣意的に罪を作るのか、それはつくづく実感しました。

―― 最近も、富山県のタクシー運転手が強姦容疑で服役したあとに真犯人が現れて冤罪が明らかになった事件であるとか、鹿児島の志布志の選挙違反の捏造事件など、警察、検察の暴走が危惧されるケースがあります。

 それらは氷山の一角といっていいでしょう。検察庁というのは、視点によっては殺人機関だとつくづく思いましたね。おそらく多くの罪なき人たちが、警察や検察の組織の論理で処刑されています。でも、彼らにその意識は薄い。要するに、我らの内なるアイヒマンです。

 警察も検察も、自分たちが間違っているとわかっていても、組織として強引に犯人に仕立て上げていくことがある。志布志のケースは、事件も起こっていなかったんですから。

 じゃ、彼らが、悪人なのかというと、そうじゃない。一人ひとりは、きまじめに仕事をしている人間なんでしょう。それこそ、決まりなのでライター一個を没収しますと言った空港の職員がそうであるように、愚直に仕事をしているだけ。だからこそ恐い。

―― 人は、場によって、状況、環境などの条件によって、どんなふうにも変わりうるということですよね。

 死刑制度の有無そのものが、環境条件ともいえるんです。ひとつ言えることは、死刑によってもたらされる犯罪抑止論は、現在においてはほとんど空論であることが実証されているということです。

 廃止国で凶悪犯罪が増えたという前例はほとんどない。スウェーデンやカナダなどでは死刑を廃止した後に、犯罪が減ったというデータすらある。

 だから思うんです。亀井静香さんも言ってましたが、国家による殺人を認めてしまっていることの悪影響もあると思う。

 人は人を殺してはいけない。僕は子供にそう教えたい。でも現実にはこの国は、悪人だからとの理由で人を殺している。そんなニュースがテレビから聞こえてきたとき、僕はやっぱり息子に、どんな場合でも、絶対に人は人を殺してはいけないと伝えたい。ならば、この国のこの制度は間違っていると言うしかない。

 僕は、どんなことがあっても人を殺さないという意志を国家が見せることのほうが犯罪の抑止になるんじゃないかと思うんです。

―― たしかに、それは一理あるかもしれない。親が始終、カネ、カネ、カネといっていたら、子供はお金で人をはかるようになるでしょうし。

なぜ死刑囚はキャッチボールできなくなったのか

 同じものを見ていても、すこしだけ視点をずらしてみると、ちがうものが見えてくる。たとえば上から見ると丸いコップも、真横からは長方形に見える。森さんのルポの特色は、行き詰まったときに、息抜きの場を盛り込んでみるところにある。

 映像の仕事が長いから、自然と身についたということはあるでしょうけど。でも、話が脇道に逸れるというのは、読者にとって、息抜きであるとともに、僕もどこか書いていて息を抜きたかったというのはあったんだと思います。

 ただ、今回は辛かった。毎晩、枕元に死刑の本を並べて寝るわけです。図解入りの処刑方法を紹介した本だとか。そんな日が続くとツライですよね。だから目を逸らすわけではないけれど、ずらしてみたい。

―― 『死刑』で、興味深いのは、1965年を境にして、死刑囚を取り巻く環境が変わっていることを指摘していた箇所です。激変といってもいいですね。

 それまでは、塀の中とはいえキャッチボールをやったりして、ある種、のどかな場面があった。それが管理一辺倒に変わってしまう。それこそ水が凍ってしまうかのように融通が利かないものになっていく。変わったことの合理的な説明をなすべき人も、説明できずにいる。

 65年というと、高度経済成長期で、企業が成熟していった時代ですよね。リスクヘッジという言葉が生まれたのも、この頃じゃなかったでしょうか。企業がいろんなところでリスクを軽減するために責任を分散化していった。

 そうすると何が起こるかというと、責任の所在がわからなくなる。結果、不祥事が起こると、誰が悪いんだと責任をなすりあう。

 誰が、じゃない。みんな、なんです。でも、人は責任をなすりあう。誰か悪い奴を見つけたくなる。

 仮想敵の論理と少し似ていますね。かつての戦争もこうだったのではないか。

 結局、国民も軍部もメディアも政治家もみんなが加担していったにもかかわらず、戦争が終わってみると、軍部の一部の指導者に責任を押し付けようとしてきた。

 確かに指導者だから責任は取らなくちゃいけない。でも、彼らが悪いからこうなったわけじゃない。加担したのは、あの時代に生きた全員です。そういった構造の中で、公害だとか、薬害だとか、様々な歪な構造が進行し、弱くて小さな人たちが犠牲になる。

 殺人事件の統計だけを見ると、減少傾向にある。その一方で、組織としての警察は肥大化してきた。役所は予算で動く。大きくなった図体を維持するために、その必要性を組織は演出することにもなる。なんともおかしなことが行われている。



花粉症の原因と同じ。雑菌が減ったから身体のなかの免疫細胞が必要以上に焦って、杉の花粉という、本来は無害な存在を仮想敵に設定するんです。

 組織の新陳代謝を保つためには「悪の供給」が必要になる。戦後のピーク時に比べたら、現在は殺人事件の件数はほぼ3分の1以下に減少しています。昨年の殺人事件の発生件数が、実は戦後最低だったなんて誰も知らないでしょう。

 メディアも治安の悪化をあおりますから。こうして現実とは遊離した体感治安ばかりが悪化して、仮想の悪が作られる。死刑が急激に増えてきた背景に、このメカニズムが働いていることは確かでしょう。

裁判員制度という思想統制

―― 裁判員制度も、何の準備も整わないままに見切り発車しようとしていますが。

 僕は大反対ですね。選挙人名簿から無作為に抽出した人に対して「守秘義務」を課すわけですよね。

 ここからしてありえない。無作為に選ぶのなら義務を課してはいけない。僕は、守秘義務なんていやですよ。しゃべると思う。しゃべりまくるんじゃないかな。

 しかも、無作為といいながらも死刑廃止論者は選ばないという話を耳にしたこともあるし。となると、これはもう思想信条のチェックが行われるということ。戦前回帰ですよ。

 実際に被告を目にすることで、簡単にお茶の間で「あんなの死刑よ」と言っていた人が、言えなくなるんじゃないか。そういう予測もありますね。民意がより直接的に司法に介入するから、加速的に死刑判決が増えるとの見方もある。どっちだろう? わからないんです。

―― 人間性善説に立つと、楽観できそうですが。もっと乱暴な空気が生まれるかもしれない。もういいから早いこと決めて、さっさと家に帰りたい、仕事に戻りたい。そんな人が個別の法廷での空気を牽引しないとは言い切れない。

 かつて小林よしのりさんと対談したときに、あなたは性善説だと言われました。否定しません。僕は、人は善なる生き物だと思っています。でも同時に、この善なる部分がときには人を傷つけたり加害したりも殺したりもするんだと思っています。

 だからとてもネガティブな性善説です。人は善性を持つから信じましょうとか、まったく思っていない。

―― ワタシは、森さんが人に会うことで心を揺らがせる。そこに共感するんですが。しかし、揺るがない、揺らがないために人との関係を遮断してしまっているのが現代だとも思う。たとえば、森さんを嫌いと思ったらどんなことがあっても嫌いという判断を変えない。そういう空気が濃いと思うんですよね。

 たしかに、意外と人は揺るがないものですよね。まあ僕を嫌う人は仕方がない。顔だって怖いし、そもそも万人受けするタイプじゃないですから(笑)。

 読後の感想やレビューなどで、「読んだ。とても考えさせられた。でもやっぱり死刑は必要だ」という人がけっこういる。なるほど確かに揺るがない。でも同時に、「廃止論だったけれど読み終えて揺れている」という人もかなりいて、もちろんこの逆の方もいるわけだけど、……なんか不思議ですね。とくに死刑というジャンルは、その人の思想や哲学に結びついているものだからということもあるかもしれないけれど。

 現状の廃止国も、半分近くは死刑の存置を切望していて、その意味ではせめぎ合いが常にある。

―― 全国犯罪被害者の会の幹事をされている松村さん(1999年の音羽幼稚園児殺人事件で孫をなくされた)が語っておられますが、刑務官に心の負担を与えるから死刑は廃止しようということなら、自分たち遺族がボタンを押す。そう語るいっぽうで、刑務所を訪ね、服役囚の更正のことを考えようとされている。

 個的な怒りと、社会を変えようと行動すること。その両端に振り切れながら一日一日を生きている遺族の話を聞くと、一般にイメージされがちな被害者像はうそっぽくなりますよね。

 そうですね。

森達也の結論は変わるか?

―― 最後に。しつこいかもしれませんが、本当に、会えば「この人を救いたい」との思いが生じるものなのでしょうか。それは森さんだからなのか、変わらないと思い込んでいるワタシであっても、そのとき変化は起きるものなのか。そこは疑問であり、知りたいところなんですが。



森達也(もり・たつや)

 だって、それは朝山さんと会って話すと、電話で話すのとではちがうでしょう。それで、もしも明日の新聞で、朝山さんの死亡記事を見たとしたら、今日ここで会ったかどうかというのはちがう感情になる。それは当たり前のことだけど、その感情をどれだけ広げられるかどうかということだと思う。

 これは書き終えてからわかったことなんだけど、かつてオウムの麻原の主任弁護人で今は和歌山カレー事件や光市の母子殺害事件の被告を弁護している安田好弘さんも、弁護するかどうかは相手に会ってから決めるという。

 ただ彼の場合、会うと引き受けざるをえなくなる。それを彼もまた嘆いていたりする。この心理については自分にちょっと近いと思いました。

 会えば、助けたいと思う。それなのに助けられない。だから、会わなければよかったと悔やむ。でも懲りない。……ただ、「助けたい」という感情を広げすぎてしまうと、辛くなりますよね。世界の人ぜんぶの幸せを願わないといけなくなる。

 飢餓や戦争はいくらでもある。おそらくは数秒単位で、多くの人が、悲惨な境遇の中で死んでゆく。そんな世界に僕たちは今生きている。すべてに感情移入しようとしたらこちらも生きていけない。感覚を遮断せねばならない。つまり他者性です。

 この他者性と当事者性のバランスが大事なんです。

 「(この本の話は)聞きづらいでしょう?」と森さんは、インタビューを終えようとしたときに聞いてきた。「今回、いろんなインタビューを受けたけれど、みんな聞きあぐねている感じがするし、僕も答えようがない質問が多い」。旧知の記者であっても奇妙な間があいてしまう。物腰はやわらかに「なんでかなぁ」と、森さんはつぶやいた。

―― 結論がはっきりしないからではないですか。

 結論は出しているんだけど。これほど、最後に「僕はこう思います」って、明確に言い切ったことは、かつてないんだけど。みんな結論にはなかなか目が行かないみたいで。まあ本の中の揺れが感染したと考えれば、ある意味で本望ではあるのだけど。

―― あるいは、読者一人ひとりが自分にひきつけて考えることで、ゴールにたどりついた時点では、森さんひとりの結論をもはや期待していないのかもしれない。あるいは、すごろくでいうと、森さんに先に上がられてしまった。途中まで、一緒に悩んでいたのに、置いていかれた戸惑いがあるのかもしれません。

 なるほど。それはあるかもしれないですね。

 編集者の鈴木さんによれば、森さんは、最後の原稿を書き上げるまで、ふだんの何倍もの時間がかかったらしい。結論部分は力技な印象がなくはない。もしかしたら数年後には変わっている、その可能性はないのだろうか。森さんに訊ねてみた。

 「うーん」と間があいたが、そのあとの言葉は、意外にもきっぱりとしたものだった。

 客観的にはあるかもしれないけれど、主観的にはないでしょうね。

(取材・文/朝山実 編集/連結社 撮影/佐藤類)

誰かを「死刑」にすると言えますか~『死刑』森達也さん【前編】 (我ら、文化系暴走派)

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080324/150968/

2008年3月26日 水曜日 朝山 実

あなたは「死刑」制度に、賛成ですか? 反対ですか? 

 そんな質問を受けて、すぐにあなたは答えられるだろうか? あるいは、どれだけの時間、あなたは答えに躊躇するだろう。

 まず、この数字を見てほしい。現在、あらゆる犯罪に対して死刑を廃止している国は、92カ国。通常の犯罪に対してのみ死刑を廃止している国は、10カ国。事実上の死刑廃止国(10年以上執行を停止している国)は、33カ国。これらを足し合わせた135カ国に対して、死刑存置国は、62カ国(2008年2月20日現在)。

 世界の趨勢は死刑廃止に向かうなか、日本では必要と答える人が世論調査では8割を超える。存置であれ、廃止であれ、わたしたちは「死刑」がいったいどういうものか、ほんとうに知っているのだろうか。


『死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいと思う』森達也著、朝日出版社

 若いオウム信者たちに密着したドキュメンタリー映画『A』『A2』をはじめ、放送禁止歌、超能力に下山事件。ときにタブーとされるアンダーグランドな世界に、ひょいと足を踏み入れてきた映像作家の森達也さん。近年は、著作にも旺盛で、三年の歳月をかけて先ごろ書き下ろした『死刑』が話題になっている。

 森さんは、執筆の動機をメディアの関係者に向けた手紙でこう綴っている。

〈なぜこんなテーマを選んだのか? 自主制作映画『A』『A2』を発表したことをきっかけに、オウムの元幹部である死刑囚たちと手紙のやり取りや面会を重ねるようになり、そのうちに自分が死刑を観念的にしか知らないということに気づきました。要するに視界から逸らしていたのです。ならばちゃんと見てみたい。そう考えました〉

 本来はシリアスなテーマも森さんの手にかかると「人間味のある物語」となる。ムダな部分にこそ目がいってしまう。人間を一面ではなく多面で捉えようとする、森さんのアングルには、人が人を裁き、罰する究極のシステムはどう見えたのか。

 森達也の仕事を気にかけてきたぶん、本書を読み始めるまでワタシには一見、彼の仕事の流れから今回のテーマは突出しているかに思え、違和感があった。だからこそ、「見てみたい」と思った意図を確認しておきたいとワタシは思った。


 死刑を考える。具体的な作業として森さんが選んだのは、「死刑」制度に関わりのある人たちに会い、対話し、考える。この反復である。

 新人刑務官の目からみた死刑囚の物語を描いた『モリのアサガオ』がロングセラーとなっている漫画家の郷田マモラさんからスタートし、死刑廃止を訴える国会議員、冤罪が晴れて生還した元死刑囚、教誨師、執行に立ち会った刑務官、検察官、家族を奪われた遺族、弁護人……。決して軽い足取りではない。死刑判決を受けた被告にも面会している。この間、三年。森さんは、自身の内面の動きをも詳細に綴っている。

―― 誰に会って話を聞くのか、人選びはどのようにして、決められたんですか。

 誰にするのかはともかく、教戒師とか元刑務官とか、ジャンルについては、おおよそ決めていました。最後まで会おうとして目的が果たせなかったのは法務大臣くらいですね。

―― 何度も食い下がって、会おうとした人とそうでもない人。違いは何だったのですか?

 何かな。……直感が大きいですけれど。でもとにかく執行の現場にいる人には会いたかった。法務大臣は判子を押すだけですからね。無理してまで会う意味はない。被害者遺族に対しては、……会わねばならないと思いながらもなかなか腰が動かなかった。

―― やはり、気が重い?

 これは僕の思い過ごしかもしれませんが、映画デビューの頃から僕は、「被虐の連鎖」とか「加害者へのイマジネーション」みたいなフレーズをよく使っているので、被害者遺族からすれば、あまり歓迎される存在ではないだろうなとか、いろいろ考えちゃうんです。もし、僕が撮った映画を見ていたら、本を読んでいたらどうしようとか。

 森さんは「気が弱い」「チキンですよ」と自分を評する。落ち着いた物腰、がっちりとした体躯、これまで取り組んできたテーマからしても、そんなふうには映らない。ただ、彼が書くものを読むと、取材に出かけるまでの、いじいじ、うじうじをさらしている。あえて開示する負の部分に親近感がわいてくる。

 僕はこういう書き方しかできないわけだけど、一人称とはいえ埋没はしていません。自分が自分を、もうひとつの目で見ているところはあるんですよ。

 辛い状況に身を置いて、自分は怯えるのか、奮い立つのか。どうなっちゃうんだろうかというのは、自分にとっての楽しみでもあって、そこで臆しているのか、しつこく食い下がったのかは大事なことだと思うんですよね。それを省いて事実関係だけを書くことはできない。やろうとした時期もあるのだけど、何だか文章がちぐはぐになっちゃうので、もう無理はしません。

人間は相手を知ることで情が動く

―― 本を読みながら、「息子のまなざし」(監督=ダルデンヌ兄弟)という映画のことが、脳裏の片隅を何度もよぎっていました。

 息子を殺された男と、少年院を出た犯人が出会い、ふたりは父子のような付き合いをするのだけど、男は少年の素性を知ってしまう。知り合ってしまったがゆえに男が苦悩し、揺れ動く姿を映した映画でした。

 ワタシがこの映画を想起したのは、森さんが、死刑を言い渡された被告と対面した折に、「殺してはいけない」と思ったと書かれていることです。「死刑囚」に会うと会わないでは、そんなにも違うものなのでしょうか。

最新記事【2008年03月24日】

韓国 再び火が付いた死刑存廃論議

http://www.chosunonline.com/article/20080324000062

1997年を最後に執行なし

金泳三

 死刑制度の存廃をめぐる論議に再び火が付いた。金文洙(キム・ムンス)京畿道知事は21日、安養市の小学生殺害事件や、ユ・ヨンチョル死刑囚による連続殺人事件などを例に挙げ、「女性や子どもを惨殺しても死刑が執行されないというのは間違っている」として、死刑制度の廃止に反対する意向を表明した。


 一方、法務部はこの日、「死刑制度の存廃問題については、制度の持つ機能や社会の現実、国民の世論など、さまざまな側面を総合的に勘案し、慎重に決断を下す必要があるというのが、法務部としての公式見解だ」と発表した。


◆「実質的な死刑廃止国」

 韓国は「実質的な死刑廃止国」に分類されている。法律上で死刑制度が残っており、58人に対する死刑が確定しているにもかかわらず、金泳三(キム・ヨンサム)政権下の1997年12月30日に23人の死刑が執行された後、10年にわたって一度も死刑執行がなかったため、事実上死刑が廃止された状態にある、と判断されたからだ。国際的な人権団体「アムネスティ・インターナショナル」も昨年末、韓国を「実質的な死刑廃止国」に分類した。


◆政府レベルでの態度表明は留保

 だが、韓国ではまだ、死刑制度廃止の是非について、政府レベルで態度を表明したことはない。昨年12月、国連で「死刑制度の恒久的な廃止を目標とし、死刑執行の猶予を求める決議案」が初めて採択されたが、韓国はこの決議案の採決で棄権した。また、2002年と03年に「死刑制度廃止決議案」が上程された際にも、韓国は反対票を投じている。


 一方、韓国国会でも1999年に「死刑制度廃止法案」が初めて発議され、その後2000年、04年の改選後にそれぞれ過半数の議員が法案に署名したものの、法制司法委員会では議論することもなく、自動的に廃案となってきた。


 このように、死刑制度の廃止に関する論議が、実際に死刑制度の廃止につながらないのは、大多数の国民が現在も死刑制度の存続を支持しているためだ。03年に国家人権委員会が行った国民意識調査では、国民の86.8%が「死刑制度の廃止に反対」と回答した。また、04年に韓国社会世論研究所が行った調査でも、全回答者の66.3%が死刑制度の存続に賛成している。


チャン・サンジン記者

朝鮮日報/朝鮮日報JNS

最新記事【2008年03月23日】




デモ行進:死刑反対訴え 鳩山法相は「粛々と執行」--久留米 /福岡 - 毎日jp(毎日新聞)

http://mainichi.jp/area/fukuoka/news/20080323ddlk40040193000c.html

 久留米市東町の東町教会で22日、死刑廃止を考える集会が開かれた。鳩山邦夫法相の死刑執行や考え方に、地元で抗議をしようと「死刑廃止・タンポポの会」(山崎博之代表)と「アムネスティ・インターナショナル福岡グループ」(真砂友子代表)が主催した。

 集会では、死刑判決を受けた被告の弁護経験のある山崎吉男弁護士(55)が、死刑に反対する講演をした。熊本県人吉市であった強盗殺人事件で死刑判決を受け、83年に国内の死刑囚では初めて再審無罪を勝ち取った免田栄さん(82)も「一生をかけて罪を償わせる終身刑が日本には必要だ」と述べた。その後、参加者たちはシュプレヒコールをあげ、久留米市中心部をデモ行進した。

 一方、鳩山法相は22日夜、久留米市内のホテルで開いた後援会の集会で「無理な捜査やむちゃくちゃな取り調べは反省しなければならないが、犯罪者が正しく裁かれる世の中にし、死刑は粛々と執行しなければならない」と述べた。【丸山宗一郎】

〔筑後版〕

毎日新聞 2008年3月23日

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[鳩山法相「粛々と死刑執行」 「治安の良い国つくる第一歩」] / 政治 / 西日本新聞

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/20080323/20080323_004.shtml

 鳩山邦夫法相(衆院福岡6区)は22日、地元福岡県久留米市であった自身の後援会主催のパーティーで演説し、「(死刑執行は)抑止力になって治安の良い国をつくる第一歩だと考えている」と死刑執行の意義を強調し、今後も続ける意向をあらためて示した。

 鳩山法相は「人を惨殺しておいて、自分の命だけ助かるという死刑廃止論にくみする気持ちはない」と強調。「粛々と死刑は執行しなければならない」と述べた。

 昨年8月の就任以降、鳩山法相は6人の死刑を執行した。同日は、福岡市の市民団体「死刑廃止・タンポポの会」(山崎博之代表)が鳩山法相の事務所を訪れ、死刑執行への抗議と法相辞任などを求める文書を事務所のスタッフに渡した。

=2008/03/23付 西日本新聞朝刊=

講演会:芥川賞作家の辺見さん、死刑制度テーマに--千代田で来月5日 /東京

http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20080322ddlk13040463000c.html

 芥川賞作家の辺見庸さんの講演会「死刑と日常~闇の声あるいは想像の射程について」が4月5日午後2時、千代田区の九段会館大ホールで開かれる。

 辺見さんは共同通信記者を経て作家に。同賞を受賞した「自動起床装置」や「もの食う人びと」などの著書がある。死刑制度についても「国家の殺人」と位置づけ、反対の姿勢を示してきた。

 「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」主催。入場料1500円。問い合わせは港合同法律事務所03・3585・2331。

毎日新聞 2008年3月22日

最新記事【2008年03月22日】

袴田事件と改正・刑事訴訟法281条の関係

      • 裁判検証ができない、人権後進国の日本---

http://www.ohmynews.co.jp/news/20080310/21924

 「袴田事件」とは、1966年に静岡県清水市(現静岡市清水区)で発生した強盗殺人放火事件、そしてその裁判で死刑が確定した袴田巖(はかまだ・いわお)さんが冤罪を訴え、再審を請求している事件である。

 袴田死刑囚は、死刑判決が確定してから死刑が執行されていない、現在最も古い死刑囚である。長期間死刑囚という身でいるため、拘禁反応を起こし精神的に障害をきたしている。

 袴田事件は、長期間かつ長時間にわたる密室での取り調べの中、自白の強要が行われ、逮捕後20日目にしてウソの自白をさせられたとされている。猛暑の中、長い日だと16時間にもわたって取り調べが行われたという。

 

 また、犯人だとされる自白以外の物的証拠が、警察・検察によりねつ造、デッチ上げられた可能性も指摘されている。

 具体的には、

(1)凶器とされているクリ小刀1本で住人4人の刺殺という犯行は可能か

(2)逃走ルートとされた裏木戸からの逃走は可能か

(3)犯行着衣とされる『5点の衣類』は警察の捏造か

――の3点である。このうち、「5点の衣類」については、「サイズから見て被告人の着用は不可能」など、弁護側は多数の疑問点を指摘している。

 これらの証拠に疑問を抱き、事件の冤罪性を最初に指摘したのは ジャーナリストの高杉晋吾氏である。

 当時の週刊誌『現代の眼』に連載したのが契機となり、「無実のプロボクサー袴田巌を救う会」が発足している。

 日本テレビ系の報道番組「NNNドキュメント」では、逃走ルートとされている裏木戸実験を行い、その裏木戸は到底人がくぐれない事を証明した。また、血痕のついた着衣は血液型が着衣ごとにバラバラで、同一人物が着衣していたとは考えられないこと、さらに、袴田さんの体型からして、着衣のズボンが小さすぎて到底履く事はできない、というものであった。

 さまざまな人たちが警察・検察側の証拠を弁護側から取り寄せ、検証した。それによって、冤罪性の極めて高い事件という認識が広まり、支援活動が広範に行われている。

 

 1981年からは、日本弁護士連合会が人権擁護委員会内に「袴田事件委員会」を設置し、弁護団を結成して支援を始める。

 また、袴田さんが元プロボクサーであったことから、1991年3月11日、日本プロボクシング協会会長の原田政彦(ファイティング原田)が、後楽園ホールのリング上から再審開始を訴え、正式に袴田の支援を表明した。

 当時はリング上でこのような表明をすること自体、異例であったという。

 2006年5月には東日本ボクシング協会が「袴田巌再審支援委員会」を設立した。同委員会は、ボクシングの試合会場(後楽園ホールなど)で袴田被告の親族、弁護士や救援会関係者らとともに再審開始を訴えているほか、東京拘置所への面会やボクシング雑誌の差し入れなどを行っている。

 さらに2007年2月、一審静岡地裁が出した死刑判決に関わった元裁判官・熊本典道氏(判決言渡しの7カ月後に辞職)が

「彼は無罪だと確信したが、裁判長ともう1人の陪席判事が有罪と判断、合議の結果1対2で死刑判決が決まった。しかも判決文執筆の当番は慣例により自分だった」

と告白。袴田さんの姉に謝罪し、再審請求支援を表明した。

 これを機に、袴田事件の冤罪性が広く世間に知られることとなった。

 こうした支援の動きは、袴田さんを有罪とする証拠が警察・検察によりねつ造・デッチ上げられたのではないかという猜疑心から始まっていると考えられる。

 しかし、証拠がでっち上げられたものかどうかを確認することはできない。約3年前に、第三者が事件の証拠に触れることを不可能にする法改正が行われたためだ。裁判の証拠の流出を防ぐことを目的に行われた刑事訴訟法281条の改正である。裁判に提出された証拠を、裁判以外に使用する事を禁じたものである。

 当時から、今でも、この法改正の危険性が認識されていない現状がある。つまり、この法改正によって、事件の証拠をメディアやジャーナリスト、支援者などが検証することが不可能となってしまったのである。

 もし、事件発生当時にこの法改正が行われていたならば、ジャーナリトの高杉氏が証拠を検証したような事ができなくなり、とっくの昔に袴田さんの死刑は執行されていただろう。

 しかし、法改正によって、袴田事件のような冤罪性の高い事件でも、発見・検証する事ができなくなった。これは、冤罪を助長し、無実の罪人が数多く生み出されてしまう可能性を秘めている法改正なのである。

 現に、90年代のとある重大事件の証拠に疑惑が持ち上がり、テレビ局が弁護側を通じて証拠を入手する事を打診したところ、弁護側はこの法改正を理由に断ってきたのである。

 この改正281条には、1年以下の懲役という刑事罰が科せられている。対象は、情報を入手した側ではなく、入手させた側(弁護側)だ。このため、弁護側が委縮して、自分の手がける事件を第三者に検証させるという基本的な行為すらできなくなっている。

 さらに驚いたことには、被告人が自らの無実を訴えるために、証拠を掲載したチラシを配布することも禁じているのだ。これは、証拠の裁判目的外の使用を禁じたことに依拠する。

 日本の司法制度は、人権とは極めて無縁の制度である。日本は、諸外国からはかなり遅れた「人権後進国」である。国連人権規約委員会は1998年以来、日本に司法制度の改善(取り調べの可視化)を勧告しているが、日本政府・法務省は一貫してこの勧告を無視し続けている。

 日本政府・法務省は、ここ数カ月間、死刑執行を行い続けているが、遅れた司法制度を持つこの国には、死刑制度を持つ資格は無い。

死刑判決:「人を裁く」とは? 永山事件の裁判官が初告白

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080321k0000m040128000c.html

市民も重大事件の判決を言い渡す裁判員制度が、約1年後に始まる。これまで刑事裁判を担ってきた裁判官は、何に迷い、正義のありようをどう決断してきたのか。その言葉を通じて「人を裁く」意味を考えた。

  ◇   ◇ 

 「多数意見には到底同調することができない」。死刑が絡む判断は全員一致が慣例の最高裁決定で、異例の表現が2度繰り返された。

 福島県で03年、元暴力団組員(29)が三角関係のもつれで2人を射殺し、30万円を奪った強盗殺人事件。第1小法廷は2月、2審で無期懲役だった被告の死刑を求める検察側上告を3対2で退けた。「死刑が相当」と強硬に反対したのは、甲斐中辰夫(検察官出身)と才口千晴(弁護士出身)の両裁判官だ。

 被告は事件時25歳。甲斐中裁判官は「若い被告の場合、有利な事情を可能な限り酌むことを心がけてきた」が、死刑回避の事情が見当たらないと言う。

 才口裁判官は「永山判決をよすがにした死刑の量刑基準を、裁判員制度を目前に明確にする必要がある」と付け加えた。

  ◇   ◇

 「永山判決」に、名をとどめる永山則夫元死刑囚(97年執行)は、極貧家庭で生まれた。両親から育児を放棄され、無学の末68年、19歳の時に神奈川県横須賀市の米軍基地からピストルを盗み、1カ月の間に東京、京都、函館、名古屋で警備員やタクシー運転手ら4人を無差別に射殺した。だが、拘置所で独学して著した手記「無知の涙」は高く評価され、別の作品で文学賞も受賞する。

 事件の重大さと公判中の変貌(へんぼう)。命を奪うのが正義か生かすのが正義か。死刑制度の存廃さえ議論になった。2審の無期懲役を破棄した83年の第1次上告審判決で死刑の適用基準が示され、「永山基準」として知られる。

 東京地裁で被告と向き合った元判事2人が初めて口を開いた。

 初公判から論告まで裁判長を務めた堀江一夫弁護士(89)は「起訴状通りなら死刑はやむを得ない。言い分をよく聞こう」と心がけた。証拠提出された手記の草稿を読んで「よくあれだけのものを書けるな」と感銘を受けた1人だ。

 ただ、貧しさと無知に事件の原因を求める内容に違和感も覚えた。「彼は内省するんじゃなく社会に責任を向けた。その分だけ世間の同情は薄くなったのでは」と話す。

 一方、途中から審理に加わり、79年7月の死刑判決を言い渡した豊吉(とよし)彬弁護士(78)は「死刑と無期では差があり過ぎる。もし制度があれば、終身刑を選択した」と断言する。結果的に死刑を選んだが、死を望んでいたわけではなかった。3人の裁判官による合議では「こんな貧困があっていいのか。行政が何とかできなかったのか」と話し合ったという。高裁で無期に覆された時は「よかったと思った」と明かす。

 死刑判決は、被告の更生可能性を完全に否定する。立ち直りは期待できないから、生命を奪うことで償わせるしかない、という理屈だ。では、永山元死刑囚のケースは、どう評価すべきなのか。

 豊吉さんは元死刑囚を「永山さん」と呼んで振り返る。「拘置所は本でいっぱいで、永山さんは外国語の原書も読んでいた。人間って努力するとすごいと思った」。畏敬(いけい)の念すら抱いているように見えた。

 【ことば】永山基準

 最高裁第2小法廷が83年7月、永山元死刑囚に対する判決で示した。(1)事件の罪質(2)動機(3)事件の態様(特に殺害手段の執拗=しつよう=性、残虐性)(4)結果の重大性(特に殺害された被害者の数)(5)遺族の被害感情(6)社会的影響(7)被告の年齢(8)前科(9)事件後の情状--を総合的に考慮し、刑事責任が極めて重大で、やむを得ない場合には死刑選択も許される、とした。

最新記事【2008年03月16日】

FLASHで死刑囚の特集展開 反響を呼ぶ - Ameba News [アメーバニュース]

http://news.ameba.jp/domestic/2008/03/11985.html

3月15日 14時00分

鳩山邦夫氏が法務大臣に就任して以来、精力的に死刑が執行され、改めて死刑に対する国民的な関心が高まっているが、写真週刊誌『FLASH』(光文社)が立て続けに死刑囚をテーマに取り上げ、その特集が好評を博している。

 『FLASH』はまず2月26日号で死刑確定囚を特集。さらに「大きな反響があった」として3月11日発売の最新号で、未確定の死刑囚について特集している。

 誌面によると、現在死刑が求刑され係争中の被告人は62人。内訳としてはオウム真理教の8人が目を引くほか、暴力団関係者が12人、女性が5人、犯行当時少年だったものが3人おり、その他、和歌山毒入りカレー事件、埼玉愛犬家殺人事件など、世間を騒がせた数々の事件の被告人が名を連ねている。

 年ごとの死刑確定者数は長らく一桁台で推移していたが、2004年以来毎年二桁の数字が続いており、今年もすでにオウム真理教の林泰男死刑囚、三島女子大生殺人事件など3件の死刑が確定している。死刑確定囚もここ5年間で倍近くになっており、厳罰化の傾向は強いが、来年度予定通りに裁判員制度が導入されれば、一般市民が死刑判決を下す可能性は十分にある。誰もが「死刑」というものと向き合わざるを得ないのが現実の今、死刑関連の特集は今後も各所で見られることになるかも。

最新記事【2008年03月15日】

「死刑存廃議論の沸騰のなかで 一九七〇―八〇年代フランス」「死刑をめぐる幾つかのパラドクス」など、読み応えがあるのでお勧めします。"


現代思想 2004年3月号 特集 死刑を考える

モリのアサガオ 1―新人刑務官と或る死刑囚の物語 (1)  郷田 マモラ (著)

出版社 / 著者からの内容紹介

死刑を執行する側とされる側。新人刑務官・及川直樹と死刑囚・渡瀬満の禁断の友情を通じ、死刑制度の<今>を描ききった衝撃の問題作!!

一気に読めます!, 2005/1/26

By しろちゃろう - レビューをすべて見る

彼のお話は、ドラマにもなった、「きらきらひかる」という検死官の漫画も読んだ事がありますが、独特のタッチで(どうやら面相筆で書いているらしい。)時々、気分が悪くなっちゃうので、苦手でした。

でも、これは面白かったですよ~。

思わず、一気に読んでしまいました。

あの独特のタッチが本当に話の内容とマッチしているし、

誠実に死刑という制度に正面から向き合って描こうとしているのも伝わってきます。

真面目な話なのに、ところどころ、ほのぼのとしているのも、

切羽詰まった状況設定だけに、上手く息抜きしてくれます。

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作者の熱い思いを受け止めよ, 2007/12/20

By 鰻 - レビューをすべて見る

子供だましの空疎な内容の大人向け漫画がほとんどの中で、

この漫画は、「大人」が読むに値する稀有な作品である。

一気に七巻を読破したが、この満足感は何年ぶりだろうか。

郷田マモラさんありがとうございました。

久々に読むに値する漫画に出会えました。

これから読もうとする人に一言。この漫画は死刑の賛否とい

うテーマにとても収まりきりません。

そのような黒白の議論が展開されているとの先入観は捨てて

読みましょう。 このレビューは参考になりましたか? (報告する)


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魂のキャッチボール, 2007/10/8

By 斉藤健志 (神奈川県) - レビューをすべて見る

かつて少年野球のヒーローとしてその名を知られた殺人犯渡瀬満と、彼に秘かな憧れを抱く刑務官及川直樹との出会いから別れまでの成り行きを主軸に、一人の新人刑務官が拘置所という「森」の中で処刑の日を待つ様々な個性溢れる死刑囚たちと出会い、心の葛藤を経ながら死刑制度の是非に向き合ってゆくドラマチックな長編漫画。死刑制度を無条件に否定する立場に安住すること無く、と言って観念的に死刑の存在を肯定するでもなく、処刑する側もされる側も生身の人間であることを丁寧に描きながら、我々に問題提起する作者の真摯な姿勢に好感が持てる。渡瀬の最後の願いは永遠に叶えられることはないだろう。しかし、二人の『魂のキャッチボール』の音だけは読むものの心に永遠に響き続けるはずだ(H19.9.17)。

"「あなたの家族が殺されたとしたら?」という廃止派へのよくある質問に困らされている全ての人に、本書所収の「呪いのコミュニケーション」を読むことをお勧めします。"

子どもは判ってくれない 内田 樹 (著)

内容(「BOOK」データベースより)

正しい意見を言ったからといって、人は聞いてくれるわけじゃない。大切なのは、「その言葉が聞き手に届いて、そこから何かが始まる」こと。そんな大人の対話法と思考を伝授。精神年齢の算出法から、敬意の受け取り方、呪いのコミュニケーションの避け方まで、話を複雑にし、「ねじれ」を活かす効用を伝える名著。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

内田 樹

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒。東京都立大学大学院博士課程中退。現在神戸女学院大学文学部教授。専門はフランス現代思想、映画論、武道論。フランス現代思想と武道に精通した独自の視点が注目を集める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


右から左へ受け流す思想家の、その身体技法を味わえ, 2007/10/1

By 倒錯委員長 "(別名)直毛怪人 キューティクルン" (大草原の小さな家) - レビューをすべて見る

内田樹という思想家は「固執しないことに固執する」あるいは「立場をとらないという立場をとる」思想家ではないだろうか。

彼がプチブレークした「九条どうでしょう?」ではその独特な切り口で「九条このままで何か問題でも?」という論を展開し一躍脚光を浴びた。

日本の外患内憂という内と外の統合できない、矛盾した状況。

矛盾を矛盾のまま維持しておいたことに戦後約60年の日本の平和があったというのが彼の結論だ。

この「矛盾を矛盾のまま維持しておく」こと。

この『子どもは判ってくれない 』にもその彼の思想的エッセンスが縫いこまれている。

例えば、売春の是非について。

売春という性の商品化から少女を守ろうという反対派の意見もありながら、

現に売春で飯を食っているセックスワーカーの人権はどうすればいいのか?という肯定派からの反問も出てくる。

この問題への彼の提言はいたってシンプル。

つまり「セックスワークで生計を立てている女性の人権を保障しつつも、少女たちを売春から守る」ということである。

いっけんこれは「何も言っていないではないか!」という気がしないでもない。現にそういっている知り合いもいる。

しかし矛盾した状況の矛盾した様をかみ締めること、それが彼の思想の根幹であるのではないだろうか。

そしてさらに突き詰めていけばそれは彼が、「世界は変えられない(変える必要がない?)」という経験的認識と

「変えられない世界、変えられない状況下でいかにましにふるまうか」という倫理をあわせもっているということではないだろうか。

ペシミスティックに聞こえるが、前者は彼自身あまり語らない(語りたがらない?)学生運動へのコミットに、

後者は彼自身が師匠と仰ぐホロコーストを体験した哲学者レヴィナスの思想に由来していると私は見ている。

卵が先か鶏が先か。両者がどのように結びついているのかはわからないが、今後も注目すべき思想家であることには間違いない。

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軸を持ちながら…, 2006/7/20

By あぶはち (大阪府) - レビューをすべて見る

小林よしのり氏の「ゴー宣」の中に、西部邁氏の見解として「思想家というのは、村はずれから村を眺めているようなものである」とあります。

時々村人から意見を求められたら、控えめに見解を述べてみて、村人の役に立てればラッキー。「こいつ何言うてるんや」と言われれば、またすごすごと村はずれに帰って行くのだ、と。

「子どもは判ってくれない」という本は、この西部氏の見解にぴったりくるようなイメージがあります。「大変大勢の方がこのようにおっしゃっていますが、ここは一つ、このように考えてみてもよろしいのでは?」と、あくまでも静かに、控えめに。

心のどこかに、このような軸を持ちながら、目の前のことを一つ一つ考えていきたいです。

Q&A 死刑問題の基礎知識 菊田 幸一 (著)

内容(「MARC」データベースより)

20問のQ&A方式で、死刑廃止運動ならびに法案の現況を各国の状況と比較しながら、死刑制度廃止についての基本的概念を提起していく。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

菊田 幸一

1934年生まれ。1957年中央大学法学部卒業後、明治大学大学院にて刑事法学を専攻。在学中に法務省法務総合研究所研究官補となり、64年に大学院博士課程修了。1975年より、明治大学法学部教授(犯罪学)・法学博士。2004年弁護士登録(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

死刑廃止論 団藤 重光 (著)

内容(「BOOK」データベースより)

わが国における死刑廃止運動の精神的支柱となっている名著。オウム事件などが突発して、死刑存置論が巻きかえしているなか、「今こそ死刑廃止を―人道的刑事政策の要望」を高らかにかかげた。全編に増補の筆を加えて、今までの3部構成から5部構成に拡大強化した第五版は、「決定版」ともいえる。

内容(「MARC」データベースより)

オウム事件などが突発して、死刑存続論が巻きかえしているなか、「今こそ死刑廃止を-人道的刑事政策の展望」をかかげた、我が国における死刑廃止運動の精神的支柱となっている書。全編に増補した決定版。


なぜ死刑はいけないの?, 2006/7/10

By 渡邉輝 (東京都) - レビューをすべて見る

ここ最近、被害者の家族が被告に対して

死刑を望んでいるというニュースが立て続けに2つ報道された。

事件発生自体はあ2つとも数年前だ。

事件発生当時のニュースの記憶はなく、今回の裁判判決の報道で

事件のあらましと、裁判履歴を知った。

片方は、妻と幼い娘が殺されてしまった事件。

旦那の不在時に自宅に押し入られ、

妻は強姦された挙句に殺され、

まだ赤ん坊の娘も床に叩きつけられ殺されてしまった。

もう片方は、6,7歳の少女が

強姦され、殺されてしまった事件。

事件の概要だけでも聞けば、

被害者の家族の心の痛みは、

筆舌尽くしがたく、

この世の苦しみの最上級レベルを極めているだろうと思う。

両裁判とも、原告は被告に対し強く死刑を望んでいたが、

無期懲役の判決が言い渡された。

上告をし、まだ裁判を続けるとのことだが、

もう事件発生から7~8年経っていることを考えると、

とてもやりきれない思いがこみ上げてくる。

これだけ虐げられてきた被害者見ると、

被告に対して死刑が執行されるのが然るべき処罰だというのが人情で、

それが一般世論として定着しつつあるように感じる。

殺されたから、殺し返すことでしかその罪を償えない。

そんな声が聞こえた気がした。

それに違和感を覚えて本書を手に取った。

法律・裁判が守るべきものは何か、

被害者の心の痛みをどう考えるか、

人間の命の尊さとはどういうことか、

そういうことを考えてみたくなったら、ぜひこの本を読んでみてください。

死刑の歴史的遷移や、世界各国の死刑に対する考え方も広く取り上げていて、

自分自身の哲学を深めるためにもお薦めの一冊です。

国際的視点から見た終身刑―死刑代替刑としての終身刑をめぐる諸問題 龍谷大学矯正保護研究センター (編集), 石塚 伸一


内容(「BOOK」データベースより)

龍谷大学矯正・保護研究センターでは、2002年2月1日、開設を記念して国際シンポジウムを開催した。テーマは、「国際的視点から見た終身刑:死刑代替刑としての終身刑をめぐる諸問題(Life Imprisonment from International Perspectives:An “Alternative” for the Death Penalty?)」である。本書は、このシンポジウムの記録である。パネリストには、ドイツからはフルダ大学教授ハルトムート=ミヒャエル・ヴェーバーさん、イギリスからはプリズン・リフォーム・トラスト事務局長ジュリエット・ライオンさんをお招きし、日本からは、元矯正実務家で、現在、龍谷大学客員教授である長谷川永さんと第二東京弁議士会所属の弁護士で、日本弁護士連合会人権擁護委員会委員でもある小川原優之さんをお招きして、「いま、なぜ、終身刑なのか」というアクチュアルな問題を国際的視点から検討した。

内容(「MARC」データベースより)

終身刑とその人権へのインパクト、イギリスにおける死刑廃止と終身刑の運用、終身刑導入論と日本弁護士連合会の対応等の論文を収録。2002年2月開催のシンポジウム「国際的視点から見た終身刑」の記録。



極刑の定義を改めて問い直すモラル欠如世代必読の書, 2004/1/8

By NoBodyfan@WorldWalker "WorldWalker" - レビューをすべて見る

個人的には大学での講義で受講可能な法律学、犯罪学、などを今の中学生世代から端的に社会の法律を教えるべきである、若くして犯罪を犯す輩は、無教養、無知、無学という常識の欠如がその要因でもある、モラル欠如時代と言われて久しい現代人必読の書

「麻原死刑」でOKか? 野田 正彰

出版社/著者からの内容紹介

~ 野田正彰、大谷昭宏、宮台真司、宮崎学、森達也、の錚々たるメンバーの発言に、松本サリン事件被害者、河野義行さんの談話を加え、さらに訴訟・精神鑑定等の資料を追加。麻原裁判の現在とその問題点が臨場感を持って分かる。

 この本は死刑廃止論の本ではありません。ただ、麻原被告が現在の昏迷状態のまま裁判が打ち切られ、死刑が確定すれば、この社会~~はオウム真理教事件から、学ぶ機会を失うことになる。4月13日現在は、すでに東京高裁の強引な職権発動によって控訴審が打ち切られ、弁護団が最高裁に抗議している状況。これも棄却されれば特別抗告、また棄却されれば死刑確定で、非常に危機的な状況。そうした事態の急展開に、追いついている編集です。2刷もすでに発注。ライブでことの進行を追っていま~~す。

 このまま、麻原死刑、「一件落着」でいいのでしょうか!?~

内容(「BOOK」データベースより)

本書は、二〇〇六年一月二二日に行われた、麻原被告弁護団によるシンポジウム、「こうするべき 麻原裁判控訴審」を記録したものです。


訴訟能力はあるのか、本当に詐病なのか。, 2006/5/3

By driven (東京都) - レビューをすべて見る

重い本です。麻原に面会した精神科医の話。最近一部メディアが報じたように麻原の訴訟能力に疑問があることはどうやら確かなようです。

なぜ司法は結論を急ぐのか。裁判は量刑を決めるためだけに行われるのではない。そんなことは百も承知。結局この精神鑑定なるものに100%の客観性を要求するのは不可能なのですから、鑑定結果の解釈は裁判所の「主観」が入る。

大阪教育大付属池田小の犯人の精神鑑定も例示され、訴訟能力・精神鑑定について大いに考えさせられる書。「麻原死刑」でOKか?本書を読んで疑問を抱く読者はわたしだけではないはず。 このレビューは参考になりましたか? (報告する)


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「こうすべき、麻原裁判」シンポジウムの書籍化, 2006/4/18

By インシャアラ "西方丸々" (神奈川県都筑区) - レビューをすべて見る

オウム事件以降の司法権力や、社会、世論の変容が様々な視点から論じられています。

麻原は本当に正常なのか? ニュースで見ているだけではわからない、裁判の状況、司法の現状が見えてきます。 このレビューは参考になりましたか? (報告する)


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麻原弁護人主催シンポジウム記録, 2006/8/28

By ビン・ラーディン (大阪市内) - レビューをすべて見る

 飽きっぽい私がたった一日で読めた程、内容的にはスリリング。かといって単純な死刑反対論ではない。弁護側の精神鑑定書を出した野田正彰氏の巻末の講演記録だけには「死刑廃止論」の論調が見て取れるが、全体としては日本の司法・検察批判である。良い点は発言者の野田、大谷、宮台、宮崎、森の各氏のスタンスが少しずつ違っている点だ。勿論一番熱がこもっているのは直接裁判に関わっている野田氏。特に巻末の「西山鑑定に対する意見書」での筆致の激しさは驚くほど。ただ批判されている当の西山鑑定書が一部しか掲載されていないせいで、論争の客観的な判定は望めない。

 かくも問題点が多い麻原裁判の進行についてはマスメディアがもっと注目して報道をすべきではないだろうか。きっと国民も注目する筈。

死刑の文化を問いなおす (死刑制度と日本社会) 森 毅 (著), なだ いなだ (著), 内海 愛子 (著), 吉田 智弥 (著), 新島 淳良 (著), かたつむりの会 (編集)

内容(「BOOK」データベースより)

1993年3月26日、3年4ヶ月の停止を破り、死刑が再開された。一度に3人の大量処刑であった。さらに11月26日、四人が処刑された。なぜ死刑はなくならないのか、死刑から私たちは何を学ぶべきか、死刑のある社会に生きることの意味を問いなおす。

内容(「MARC」データベースより)

93年3月、3年4ヶ月の停止後死刑が再開された。1度に3人の大量処刑であった。さらに11月、4人が処刑。なぜ死刑はなくならないのか。死刑から私たちは何を学ぶべきか。死刑のある社会に生きることの意味を問い直す。〈ソフトカバー〉

免田栄 獄中ノート―私の見送った死刑囚たち 免田 栄 (著)

内容(「MARC」データベースより)

獄中34年6ケ月、無実の死刑囚・免田栄は100人近い死刑囚たちを目前に見送った。冤罪を訴えながら処刑された人も少なくなかったという。雪冤に向けて獄中で書き綴った、死刑の実態を鋭く告発する決定版自伝。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

免田 栄

1925年熊本県球磨郡免田町で生まれる。現在、大牟田市に在住し、死刑廃止のための活動に携わる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

ニッポン監獄事情―塀の向こうの閉じられた世界 佐藤 友之 (著)

内容(「BOOK」データベースより)

わが国で刑務所や控置所に収容されている人は六万人弱。国際化を反映して外国人の受刑者も増えつつある。彼らは塀の中でどのような扱いを受け、獄中の日々を送っているのか。明治時代に制定された「監獄法」が今なお生き続け、憲法も人権規約も通用しない閉鎖された世界とは。警察の留置場(代用監獄)から拘置所、刑務所への過程を辿りながら、過酷かつ貧困な獄中処遇を明らかにし、世界の常識から遅れたニッポンの監獄事情を問い直す。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

佐藤 友之

1936年群馬県生まれ。東京経済大学卒業。雑誌記者を経て、現在、フリーのジャーナリスト(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


逮捕さ(パクら)れたときに困らない本です。, 2002/9/23

By ロバの王子 (福岡県) - レビューをすべて見る

 あなたが何かの理由で逮捕されるとどのような暮らしが待っているのかを,留置場,拘置所,刑務所の順でその衣食住や人間関係を分かりやすく書いた本です。おもしろいと思った事項を抜粋すると...

1 逮捕されても「弁護士をお願いします」では刑事は呼んでくれない。具体的な弁護士の名前を知っておくべき。

2 刑務所の食事は,現代日本の食生活と比較して穀類の割合が異常に多い。

3 刑務所では,特に歯の治療は事実上困難で,長期受刑者はたいていの人が歯を悪くしている。

 等々,一読しておくと,万一の収監されたときにも慌てないですむでしょう。また,諸外国の事例も豊富に掲載されており,我が国の監獄の人権意識の低さが具体的に分かる本でもあります。

 

 

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いかに非人間的環境であるか, 2004/7/17

By 糸音 - レビューをすべて見る

監獄といってもピンと来ない。

それが日常生活を送る大半の人々の感想であろう。それは監獄にはいるようなことをしないと思っている(思いこんでいる、信じている)と同時に監獄の閉鎖性によって外部に監獄の実状が知らされていないからでもある。

第1章「監獄への道」ではあなたが監獄へ送られるまでの過程を紹介している。法律では保障されている権利も実際には行使できない。それは法律の曖昧さから来ているものである。監獄に限らず日本の法律全般に共通する問題であるが、自由を奪われるという状況からきわめて切実な課題となっている。

第2章から第4章は監獄内部の生活の実態を述べている。

結論から言えば、いかに監獄が非人間的な環境であるかである。

これで「矯正施設」の実が上がるのか?

実態は「懲罰施設」の側面が強いのではないか?

そもそも矯正を本当に意図しているのか?

このような疑問が浮かび上がってきた。

しかし、監獄というのはそんなにも縁遠い存在であるのか。

本当にわたしたちは監獄や監獄的なものと関係ないのか。

監獄の問題を別世界の問題ではなく、同じ世界の問題として捉えていく必要があるのではないか。

このような世界が実在することには疑いはない。そのことを真摯に受け止める必要があるであろう。

死と生きる―獄中哲学対話 池田 晶子 (著), 陸田 真志 (著)

内容(「BOOK」データベースより)

生きるべきか、死ぬべきか。殺人犯と哲学者。「善く生きる」ために…息詰まる言葉(ロゴス)の劇(ドラマ)。

内容(「MARC」データベースより)

この世で「善く生きる」とは? 息詰まる言葉のドラマが始まった。死刑判決を受けたSMクラブ経営者殺人犯人と気鋭の女性哲学者による、懊悩する魂の遍歴の果てからの往復書簡。


明日死ぬならこの一冊, 2006/7/9

By 十三丁目の野良猫 - レビューをすべて見る

殺人犯・陸田真志は自分の罪の重さと死刑への恐怖から逃れようと、拘置所の中で読書に没頭する。そしてある時、池田晶子の著書を手にした事が切っ掛けとなり、ある「何か」を理解する。

「生と死」「善と悪」を巡り、哲学者と殺人犯の間で交わされる往復書簡。繰り返される極論と極論のせめぎ合いは、読む者の精神にも一定の強度を要求する。覚悟の無き読者は凄まじい拒絶反応を起こすだろう。読者が目にするのは、人の命を奪い、自らも死刑という死と直面している人間の書いた言葉である。

平易な言葉で書かれた文章でありながら、語られた言葉を目で追うだけではその本質を捉える事は難しい。読み解くためには、社会経験・知識・高度な価値観などではなく、正直さと忍耐、それから「心の柔らかさ」のような能力が要求される一冊だ。

全てのものは「在る」だけなのだ。「無い」ことは出来なかったのだ。そんな世界の同時性に「あ!」と気付いてしまった人になら読めるはず。 このレビューは参考になりましたか? (報告する)


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人類の深淵に潜む怖ろしい力に掴まれた男, 2008/2/18

By chuang-tzu "silikat" - レビューをすべて見る

 書によれば、陸田氏は心理学を嫌っているのが解る。

 ぜひ、この書を読む前に、心理学者の河合隼雄の『コンプレックス』を

熟読される事をお勧めしたい。(できれば『影の現象学』も合わせて)

 なんという事だろう、河合隼雄が述べている、エディプス、プロメテウス、元型

といった事柄と、陸田氏の告白、行動が見事に重なってくるではないか!

 つまり、陸田という男は自分でも知らないうちに、無意識の深淵に存在する力に

掴まり、それに動かされていたのだという事が理解されるであろう。

(もちろん、本人は否定するであろうが)

つまり、彼の犯罪には無意識の深淵に潜む「人類の憎悪」の力が働いていたのかもしれないのだ。

 

 繰り返しになるが、ぜひ、この書を読む前に《だまされた》と思って、上記した河合隼雄の

本を読んでほしい。ウソツキクラブの会長でもあった河合隼雄に「やられた」と思わされる事に

なるであろう。

死刑囚の記録 加賀 乙彦 (著)




作家と死刑囚とのあいだの対話の記録, 2004/3/15

By 簿記受験生 - レビューをすべて見る

加賀乙彦氏は、現代日本を代表する小説家であり、精神医でもある。東京拘置所の精神科医官となり、多くの死刑囚と面接する立場になった。この作家は、死刑囚たちが置かれている極限的状況下の心理を分析し、報告している。精神医として死刑囚たちの様々な異常心理、病的状態を科学的に観察する態度を保ちつつも、実際に拘置所で創作に目覚めた死刑囚と文学談義をしたり、信仰に目覚めた死刑囚と人生、宗教、神について語り合ったりして、人間的な絆が結ばれたこともあったことも伝えている。最後に死刑囚と無期囚の違いが吟味されるが、実はこの点は、著者が範とするドストエフスキーの創作の秘密と深く関わっているので、同じ中公新書の著者の『ドストエフスキイ』も合わせ読まれることをお勧めする。 このレビューは参考になりましたか? (報告する)


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死刑囚の実態, 2001/12/12

By お客様

精神科医の著者が、死刑囚がどのような精神状態になるかを

淡々と述べている。特にここに出てくるクリスチャンの死刑囚との交流が

後の彼の著書「宣告」を生んだ。

いつ死刑になるかわからない、という精神的に追い詰められた状態にある

死刑囚の描写は、ときに本から目をそむけたくなるほど、ショッキングだった。 このレビューは参考になりましたか? (報告する)


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精神科医という視点から見た「死刑廃止論」の基本文献のひとつ, 2005/11/19

By 灰色のアルベリヒ (横浜市港北区) - レビューをすべて見る

先日古い本を整理していて発見、一気に再読した。

東京拘置所で精神科医として多くの死刑囚と接してきた著者の、「死刑執行に至る拘禁状態」という独自の視点から死刑の廃止を求めた書である。

購入は発行間もない時期である。発行以降の二十余年を振り返ると様々なことがあった。

まず免田さんをはじめ、再審で死刑から「帰還」を果たした人が何人も出た。

さらに私にとって最も衝撃的なのは本書にも登場する戦後の日本法医学の大権威とされた人物の数多い「血液鑑定」が、その死後になって(!)事実上「捏造」であることが明らかになったことである。

にもかかわらず、いやヨーロッパ諸国から期限付きで死刑制度の再検討を米国とともに求められながら日本は無視し、「死刑制度維持」の意思表明としてここ数年は毎年1~2人の死刑執行を行っている。

しかも議論を避ける為に国会の休会時に執行するのが常態化した。想像するに今の拘置所では死刑囚は国会の閉会・延長にも過敏になっているだろう。

本書は発行後四半世紀を経たし極めてユニークな立場からのものではあるが、読んだ方はお解りのように随所で著者が検討している被告に対する「精神鑑定」の不確実さとあわせて、「死刑廃止」に関する基本文献のひとつとしての地位は失っていない。

むしろ、前述のように死刑を巡る「科学的鑑定」の不確実さという点では現在の方が多くの問題点を提起しており、輝きが増しているように思う。

法務省は死刑制度維持の理由として「国民のアンケート」が維持多数を示していることをあげるが、死刑廃止国(事実上の廃止も含め)の多くが民意に「反して」、高度な政治的判断として「廃止の道」を選んでいる。日本より先に廃止への道を選択した韓国もそうである。

が、悲しいかな、我が国の国会は「議論の場」としての機能を殆ど失っている。

このページを見られるような理性的読書人に是非購読して、この大問題に向き合って欲しいと願う。

島田事件―死刑執行の恐怖に怯える三四年八カ月の闘い 島田事件―死刑執行の恐怖に怯える三四年八カ月の闘い 伊佐 千尋 (著)

死刑廃止を考える 菊田 幸一 (著)

出版社/著者からの内容紹介

凶悪な犯罪者は死刑に処せられるべきか? その残虐性や誤判の危険性が国民に知らされていないなかで,世論の報復感情は死刑存続の根拠となりうるのか.外国との比較など最新データをもりこみ死刑廃止を訴える.

内容(「MARC」データベースより)

死刑制度についての廃止論者と存置論者が長く論争をしており、もはや論じ尽くされたものとされているようで、単なる感情論との声もある。本書は死刑は悪であり、存置論者を説得しなくてはならないという著者の死刑廃止論である。


参考になりました, 2004/10/12

By 風飛 - レビューをすべて見る

社会の調べ事で使わせて頂きました。

僕は死刑賛成なのですが、こちら側から見ても納得できる部分が多かったです。

難しい表現も多くないので、読みやすかったです。

死刑に関心がある方、一度読んでみては如何でしょうか。

極刑 死刑をめぐる一法律家の思索 スコット・トゥロー (著)

内容(「MARC」データベースより)

「推定無罪」などで知られるリーガル・サスペンス作家であり、弁護士でもある著者が、米国イリノイ州死刑諮問委員会での経験をもとに著した、死刑制度容認から死刑廃止へと至る心の軌跡。

死刑存廃論という迷宮への招待状…, 2006/2/25

By kagekiyo - レビューをすべて見る

本書は『推定無罪』などでお馴染みの弁護士作家、

スコット・トゥローの手になる「死刑廃止論」と言えましょう。

地元イリノイ州の知事の意向を受けて設けられた有識者会議での経験を通して、

著者がいかにして死刑廃止に傾いたかの思索の軌跡が描かれています。

論点は冤罪・被害者・国家による殺人・道徳・代替刑・陪審制(順不同)など、

幅広く取り上げられており、

トゥローの思索が丁寧に展開されています。

同時に読者は、我々が常に進んでいると錯覚しがちなアメリカのシステム、

特に本書では司法制度が、

いかに多くの問題点を抱えているかを目の当たりにすることでしょう。

本書は非常に読む価値のある本ですが、

欠陥があるところは訳者も解説で触れており、

私も賛同します。

また、上手に表現できませんが、個人的に、

著者は、抽象的な正義の実現にこだわるあまり、

遺族感情など、人間のドロドロした部分への洞察が若干薄くなってしまっているように感じました。

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死刑制度とアメリカ司法を知ることが出来る本, 2006/8/9

By 清高 (仙台市) - レビューをすべて見る

この本の内容

アメリカイリノイ州死刑諮問委員会で活動したスコット・トゥロー氏(リーガルサスペンスの第一人者)が、死刑肯定から死刑廃止に至るまでの思考の軌跡を書いた本である。

この本の長所ならびに短所

1、6章から12章において、死刑制度に関する論点がほぼ出尽くしており、読者の参照に資する出来であるところ。

2、著者の心の動きが追体験できるところ(もっとも、死刑廃止論を期待している読者を裏切っているという意味で、短所ともなりうる)。

3、慎重かつ大胆な議論の展開(特に第8章「被害者」)。

4、アメリカの司法制度全般の問題点を垣間見ることが出来るところ。

結論―長所および短所2、で書いたような欠点もあるが、星を落とすほどではないし、死刑制度を冷静に論じ、かつアメリカの司法の一端を知ることが出来るいい本なので、星5つ。 このレビューは参考になりましたか? (報告する)


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死刑の現実とどうむきあうか, 2006/2/20

By かがりひらく - レビューをすべて見る

2003年、保守派のイリノイ州知事ライアンは、同州の死刑囚に一括恩赦を与えた。なぜ彼はそうしたのか?「推定無罪」などのベストセラー作家スコット・タローももともとは死刑については「是々非々」の態度だった、しかしイリノイ州死刑諮問委員会のメンバーとして討議や検討を重ねるなかで、次第に考え方が変わっていく。本書でタローが考察していく論点や主張は決してオリジナルなものではない。興味深いのは死刑賛成派であっても、現実の死刑のなされかたや、死刑囚の実態を知れば、まじめな人間ならば少なくとも躊躇をおぼえざるを得ないのではないかということが、ドキュメンタリータッチで説得的に描かれていくことだ。執行数は相対的に少ないもものの、日本は米国と並ぶ「死刑大国」である。本当に死刑は必要なのか、それを考える上でとても有益な本だ。

死刑執行人の苦悩 大塚 公子 (著)

内容(「BOOK」データベースより)

「なぜ殺さなければならないのか」…。執行という名の下に、首にロープをかけ、レバーを引く刑務官と、ゼロ番区と呼ばれる舎房でその日を待つ死刑囚。徹底した取材を基に、あらためて死刑制度を問う衝撃のドキュメント。

それぞれの苦悩, 2002/7/27

By お客様

死刑囚を取り上げた本は多いが、執行する側の視点に立った本は少ないのではないだろうか。

世の中には様々な職業があるが、死刑執行人は小説か物語の世界の職業ではないかと思えるときがある。が、しかし死刑囚がいるからには死刑執行人も現実に存在するのだ。死刑囚が、悩み、苦しみ、怖れながら最後の瞬間を待つように、死刑執行人もまた、その最後の瞬間の訪れに苦悩している様子が、著者とのインタビューを通じて伝わってくる。死刑を受ける側も執行する側も、立場は異にしていても、どちらも苦悩を抱えている存在なのだと思った。

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説得力が欠けています, 2006/2/14

By こりん星人 - レビューをすべて見る

詳細な取材に基づいた名著であることは確かです。

しかし廃止論に傾倒しすぎたため、説得力がなくなっているのは残念です。

殺人者によって殺される死と、刑の執行によっての死を同次元で考えるのは

暴論です。「死」で一括りで捉えてしまうのでは、「人間は誰でもいつかは

死ぬので、殺人はその時期を早めただけにすぎない」という理屈に落ち着いて

しまいます。 このレビューは参考になりましたか? (報告する)


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こんないい奴を?, 2006/5/30

By yagi "やぎ" (青森県) - レビューをすべて見る

実際にに死刑を執行する刑務官の言葉というのはほとんど語られていないというのはうなずけるし、その意味では貴重な本だと感じた。

ただし、拘置所内で改心した死刑囚に対して、作中に登場する刑務官のほとんどが、「こんないい奴をなぜ死刑にしなければならないのか。」と発言していることには、少々閉口した。

また、業務とはいえ、他人の命を奪う苦悩は計り知れないが、それと死刑制度の是非とを結びつけるのは、短絡的ではないか。

死刑を執行する人々の言葉を読むことができたという点に1つ星をつけた。

死刑執行人の記録―知られざる現代刑務所史 坂本 敏夫 (著)

内容(「BOOK」データベースより)

刑務官の95パーセントは死刑台すら見たことがない!警察官も、検察官も、弁護士も、裁判官も、法務大臣も知らない死刑の実態。日本の刑罰の執行を専門家・死刑執行人が公開する驚愕のドキュメンタリー・ノベル。“刑務所を知りすぎた男”が、人間社会の縮図・塀の中の現状とその中でくりひろげられる刑務官、囚人の人間模様を描く話題作。

内容(「MARC」データベースより)

日本の刑罰の執行を専門家・死刑執行人が公開する驚愕のドキュメンタリー・ノベル。「刑務所を知りすぎた男」が、人間社会の縮図・塀の中の現状と、その中でくりひろげられる刑務官、囚人の人間模様を描く。

そして、死刑は執行された 合田 士郎 (著)

内容(「BOOK」データベースより)

死刑確定囚、異例の激増!87人(6月末現在)から100人超は必至の状況。元無期懲役囚・死刑囚棟掃夫の著者が見た誰も書かなかった死刑囚棟の現実。処刑室の凄惨。

内容(「MARC」データベースより)

死刑囚監房掃夫として多くの死刑囚と接し、彼らの最期を見届けた著者が綴る衝撃の手記。誰も書かなかった死刑囚の現実と処刑室の凄惨。死刑確定囚・最近の死刑執行など2006年6月現在の最新資料を加えた増補改訂版。

戦後死刑囚列伝 村野 薫 (著)

内容(「BOOK」データベースより)

私たちは「死刑」について、どれほどのことを知っているだろう。凶悪犯罪が多発する現状にあって、「人を殺した悪人が下される刑罰」といった大雑把な認識でしかないのではないか?ましてや、その対象者たる「死刑囚」たちの死にいたる個々の軌跡のいくばくかを知るものは少ないはず。死刑制度のさまざまな作用を浮かび上がらせる25人を中心に107人の死刑囚をトレースした傑作ドキュメント。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

村野 薫

出版社勤務を経て、現在フリーランス


読みやすさでは高評価, 2006/5/7

By s7girl - レビューをすべて見る

物語調で書かれており非常によみやすかった。時折後に死刑囚となる人物の犯罪にかかわる前の姿が垣間見られるところは評価できます。

しかし、主人公については詳しく書かれているが、ほとんど名前だけ出しました程度の死刑囚も多く、それについてはすこし残念でした。

身の毛もよだつ日本残酷死刑史―生埋め・火あぶり・磔・獄門・絞首刑・日本の残酷刑罰史 (パンドラ新書)

内容(「BOOK」データベースより)

日本の刑罰制度はどのように変わっていったのか。奈良時代から現代の死刑制度まで日本における残虐刑罰の歴史を、分かりやすく解説。刑罰制度から読みとる日本死刑史の闇の部分を探る。

内容(「MARC」データベースより)

奈良時代から現代の死刑制度まで、日本における残虐刑罰の歴史を、分かりやすく解説。帝銀事件の平沢貞通救援に半生を捧げた父と後継者の子息2代が、過去の死刑制度の歴史を分析することで、日本の残酷な死刑を告発する。

死刑の理由 井上 薫 (著)

内容(「BOOK」データベースより)

「極刑をもって臨むほかはない。」1983年の永山則夫第1次上告審判決から1995年まで、最高裁において死刑が確定したのは43件。詳細に記述された判決書をもとに、そのすべての犯罪事実と、一審、控訴審、上告審の各量刑理由をわかりやすくダイジェストした。行間ににじむ被害者の悲しみ、脚色されていない事実、計り知れぬ人間の「闇」―。死刑問題を考えるための比類なき一冊。

内容(「MARC」データベースより)

死刑確定全43件の事件の犯罪事実の概要を記し、裁判所における死刑の運用状況を具体的に知ることができるように、第一審、控訴審、上告審の各量刑理由を全文収録する。死刑存廃論議に一石を投じる公開資料。〈ソフトカバー〉

死刑判決, 2003/12/10

By 寒月庵 - レビューをすべて見る

 著者も書いているが、ここに取り上げられた事件は、(当然)実際に起こった事件であり、原判決から最高裁判決(これは概ね簡単)まで何度も裁判が行われているだけ有って事実経過の記述も詳細といえる。

 そこには死刑を求刑されるに至った人間の事情、中には言い訳さえ出来ないような不可解な事情やおそらくせっぱ詰まって冷静な判断が出来なくなってしまった人間の事情が記されている。これらの事実が自分のすぐそばで起きたり、自分が当事者になることが全くあり得ないと誰が自信を持って言い得るだろう。

 前書きにあるように私たちはインターネットなどを使えば仮名で書かれている事件の概要(加害者、被害者の実名を含む)を容易に知ることが出来る。そこから知り得た死刑囚の名前や犯行時、刑執行時の年齢を書き加えて読んでみた。何故彼らが命を絶たれなければならなかったのか?死刑制度廃止論者も、存続論者も、この一冊は必ず読んでから議論して欲しいという著者の願いを深く心にとどめることが出来た。

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死刑判決の裏側, 2003/9/15

By "u-1" - レビューをすべて見る

 「被告人に対しては極刑を以って臨むしかないと判断する」この判決が導かれた理由が、本書には43件記載されている。さらに、その理由については、実際の判決書を、著者が必要最低限の範囲で編集して、記載したものである点が斬新である。43件もの判決書を一気に読ませる本はなかなか無いであろう。

 今回、編集されたものとは言え、初めて判決書を読んで感じたことは、死刑の適用にあたっては、裁判所は想像以上に慎重であるということだ。もちろん、これは死刑という刑罰の性質を考えれば当然のことであるが、それを文庫と言う形でより多くの読者に伝えるということは非常に意義のあることだと感じる。

 但し、朝の通勤途上に本書を読むと、気分が暗くなってしまう。また、本書では被告人を初めとする関係者が全て匿名(被害者X等)になっているので、関係者が多い事件は頭が混乱してくるのが難点か。

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死刑という刑罰, 2004/7/13

By ミネルバのふくろう (Japan) - レビューをすべて見る

このレビューの作者: 裁判資料 死刑の理由 (-)

もし、「死刑」という刑罰について発言する機会があったりして死刑、という刑罰を考えるとき、「法律上ではこのようなものだ。」と、テレビや本などで分かっていてはいてもなかなか難しい感覚を覚えてしまうのではないでしょうか。実際私もこの本を読むまでは基本的な知識もないままただ感情的に「死刑」という問題を捉えていました。しかしこの本を読むことで基本的な知識だけでなく、その実際の理由を元に、よりリアルに「死刑」という問題に取り組むことが出来ました。

この本はまず「死刑」に関する基本的な知識を元に分かりやすく、「死刑の理由」を述べています。この本を読むことによって「死刑問題」についての「あなたの意見」を、いままでよりはっきりと、そして自信を持つことが出来るのではないかと思います。

死刑囚の最後の瞬間 大塚 公子 (著)

出版社/著者からの内容紹介

大久保清、小原保、片桐操、孫八……。世間を騒然とさせた十三人の死刑囚の最後を通して、ベールに包まれた死刑制度の実態に迫る。衝撃のドキュメント!(牧 太郎)


内容(「BOOK」データベースより)

戦後、我が国で処刑された死刑囚は六百人以上にのぼる。しかし密行主義といわれる現行の死刑制度の中で、我々は確定囚のその後を知ることは出来ない。彼らが処刑までをどのように生き、どのようにして人生を終えるのか…。二十年以上にわたり、“死刑”を追い続ける著者が、世間を騒然とさせた十三人の死刑囚の最期を通して、ベールに包まれた死刑制度の実態に迫る。衝撃のドキュメント。

人知れず訪れる最後の瞬間, 2002/7/27

By お客様

法務大臣が署名したので死刑が執行された。とか、死刑が確定したといったように「死刑」というキーワードはニュースで耳にしたことはあるが、それはその瞬間だけ通りすぎる多くのニュース達に紛れて、長い記憶に留まることはあまりない。それは、一人一人の死刑囚の顔も見えず、事件も時間がたっているせいもあるだろう。

この本では、それぞれの紙幅は少ないものの、死刑囚の生い立ちから事件の経緯、裁判の様子、そして最後の瞬間まで追いかけている。無味乾燥だった「死刑」という言葉がリアルに感じられるようになり、人知れず訪れる「死刑囚の最後の瞬間」に立ち会ったような気がした。

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37 人中、26人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。

死刑は廃止すべきか?, 2006/3/28

キッズレビュー

 筆者は死刑廃止論者のようであるが、私はこの本を読んで改めて死刑は廃しすぺきではないと思った。まずこの本は死刑囚、又はその家族の視点でしか書かれていない。被害者やその遺族については触れられていない。確かに真摯に自分の罪を反省し、立派に刑死していった人が多いようだが、だからといってその人の罪が軽くなるわけでは決してない。

 この本とほぼ同時期に新潮文庫の「新潮45」編集の犯罪ドキュメントの本を数冊読んだのだが、その中に書かれている犯罪は本当にひどいもので、被害者は本当につらい、苦しい思いをしながら亡くなっている。その家族もつらく悲しい思いをしている。

 おそらく、筆者も、被害者側の視点から事件を見ていたなら、そして被害者や遺族の気持ちを考えることが出来るならば、死刑廃止などとは言ってられないのではないだろうか。 このレビューは参考になりましたか? (報告する)


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客観性がある, 2006/2/14

By こりん星人 - レビューをすべて見る

事件の背景から詳細に書いてあり、非常にわかりやすいです。

死刑囚が変わっていく過程もよく書かれています。非常に有用な情報を

提供してくれている書籍と言えます。また、著者は廃止論者ですが、幸い、

そのスタンスがこの書籍では前面に出ていません。客観性は保たれています。

主題は「真人間になっているのになぜ殺すのか」ということですが、私は

「死ぬ前に真人間に戻れたのはすばらしいことだ」という解釈をしています。

死刑囚自身の言葉にもそういう内容があります。死刑制度の光と影を両方

見せている書籍なので、読者の主義主張にかかわらず読むことができます。

死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う  森達也 (著)

内容紹介

知っているのに誰も知らない、僕らが支える「死刑」というシステム。

できる限りは直視したい。知ったうえで考えたい。

罪とは、罰とは、命とは、何だろう?

著者渾身の書き下ろし最新作。死刑をめぐる三年間のロードムービー。

内容(「MARC」データベースより)

生きていてはいけない人って、いるのだろうか。多くの人が死刑から目を逸らし続けるが、僕は直視を試みる。できることなら触れてみる。さらに揺り動かす…。死刑をめぐる3年間のロードムービー。



死刑制度を巡る旅, 2008/1/17

By サク (東京都) - レビューをすべて見る

死刑制度存置派の人よりも,廃止派の人よりも,何より「死刑」について深く考えたことのない人に読んで欲しい。

僕もその一人です。著者の森達也さんもその一人。そして森さんは三年をかけて色々な人に会う。死刑囚,元刑務官,弁護士,被害者遺族,存置派,廃止派・・・。

人間だから,いや人間だからこそそれぞれに考えが違う。そして森さんも悩む。

その悩みや揺れ動きが森さんらしく素直に表現されている本です。

この本を読んだからといってすぐに「廃止」や「存置」という結論は出ないと思います。

でも「死刑制度」は日本の主権者である僕らが「支持」しているから続いています。

この制度をこれからどうしていくか?少なくともその答えのきっかけがこの本にはあると思います。 このレビューは参考になりましたか? (報告する)


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考える, 2008/1/21

By ミア - レビューをすべて見る

私もここ数年ずっと死刑制度について考えていて、存置なのか廃止なのか自分が納得出来る答を出したいと、読んで、聞いて、調べて、ずっと探しているけどまだきちんとした答には辿り着けずにいます。死刑の森は本当に暗くて奥深い。この本を読んでもまだ心は決まりません。でも一人一人が(死刑問題に限らず)きちんと自分の頭や心で考え、他者の痛みを想像する事が今(だけではないのかもしれませんが)の世の中には少し欠けていて大切な事なのだと思います。被害者遺族の方の「存置派も廃止派も良い社会への願いは一緒で同じ頂上を別のルートで目指しているだけだと思う」という言葉には強く心を揺さぶられ、その事件や彼の苦悩を思い涙が出ました。

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悩ましき問題, 2008/1/19

By リヨン - レビューをすべて見る

細かい心理描写で、著者の心の揺れ動きに触れることが伝わってくる。

死刑の是非を考え抜こうとする姿勢に、読者も同じ経験をしているかのような、そんな錯覚をおぼえた。

死刑は、極刑としてあった方がいいと漠然と思っていたけど、死刑の是非を問う以前、あまりに無知だったことに愕然としている。

簡単なことではないので、もっともっと考えるべき問題。

死刑囚最後の1時間 (別冊宝島 1419)


死刑制度について考察出来る入門書, 2007/7/23

By naonao-703 (京都市) - レビューをすべて見る

ヨーロッパ諸国やロシアで死刑制度が撤廃されたが、日本では死刑制度について論じるどころか無知なままだ。100人を超える生ける死刑囚が日本に存在し、これからも増加していきそうな日本社会で、被害者感情を壁にしたままでいいのか今一度考えたくてこの本を手にした。

本とはいっても死刑囚1人に対し2ページで事件経過と最期を読むのは、考察するには分量は少ないかもしれない。だが、これほど多くの人が死刑囚である多少なりとも実感が伝わった。

無期懲役と死刑判決のあいまいさ、廃人状態になった肉体に留めを刺す刑の施行。

国が支配体制の中で死刑制度を撤廃出来ない理由は被害者感情だけなのか。

私はこの本で真摯にこの問題に向き合う姿勢になった。

死刑制度に対する入門書としていいと思う。

死刑はこうして執行される (講談社文庫) (文庫)

村野 薫 (著)

内容(「BOOK」データベースより)

いま、日本では「国民世論」を背景に死刑判決が急増している。「遺族の感情」と「冤罪の可能性」とがせめぎあうなか、かたくなに死刑制度を維持しようとする法務当局の姿勢は何を意味するのか。個々の犯罪事例を収監から絞首刑までの具体的なプロセスにメスを入れ、議論のベースを提供する。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

村野 薫

1948年伊勢市生まれ。出版社勤務を経て84年よりフリーランス。『明治・大正・昭和・平成事件犯罪大事典』(東京法経学院出版)や『殺人百貨店』(別冊宝島)などの編・執筆をはじめ、事件・犯罪に関する著作等を執筆(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


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非常にストレートな一冊です。, 2006/7/17

By エンジェル - レビューをすべて見る

タイトル通り、まさに日本の死刑とはどんなものか、

死刑囚たちは何を思い、「その日」を待つのか、

そして、死刑とはどのように執行されているのかがストレートに書かれており、

非常に興味深い一冊でした。

現在の日本でも、死刑廃止、続行・・・それぞれの価値観により、色々な意見があります。

個人的には、死刑とはやはり罪の償いのひとつの選択肢であるとは思います。

ですが、死刑を執行するのも同じ人間であるというのは、

何とも心苦しい現実であり、

死刑を実際に執行し、また、その「後始末」をする人間の立場というのも、

仕事とはいえど、なかなか酷なものであると感じました。

そのあたりのジレンマなども、この本では少し触れられています。

ある日「今日死刑執行です」と言われ、一生を終える・・・・・

勿論死刑囚なので、それが当然とはいえど、とても残酷な現実です。

それなら、執行されるまで何年も、生きた屍状態で拘留しておくよりは、

死刑判決が出て三日後くらいに、即座に執行してしまったほうが、

死刑囚の心の負担も軽いと思いますし、

税金の無駄にもならないのでは?と思いますが。。。

死刑をすぐに執行しない理由のひとつに「冤罪の可能性」というのがありますが、

死刑判決までに年数を費やして何度か裁判も行われているのに、冤罪などあるのかは疑問です。

現在、死刑確定から執行までに平均五年、というのは、非常に長いと思います。

今も「その日」を待つ死刑囚は、塀の中から明日の光に怯えながら生きているのです。

そして明日にでも、もしかしたら突然の宣告を受ける死刑囚はいるのかもしれません・・・・・。 このレビューは参考になりましたか? (報告する)


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死刑制度を国民が考える必要性, 2007/11/4

By プラト (秋田県秋田市) - レビューをすべて見る

この本の一番の要点は、死刑制度が官僚の手によって必死に守られているという事実です。

「執行しなければなくなってしまう」

「法務大臣に何としてでもサインしてもらう」

その流れの中で、死刑がいかに行われていくかを辿っていく著作です。

途中、日本の死刑制度が持っている他の問題点も指摘しています(死刑囚への人権意識の低い対応、被害者への告知なし、恩赦の形骸化など)。

日本の死刑制度は問題が多すぎることを教えてくれます。

筆者は示していませんが、打開の鍵は「裁判員制度」にあるのでしょう。

死刑に賛成であっても反対であっても、読むことをおすすめします。 このレビューは参考になりましたか? (報告する)


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死刑廃止か賛成か、タイトルではっきりして欲しい, 2008/3/8

By アライグママ - レビューをすべて見る

他にも何人もいらっしっしゃり、 この筆者もですが、筆者が死刑賛成か廃止かのどちらを訴えたいかわからない曖昧なタイトルで本を出さないで欲しいです。

外国では、宗教と政治の話はかなりのタブーで、友達でも同じ信条の人の間でのみ語られるものらしいです。

それゆえにマスコミとして、公的立場で発言される方は、ご自身の機色を鮮明にして、無色の他人を洗脳するごとき本は書かないで頂きたいです。

初めて死刑について触れる本が本書の場合、引きずられる危険が高く、自ら考えて判断する入門書として買った購入者には迷惑と思います。

Amazon.co.jp: 元刑務官が明かす死刑のすべて: 坂本 敏夫: 本


内容(「BOOK」データベースより)

起案書に30以上もの印鑑が押され、最後に法務大臣が執行命令をくだす日本の“死刑制度”。「人殺し!」の声の中で、死刑執行の任務を命じられた刑務官が、共に過ごした人間の命を奪う悲しさ、惨めさは筆舌に尽くしがたい。死刑囚の素顔、知られざる日常生活、執行の瞬間など、元刑務官だからこそ明かすことのできる衝撃の一冊。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

坂本 敏夫

昭和22(1947)年生まれ。法政大学法学部中退。昭和42年、大阪刑務所看守を拝命し、以後、神戸刑務所、大阪刑務所、東京矯正管区、長野刑務所、東京拘置所、甲府刑務所、黒羽刑務所、広島拘置所等に勤務。平成6年3月まで法務事務官として奉職。映画「13階段」のアドバイザーも務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


最も参考になったカスタマーレビュー

40 人中、35人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。

「当事者」としての死刑, 2007/2/25

By 丁三 (千葉県) - レビューをすべて見る

映画の『13階段』をみて、

本書の著者の坂本氏がそのアドバイザーを務めたというので、

手にとってみた。

坂本氏は死刑執行に実際に携わったことのある元刑務官である。

死刑の是非を問う議論は世にかまびすしいが、死刑の当事者は限られている。

犯罪被害者の家族、死刑囚、死刑囚の家族、そして忘れがちであるが、

死刑を実際に執行する公務員、すなわち刑務官である。

本書のいちばんの特色は、頭のなかの理屈ではなく、

目の前の現実として死刑を受け止めなければならない

当事者たちの視点から書かれている点である。

クリスマスに死刑執行を命令された刑務官の気持ち、

まさに死刑を執行される死刑囚の気持ち、

当事者ではないが、死刑反対運動に巻き込まれて、

つらい思いをする刑務官の家族の気持ちなどを

ていねいに描いている。

だからといって坂本氏は単純に死刑反対、というのではない。

一家4人を惨殺して死刑判決をうけながら、

反省の色も見せず「自分も国に殺される被害者だ」と嘯く死刑囚や

精神異常を装って死刑から上手に逃れてみせる卑劣な犯罪者の様子は

読むものに心底、怒りを感じさせずにはおかない。

死刑制度の当事者になるという経験は、世にまれである。

ほとんどの人は、死刑を身近に感じることなく、平穏に一生を終える。

だから、死刑是非論はどうしても論理先行、理念先行になりがちだが、

本書はそこに「当事者」という名の一石を投じる。

社会制度を議論するのに、当事者でなければ資格がないとはいわないが、

しかし、正義や理念、理想だけが先行する議論はどこか空疎である。

その意味で、死刑の当事者、死刑の現実をこれでもかと書き並べた本書は、

議論としてのまとまりには欠けるものの、いわくいいがたい何ものかを残す。

良書とも名著とも少し違う、

しかし、読んでおくべき本のひとつであることは

おそらく間違いない。 このレビューは参考になりましたか? (報告する)


25 人中、22人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。

秀逸ではないが生々しい, 2006/11/23

By ナカヤンJP - レビューをすべて見る

殺したい相手を「誰か」に殺させるのが死刑制度。

その「誰か」が書いた本。

死刑制度について語る前に読んでおきたい。

死刑制度そのものの是非ではなく、実際に死刑が執行される現場とは

どのようなものなのか、それを執行するものの精神状態はどうなのか。

そんなリアルな現場の話が書かれています。

死刑が確定してから執行されるまでの間

・・・それは時には数十年にもなる・・・

その間を共に過ごしてきた人間が、いかに死刑囚が更生していたとしても、

命令がくれば拒否することも許されずに「職務としての殺人」を

行わなければならない苦悩。

作家が書いたような秀逸な文章ではないが、それだけに生々しさと

苦悩が伝わってくる。 死刑賛成の人も反対の人も、ぜひ読んでみて欲しい。 このレビューは参考になりましたか? (報告する)


22 人中、17人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。

刑務官のみた死刑囚, 2007/4/28

By きんぐ研究会一同 - レビューをすべて見る

 刑務官という我々にはあまり知られていない世界について知ることができる。

 元刑務官による視点が極めて多くのことを考えさせてくれるのが本書だ。

 むしろ死刑反対派にとっては耳が痛い書物であり、目を背けたい書物であろう。

 死刑囚が実際には反省してなどおらず、いかに狡猾に立ち回る者なのか・・。

 弁護士や人権派などがいう世界とは別の世界があることを深く痛感させられる。

 死刑が廃止されることによっていかに統治が崩壊しある種の人たちにとっては、

 犯罪のしやすい社会になるのではないかと思わされる。

 人はなぜ人を殺すのか、罪を償うことはできるのかということについても考えさせられる。

 多くの人に読まれるべき書物であると思う。

死刑廃止を論じている団体

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%AD%98%E5%BB%83%E5%95%8F%E9%A1%8C#.E6.AD.BB.E5.88.91.E5.BB.83.E6.AD.A2.E3.82.92.E8.AB.96.E3.81.98.E3.81.A6.E3.81.84.E3.82.8B.E5.9B.A3.E4.BD.93

アムネスティ・インターナショナル日本

死刑廃止を推進する議員連盟

日本弁護士連合会(日弁連)

死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム'90

死刑廃止を求める刑事法研究者のアピール

死刑廃止キリスト者連絡会

カトリック中央協議会

日本キリスト教団社会委員会

日本キリスト教協議会

日本カトリック正義と平和協議会

日本バプテスト連盟

東京拘置所のそばで死刑について考える会

東海アマチュア無線地震予知研究会

日本で著名な死刑廃止論者

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%AD%98%E5%BB%83%E5%95%8F%E9%A1%8C#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.A7.E8.91.97.E5.90.8D.E3.81.AA.E6.AD.BB.E5.88.91.E5.BB.83.E6.AD.A2.E8.AB.96.E8.80.85

日本国内の死刑廃止運動に、これまで積極的に参加・発言、あるいは死刑反対の立場から積極的な行動を行ったことのある人物の一覧(各項目内は五十音順)

政治家: 江田五月、大島令子、亀井静香、左藤恵、志賀節、杉浦正健、竹村泰子、鈴木宗男、田英夫、ロベール・バダンテール (Robert Badinter)、福島瑞穂、保坂展人、ジョージ・ライアン (George H. Ryan)

元裁判官: 団藤重光、坂本武志

弁護士: 秋田一恵、大谷恭子、海渡雄一、田鎖麻衣子、中道武美、安田好弘、野口善國、伊藤真、八尋光秀、正木亮

学者: 詳しくは死刑廃止を求める刑事法研究者のアピール参照。池田浩士(ただし裁判官に対する死刑は留保)、奥平康弘、菊田幸一(法学者・弁護士)、佐伯千仭、笹原恵、福田雅章(法学者・弁護士)、前田朗、ホセ・ヨンパルト(法哲学)、高橋哲哉、矢内原忠雄(経済学、東京大学総長)

宗教家: ヘレン・プレジャン(Helen Prejean)、カール・バルト、白柳誠一(カトリック枢機卿)、古川龍樹(生命山シュバイツアー寺)、廣瀬靜水(大本総長)、西郊良光(天台宗宗務総長)、熊谷宗惠(真宗大谷派総長)

作家: 大塚公子、加賀乙彦、アルベール・カミュ、坂本勉、島田荘司、立松和平、中山千夏、スコット・トゥロー、イーデス・ハンソン、辺見庸、道浦母都子、遠藤周作、森巣博、佐藤優

ジャーナリスト・報道関係: 鎌田慧、玉本英子

出版者: 深田卓

映画監督: 大島渚、山際永三、森達也

芸能関係: ピーター・バラカン

冤罪被害者: 免田栄(免田事件被害者)、河野義行(松本サリン事件被害者)

犯罪被害者: 山口由美子(西鉄バスジャック被害者)

元刑務官:戸谷喜一

その他: 菊池さよ子、三浦和義(国家による殺人には反対とする)、鈴木邦男、三浦光世、柳下み咲(アムネスティ・インターナショナル)、岩瀬浩太(アマチュア地震予知研究家)

日本で著名な死刑存置論者

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%AD%98%E5%BB%83%E5%95%8F%E9%A1%8C#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.A7.E8.91.97.E5.90.8D.E3.81.AA.E6.AD.BB.E5.88.91.E5.AD.98.E7.BD.AE.E8.AB.96.E8.80.85

日本国内で、これまでに積極的に死刑に賛成する活動を行った、もしくは死刑制度の存続に積極的な発言ないし死刑執行命令書にサインを積極的に行った人物。内容については本文も参照のこと。

学者:植松正(法学者)、竹田直平(法学者)

政治家:小林武治、稲葉修、後藤田正晴、長勢甚遠、鳩山邦夫など法務大臣経験者

弁護士:橋下徹(現大阪府知事)

作家:藤井誠二(少年犯罪被害を扱った作品の中で)

犯罪被害者遺族:本村洋

主な論点

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%AD%98%E5%BB%83%E5%95%8F%E9%A1%8C#.E4.B8.BB.E3.81.AA.E8.AB.96.E7.82.B9


日本において死刑が適用される犯罪[80]は殺人ないし強盗致死など人命を奪った事件に対してである。そのため酷い手段で人命を奪った犯罪者に対する法的制裁として犯罪者も、その生命をもって償わせるべきか否かの論争である。


[編集] 論争相関図

下記の表は正木亮の『刑事政策汎論』と、斉藤静敬の『新版死刑再考論』、藤本哲也の『刑事政策概論』で列挙されている双方の意見や書物や報道機関に掲載された意見をまとめると次のようになるといえる。

論点 死刑廃止論側の主張 死刑存置論側の主張

誤判の可能性 もし冤罪であった場合、懲役とは違い、一旦生命を失えば取り返しがつかない。財産や自由を失うことに比べて、命を失うことはそれ以上に取り返しがつかない。全部同じだと言うなら、殺人を特別に重く罰する理由がないことになる。 誤判が起こりうるのは、なにも死刑について限ったことではなく司法制度全体の問題点である[81]。長期間の懲役であっても、冤罪により失った人生は取り返しがつかない点で同じである。冤罪で一生を刑務所で過ごすのは死刑よりも惨いと論じることも出来る。希望がない終身刑受刑者の処遇は「終わり」のある死刑囚より難しい[82]。死刑を冤罪の可能性による廃止論を死刑だけに適用する論に整合性はない。

日本の世論の動向 死刑を執行されるべき犯罪者の人権の問題もまた少数者として、命の問題を考慮すべきであり、多数者の意見を重視して少数者を抹殺するのは誤りである。 数字に多少の変動があるが、死刑制度に対する世論調査では「存置」が常に多数意見[83]である。そのため国民世論の多数が支持している以上、死刑制度は必要悪である。

世情への影響 死刑は、人命を軽んじる風潮と人心の荒廃を招く。人が人を殺してはならないのは道徳の根本である。また、法律的にも人間の生命に対する冒涜である。凶悪犯といえども、その命を奪うことを法的に正当化することは出来ない。人心の荒廃によよって、凶悪事件が多発するようになるとすれば、本末転倒ではないだろうか。 凶悪事件に対する死刑は、国家が生命権に対する冒涜をいかに真剣に捉えているかを示すものである。人が人を殺してはならないのは道徳の根本であり、凶悪犯罪に対して死刑を適用しないのは、この根本的道徳を軽んじるものである。死刑、懲役、罰金は法律的に合法な人権の侵害であり、死刑のみを否定するのは法的制度的観点を無視した感情論である。犯罪者の人権を侵害して罰するのは刑法の基本である。この基本原理を否定するということは、法の意義そのものの否定、ひいては社会秩序の崩壊、国民の平和的生存権の侵害を招く。法秩序の維持のために死刑は必要である。

犯罪被害者 加害者の死刑を望まない被害者、被害者遺族の精神的負担が大きい。それに贖罪のために犯人を国家によって殺すことが、犯罪被害者及びその遺族にとって問題解決になるかどうか疑問といわざるを得ない。 加害者の死刑を望む被害者、被害者遺族の精神的負担も大きい。凶悪犯罪の犠牲となった被害者の遺族からすれば、加害者が死をもって贖罪したことに満足するものである。また加害者が死刑にならないなら私刑が増える危険性がある。被害者の遺族を納得させるためには死刑は必要な制度である。

犯罪抑止力 死刑は懲役と比較して有効な予防手段ではない。死刑の抑止効果が仮に存在するとしても、他の刑との抑止効果の差はさらに小さい。そのため、明確な抑止効果が証明されない以上、死刑にあると言われている犯罪抑止効果は科学的に怪しいものである。また死刑に相当する犯罪行為の目撃者を死刑逃れのため「口封じ」することさえある。 終身刑や無期懲役にしても、「統計的」には明確な抑止効果は証明されていない。

死刑の抑止力を肯定する統計も存在する終身刑や無期懲役が死刑と同等の抑止効果を持つことが証明されない限り、死刑を廃止すべきではない。また死刑の存在が累犯を防止する役割を果たす場合もありえる。

死刑制度の実効性 人の生命を永久に奪い去る冷厳な死刑と無期懲役とでは、差があまりにも大きすぎる。挽回不可能刑である。もし誤判で無実の者が死刑が執行されたならば、これ以上残酷なことはない。犯罪抑止の手段として死刑の抑止効果だけが強調されるのも奇妙である[84]。犯罪全般を減らすことに努めるのが先決だ。 無期懲役の仮釈放は近年相当厳しくなっており、死刑との間に、問題にするほどの隔たりは生じていない。また、「仮釈放の可能性のない絶対的な終身刑」は、むしろ死刑より冷厳であり、世界的に見ても稀な刑罰であるから、そのような刑罰を新たに設けるべきではなく、死刑を廃止する根拠にはならない。

世界の大勢 死刑は全世界で廃止の方向に向かっている。またEUは死刑存続国に対し価値観外交ともいえる政治的圧力を加えている。日本に対し欧州議会の欧州審議会議員会議が2001年6月25日に日本に対して死刑囚の待遇改善および適用改善を要求する1253決議を可決している。この決議では死刑の密行主義と過酷な拘禁状態が非難されている。また国連総会も死刑執行のモラトリアム決議(2007年12月18日)を可決している。死刑存置国への国際世論の風当たりは強まっている。 死刑の復活および廃止は歴史上日本だけでなくほかの国でも起こっている。現時点の傾向が死刑廃止に向かっているという事実と死刑が正義であるかという問題は無関係。多数派が正しいとは限らない。死刑制度存続は日本国内問題であり国際世論の動向を理由にするのは「内政干渉」である。

憲法解釈 死刑は、日本国憲法第36条の残虐な刑罰にあたり許されない。殺人に「残虐な殺人」と「人道的な殺人」とが存在するのだとすれば、かえって生命の尊厳を損ねる。時代に依存した相対的基準を導入して「残虐」を語るべきではない。そもそも「人道的な殺人」など有るものだろうか。 日本国憲法第36条の残虐な刑罰とは火炙り、磔刑などを指し死刑はこれにあたらない。(最高裁判所大法廷昭和23年3月12日判決)としている。また自由権を拘束する懲役にも、長期の独房禁固などの残虐とされる懲役とそうでない懲役が存在する。よって、死刑・懲役そのものが存在するからといって、自由権や生命権の尊厳が損ねられるわけではない。「残虐」の相対的基準は、死刑と懲役の両方に導入すべきである。法において、刑が犯罪行為で無いのは自明の理であり、「人道的な死刑・懲役」と「残虐な殺人・禁固」などという相対比較は成り立たない。

判例 死刑を合憲とした最高裁判決は敗戦後間もない1948年(GHQ占領下にあり極東国際軍事裁判が行われていた)のものである。「残虐な執行方法」の概念は変わってゆく(絶対的ではない)ものであり、いわゆる死刑廃止条約(国際人権B規約第2選択議定書)の発効により、世界的な状況は大きく変わっている。この判決をもって死刑が未来永劫まで合憲であり続けることはない。現代の感覚では法律に定められた行為とはいえ、人の命を奪うことを正当化出来るとは思えない。 判決が述べている「法律が制定されるとするならば」「違反するものというべき」といった仮定に基づいて現行の死刑制度を不当なものであるとするのは誤りである。

社会契約論 社会契約を認める立場は、国家は国民の生命を奪う権利を持たないとする。死刑は、国家権力が都合の悪い人間を不当に排除するのに都合のいいシステムであり、民主主義の精神、立憲主義の精神に反するシステムである。構造主義以降の思想家は概ね死刑に反対している。 啓蒙時代の思想家のうち、民主主義による社会契約論と自然権を定義したジョン・ロックなどは、生命権と自由権を侵害する犯罪行為に対して懲役と死刑を主張している。『人を殺したる者はその生命を奪われるべし』は国民の法的核心である。独裁国家が弾圧の一環として行う政治犯などに対する死刑と、民主主義のもとで凶悪犯罪者に対して行われる死刑は全く別である。

人権 人はすべで人権を持ち保障されている。国家は日本国憲法第11条でこの人権を保障しているにもかかわらず、国家による殺人である死刑制度は国家による人権侵害行為であり矛盾する。 懲役は自由権の侵害、罰金は財産権の侵害であるが死刑反対派はこれも憲法違反であり廃止を主張するのであろうか。人権を守るために法の下に行われる懲罰(人権侵害行為)は死刑、懲役、罰金をふくめて憲法上問題なし。国連の人権宣言でも法の下に行われる懲罰を否定していない。生命権を守るための死刑は必要。さらに人権論の枠組みから外れるが殺人の報復を死刑で行うのは正義である。

犯罪者に対する効果 死刑という刑罰は、犯罪を犯した容疑者が、「逃亡・自殺・再犯」を選択する要因につながる。 それは死刑に限ったことではなく、どのような刑罰であっても起こりうる。法定刑に死刑が規定されていない犯罪を犯した容疑者が、「逃亡・自殺・再犯」を選択しているケースも現に存在している。

死刑の適用目的 死刑は貧困者に対して多く課せられることが多く身分刑的一面を有する。また少数者に対する差別である。 反対論は死刑が個人の社会的地位に関わらず平等、公正に科されるべきであるという正論を詭弁に摩り替えている。

行刑設備の負担 もはや生きる希望のない死刑囚を収容する独房の看守や死刑を執行する職員の精神的負担が大きい。また処刑場の維持管理に多額の経費がかかる。 死刑を宣告されるような凶悪犯を収容している刑務所の職員の精神的負担も大きい。それに死刑は終身刑に比べ経費が安くすむ。


[編集] 各論

[編集] 犯罪抑止効果

死刑廃止論者は、死刑は懲役と比較して有効な予防手段ではないとしている。また死刑の抑止効果が仮に存在するとしても、その効果は憲法判断がされた当時(1948年)に予想されていたよりも小さいことが判明し、他の刑との抑止効果の差はさらに小さいため、将来にわたって確認・検出不能であると考えられるとして、明確な抑止効果が証明されない以上、重大な権利制限を行う生命刑が、現代的な憲法判断により承認されることはない。既に死刑を廃止したフランスでは死刑制度が存置されていた時代よりも「統計的に」凶悪犯罪が減少している。死刑にあると言われている犯罪抑止効果は科学的に怪しいものである。また死刑に相当する犯罪行為の目撃者を死刑逃れのため「口封じ」することさえあるとして、犯罪抑止効果に対する懐疑性を理由としている。

それに対し、死刑存置論者は終身刑や無期懲役にしても「統計的」には明確な抑止効果は証明されていない。そのため死刑の抑止力を肯定する統計も存在する終身刑や無期懲役が死刑と同等の抑止効果を持つことが証明されない限り、死刑を廃止すべきではない。また個別の事件を見ると、闇の職業安定所で知り合った3人が女性一人を殺害した後にも犯行を続行しようとしたが、犯人のうち一人が死刑なることの恐怖から自首したという例もある。

テキサス州知事時代に数多くの死刑執行命令書に署名したジョージ・W・ブッシュは、2000年に行われた大統領選挙公開討論会において「抑止効果こそが死刑の唯一の存在理由だ」と語った[85]。このような認識は少なからざる人々の間で語られるが、誤りである。死刑制度存続を必要とする理論的理由は後述のように複数存在している。また、これは終身刑(無期懲役)などの刑罰による相対的な犯罪抑止効果を示す統計も出ていないとの同様である。すなわち死刑と長期の懲役のうちどちらが犯罪を抑止する効果が優れているかどうかは検証できていない。

死刑の犯罪抑止効果について、統計的に抑止効果があるとする論文[3]は、いくつか発表されているが、その分析の正当性には大いに批判が存在し、全米科学アカデミーの審査によると「どの論文も死刑の犯罪抑止力の有効性を証明できる基準には遠く及ばない」ものである。[86]。たとえばニューヨーク州では急速に殺人発生率が低下したため、1995年に死刑制度が復活(2004年に再度廃止)したが、死刑復活後も低い状態が続けていたため、見方によっては死刑の抑止効果が働いたともいえるが、実際に効果があったかは実証できないとされる[87]。なお、ニューヨークでは2007年に過去半世紀で最も少ない殺人発生件数を記録[88]したという。またアメリカ合衆国で最も死刑執行数の多いテキサス州は、殺人発生率が全米平均をはるかに上回っており、そのため社会学者の中には死刑制度の存在が実は殺人を鼓舞している現われとする残忍化(brutalization)効果と呼んでいるが[89]、これも前述の抑止効果があるか否かとの同様に実証されたものではない。廃止派団体であるアムネスティ・インターナショナルはカナダなどにおける犯罪統計を根拠に「死刑廃止国における最近の犯罪件数は、死刑廃止が悪影響を持つということを示していない[90]」と主張している。これに対し「アムネスティの数値解釈は恣意的であり、公正にデータを読めばむしろ逆の結論が導ける」という反論が[91]がある。しかしながら、いずれの議論も立証されていない理由は共通するといえる。

死刑および終身刑にあたる凶悪犯罪が近代国家では少なくないため、統計で犯罪抑止力にいずれの刑罰が有効であるか否かの因果関係を明示することができないことから、統計的に結論が出るのは難しいのが現状である。

また、日本では、「現時点では日本には終身刑はなく、無期懲役は10年を経過すれば仮釈放を許すことが可能であり、死刑との差が著しい」といった議論も行われているが、近時における運用を見てみると、基本的に最低20年以上の服役が仮釈放の条件であり、「矯正統計年報」によると2005年度の無期刑仮釈放者の平均在所年数は27年2月[92]となっており、仮釈放が刑自体の満了とはならない(原則として終生保護観察下に置かれる)ため、他国の終身刑と比べて日本では比較的重い運用が行われているとする主張もある。なお、2000年の時点で在所50年を超える無期懲役受刑者が2人いることが確認されている[93]。また死刑存置派が主張する「死刑が廃止されると凶悪犯罪者を放置することになり」との主張もあるが、死刑を免れ無期懲役になった犯罪者も再犯の危険度があれば収監されているといえるため、個々の犯罪者の処遇について充分考慮すればよいといえる。なお、現在の判例では殺人罪で無期懲役を宣告され、仮釈放後に再度殺人を犯したものは、犯行状況にかかわりなく原則的に死刑が宣告される。

終身刑には、仮釈放の可能性がある「相対的終身刑」と仮釈放の可能性がない「絶対的終身刑」が存在し、日本では後者にあたる刑罰のみを終身刑と呼ぶのが普通である。そのため、諸外国における終身刑の多くが仮釈放の可能性がある相対的終身刑(日本の無期懲役に相当)であるにもかかわらず、それらを絶対的終身刑と誤解しているとの主張もある[94]。なお、日本の死刑廃止を主張する国会議員は死刑を一挙に廃止するのは現状では難しいとして「日本版終身刑」である絶対的終身刑の導入を主張[95]している。ただし、法務当局は絶対的終身刑は「生きる」希望のない収監者を生み出すだけであるとして、そのような「厳罰化」は受け入れないとの姿勢であるいう[96]。

[編集] 犯罪者に対する効果

死刑制度があることで犯罪者が死刑を自覚することで、死刑適用犯罪の抑止に繋がるとの主張は根強いものがある。法の秩序維持のためには死刑の威嚇力はまだまだ有効であるという。日本の鳩山邦男法務大臣が2007年8月29日のNHKのインタビューで語ったところによれば「これはやっぱり犯罪の未然防止ですよ。ひっどい凶悪な事件を起こせば、自分の命が絶たれる、死刑というものがある、その死刑が執行される。ということがあるから思いとどまる。だから私は死刑は廃止してはならないし、死刑執行も停止してはならないと思います。それは安全な世の中を作る為の第一歩ですよ」として犯罪者に対する効果が期待できると主張していた。

事実、個別の事件を見ると、闇の職業安定所で知り合った3人が女性一人を殺害した愛知女性拉致殺害事件の後にも犯行を続行しようとしたが、容疑者のうち一人が死刑への恐怖から自首したという例もある。[4]そのため、死刑制度の存在が新たな犯罪の発生と事件の解決に繋がるとの見方も当然できる。この自首制度に対し、一方ではたとえ凶悪な犯罪を犯したものであっても捜査機関に協力し「自首」が認定[97]されれば、減刑されるため一種の司法取引との批判もある。またアメリカ合衆国では死刑判決が確実な犯罪であっても、犯罪事実を認めれば司法取引によって「終身刑」に減刑される為、死刑制度の本来の主旨に反しているとの批判もある。

この犯罪者に対する抑止力に有効との主張に対し、小木貞孝(作家・加賀乙彦の本名)は著書『死刑囚と無期囚の心理』のなかで、確定死刑囚44人を調査した結果、犯行前や犯行中に自分が犯している殺人行為によって死刑になるかどうかを考えたものは誰一人としていなかったという。また犯行後に死刑を回避するため目撃者さえ殺害したものまでいたため、無我夢中に殺人をしたものに対する犯罪抑止力は殆ど期待できないとしている。また、この抑止効果であるが自分自身の生命すら省みない自暴自棄な者や、殺人による快楽のみを追い求める自己中心的なシリアルキラーには抑止力が働かない可能性が高い。実際に後述のように自ら贖罪の為ではなく現世からの逃避のために死刑に自らなるもの少なからず存在する為である。

[編集] 犯罪被害者感情

前述のように凶悪犯罪に対する世論の厳罰化傾向が強まった背景には、従来なおざりにされてきた犯罪被害者への関心が高まったためでもある。遺族に対するケアに必要であるとして死刑制度を存続させる理由とされる場合がある。凶悪犯罪の犠牲となった被害者の遺族は、加害者が死をもって贖罪したことに満足するものであるとしている。また加害者が死刑にならないなら私刑[98]が増える危険性がある。被害者の遺族を納得させるためには必要悪だと主張している。また死刑存置派からは「(大事な人を)殺されたら殺してやりたい」というのが「人の自然な感情」であり、家族を殺されたら犯人を死刑にしたいた思うのは自然な感情[99]であり、国家が遺族に成り代わって死刑にするとしている。また社会の応報感も凶悪犯が死刑になれば満足するものであり、必要であるとしている。

一方、死刑廃止論者は殺人事件を引き起こした被告人のうち、死刑判決が確定する被告人が実際には少ないこと(日本国内では毎年1000人前後が殺害され800人前後が殺人罪で検挙されているが、年によって上下するが数十人程度しか死刑が確定しない)を挙げ、殺人被害者の遺族のうち実際に生命による加害者の贖罪を受けることの出来る者が少ないことをあげ、批判にしている。また死刑囚を遺族が赦した場合には、という問題もなきにしもあらず[100]である。被害者遺族の中には、生きて償うことを望む者も少なからずいるため、全ての被害者が死刑を望んでいるとはいいきれないといえる。そのため被害者遺族全てが加害者に対し極刑を望んでいるとの、不正確なステレオタイプを死刑存置の根拠にしているとの批判もある。

被害者感情を重視するあまり、被害者の数、被害の内容、被害者側の事情、その他の情状等の類似する事件であっても、被害者の処罰感情が相違することで、量刑が変わってしまうものであれば判例(永田判例)に合わなくなりかえって法の不平等を招く危惧もある。実際にアメリカ合衆国連邦最高裁が「被害者感情は客観的に証明できるものではない、よって死刑の理由にするのは憲法違反」との判決を出している。

マスコミ報道の中にも、殺人犯に死刑判決を出すのが正義だとする応報的論調の主張もあり、検察側が死刑を求刑した事に対し、裁判所が統合失調症の影響による心神耗弱を事実認定し無期懲役に減刑した滋賀県長浜市園児殺害事件の報道では、被告人が死刑にならなかった事に対し被害者遺族が無念であると報道した新聞社[101]もあった。そのため、マスコミが死刑を求める厳罰化を被害者に煽っている面も否定できないとの指摘もある。

なお、犯罪被害者の本村洋は妻子を殺害した被告人に対し、たとえ罪を認めないまま死刑が執行されたとしても、被告人が生きていた価値すらなくなるとして、ただ死刑にすれば全てが解決するのではないとしており、「うそをついたままでの極刑は意味がない」と発言している、そのため被告人が真に事件と向き合い反省する手段としての死刑を求めているという[102]。

[編集] 死刑は応報刑か教育刑か

刑罰は過去の犯罪行為に対する応報として犯人に苦痛を与えるために行うものとする応報刑論が唱えられていた。そのうちカントが唱えた絶対的応報刑論では刑罰は悪に対する悪反動であるため、犯した犯罪に相当する刑罰によって犯罪を相殺しなければならないとしていた。しかし近代になって残虐な刑罰が批判されてきたため、刑罰が応報であることを認めつつも、刑罰は同時に犯罪防止にとって必要かつ有効でなくてはならないとする考え方である相対的応報刑論が唱えられるようになった。

近代では刑罰は犯罪を抑止する目的で設置される性格を持つという目的刑論が主張されるようになり、一般市民への犯罪抑止力等としての一般予防論と犯罪者の教育・更生・隔離の目的で犯罪者自身に刑罰を施す事で、犯罪者が再犯することを予防することができるとする特別予防論に分けられる。この刑論において死刑は犯罪者の命を奪う刑罰であるため更生を目的とした教育効果について考えることは意味はないため、死刑を適用された犯罪者は凶悪で矯正不能な者であり、永久に社会から「隔離」するための無力化効果のみを指すことになる。そのため、結果的には死刑囚が犯行を反省し、悔い改めても意味はないことになり、教育的効果は期待できないという反論もある。そのため、近代刑罰の主流となった教育刑とは異なり、死刑囚だけが原始時代から続く応報刑である処刑を受けることに対し批判がある。

日本で、死刑を合憲とした最高裁判例において、応報論ではなく威嚇効果と無力化効果(隔離効果)による予防説に基づいて合憲している。なお、予防説では死刑は一種の必要悪であるとして、犯罪に対する反省も無く改善不能で矯正も不可能な死刑囚は、社会防衛上死刑にしたほうがよいとの死刑存置派からの論拠があるという[103]。実際に日本の検察側の死刑を求める求刑や裁判所の死刑判決に、死刑囚を『矯正不能な犯罪者』という表現が用いられる場合が少なくない。これに対しては優生学的観点による主張であるとして、邪論であるとの批判もある。

[編集] 冤罪もしくは誤判

日本において、死刑の次に重い罪が絶対的終身刑でなく相対的終身刑である理由は、冤罪を恐れてのことであるとの指摘もある。実際に死刑判決後に再審で無罪になった事件(免田事件、松山事件、島田事件、財田川事件)があったほか、帝銀事件や名張毒ぶどう酒事件、袴田事件などは現在でも死刑囚の冤罪が指摘されている。また藤本事件では死刑執行から40年以上経過した2005年になって国の検証会議が「到底、憲法の要求を満たした裁判であったとはいえまい」として不正裁判による誤判であったと指摘している[104]。

死刑適用を忌諱する理由のひとつとして、捜査機関による違法捜査によって有罪で処刑された場合、たとえ冤罪が明らかになっても取り返しがつかないことも上げられている。1940年代後半から1960年代にかけて静岡県内では、再審で死刑判決が破棄された島田事件のほか、上級審で死刑破棄・無罪になった幸浦事件や小島事件、二俣事件といった冤罪事件が多発した。これは静岡県警のB警部(1908年-1963年、本人は発覚直後に病死したため県警本部長表彰はされたが、刑事責任には問われていない)が拷問による尋問、自白の強要によって得られた供述調書の作成によって「事件解決」を図ったためであり、また「自白」に沿った証拠品の捏造まで行ったことが明らかになっている。この手法が同県警内部でこのような捜査手法がもてはやされたのが冤罪多発の一因だといわれている。なお、現在ではこのような捜査手法は判例で違法収集証拠排除法則が確立しており、たとえ真相を把握できたとしても違法な捜査手法で獲得したならば証拠能力を認めないとされているが、捜査ミスによる冤罪の発生は完全には否定できないといわれている。

また冤罪ではないにしても裁判の事実認定に誤りがあったために、主犯が処刑を免れ従犯を処刑にした誤判が実際にあった。1946年に奈良県内で発生した強盗殺人事件では「主犯」とされた者が処刑されたが、懲役刑で服役した「従犯」が1958年に実業家として成功していた本当の主犯を恐喝して逮捕されたために、ただの見張りを主犯にでっち上げていた真相が発覚した実例[105]などがあるという。古谷惣吉による一連の殺人事件では、最初の強盗殺人では共犯の見張り役を「主犯」と誤判して死刑が執行され、「従犯」と誤認した古谷が出所後に8人も殺害した事件があった。古谷がこの事件で逮捕起訴されたのは「主犯」処刑後であり、懲役10年の刑期出所後の一ヶ月で8人も殺害していた。そのため「主犯」と誤判された者の死刑が執行されずに本当の事実関係が明らかになっていれば、後の8人が殺害されることも防げたはずだと批判された。また1946年に発生した福岡事件では殺害された中国人被害者の関係者による傍聴人の存在が事実認定に影響を与え、犯行現場にいなかった第三者を主犯として処刑にしたとの批判も根強くある。

死刑存置派は死刑に比べ軽い罰がふさわしい罪であるわけでもないのに冤罪回避のために死刑判決、執行できないということは事実上の刑罰の矮小化・減刑になるとしている。そのため冤罪の存在を死刑廃止の論拠にすることに反対している。それに対し、死刑廃止派の亀井静香は「0.01%の冤罪があったとしても、死刑は必要だというが、冤罪を被せられた人にとっては100%だ」と発言[106]して批判しているという。

現実問題として、前述の藤本事件で司法当局が死刑執行をした事に対し、当時の中垣國男法務大臣が中曽根康弘ら国会議員による助命運動や再審請願を完全に無視して処刑した事[107]に対し国会で責任を追及され弁明しなければならなかったこともあり、冤罪(傷害致死だとして事実誤認を理由にする場合もある)の疑いがあるとして再審請求している死刑囚の死刑執行[108]が避けられる傾向にある。

2000年ごろまで原則的には死刑確定順に死刑が執行されていたが、共犯者が逃亡中の死刑囚(連合赤軍事件等)や冤罪を訴えて再審請求中の者、もしくは闘病中の者は除外され、事実関係に争いが無く死刑判決を受け入れ支援者もなく外部との連絡もない「模範死刑囚」が先に執行が行われているとい指摘がある[109]。また死刑執行が行われない場合には事実上の仮釈放のない終身刑となり獄死する死刑囚もいる。

[編集] 残虐性の有無

死刑廃止派は、究極の身体刑である死刑が残虐な刑罰の禁止と矛盾すると主張する。死刑存置派は「火あぶり」、「磔」など苦痛を伴う残虐な方法による死刑のみが究極の身体刑であると主張する。また、苦痛を与えることを目的としない死刑は拷問に当たらないとされる。

しかしながら、死刑存置国であるアメリカ合衆国では、日本で行われている絞首刑を死刑囚の首が執行の際に引きちぎれる危険があり非人道的であるとして、現在では完全に廃止されている。そのため「人道的執行方法」として電気椅子[110]やガス室といった新たな処刑方法が追求されてきている。

そのため日本でも絞首刑には短期間ながらもそれなりの苦痛が伴うとして、アメリカ合衆国で採用されている薬物などによる薬物注射による薬殺刑が適当な死刑執行方法であるとする主張[111]も存在する。

[編集] 人命の軽視・尊重

死刑制度の存在が、国民の一部の残虐的性質を有するものに対し、殺人を鼓舞する残忍化効果を与えているとの指摘や、自暴自棄になった者が死刑制度を悪用する拡大自殺(extended suicide)に走るとの指摘もある。このような拡大自殺に走る者は少ないといわれるが、実際に2001年に発生した附属池田小事件の処刑された宅間守の最大の犯行動機が自殺願望であり、1974年に発生したピアノ殺人事件(近隣騒音殺人事件)では、犯人が自殺もしくは処刑による死を望んだ事があきらかになっている[112]。

宅間について橋下徹大阪府知事が刑事裁判中に「被告人を速やかに死刑にすべき」と主張する寄稿を週刊誌で発表したが、その後で死刑判決を望んでいた被告人から弁護人を通じ、早期の死刑実現に対する援助を依頼する手紙が届いた。そのため橋下は、被告人が遺族に謝罪するという条件付で了承する旨を返答したが、被告人からの返事の手紙には、人生に対する恨みや苦悩は書かれていたが、遺族への謝罪や反省のコメントは書かれていなかった。そのため被害者の生命すら軽視していたばかりか、死刑を望む事で自己の生命を軽視している事が明らかになった。

このように、たとえ凶悪犯罪者といえども死刑を強く求める言論が、生命を軽視する風潮を巻き起こす事になり、よって逆に殺伐とした世情を煽る側面もあるのではないかとする懐疑的な主張がある一方、凶悪殺人に対する厳格な対処は人命の尊重につながるとの主張もある。また場合によっては生命を以って贖罪しなければならない犯罪ある以上、殺害された被害者及び被害者家族からすれば、死刑囚自らの生命を以って贖罪したことによって、ある程度慰められる一助となり、どうしても死刑制度は被害者感情からすれば必要悪であるし、むしろ死刑囚の生命の尊重にも繋がるとの意見もある。またアメリカ合衆国の元死刑囚ゲイリー・ギルモアのように、宅間と同じく『死刑囚の死ぬ権利』を求めた事例も少なくないため、死刑囚に残された最後の「権利」であるとの主張もある。ただし、このような死刑囚は改悛の情や贖罪の情といった自己の犯罪に対する反省の感情は見られないのはいうまでもない。また刑法学者(植松正など)のなかには、大量殺人を含めいかなる罪を犯しかさねようと犯人の生命の法は絶対的に保障するのは妥当ではない。よって、そのような凶悪犯の死刑は生命を保証するわけにはいかないため、致し方ないという主張[113]もある。

他方、実際に死刑執行を行う刑務官からは、何年も顔をあわせてきた死刑囚に対し、合法的職務行為であるとはいえ殺人行為を行わなければならないことから死刑廃止を訴える声が多いとの指摘[114]もある。そのため、現場の心理的ストレスも省みるべきであるという。

[編集] 世界の大勢

1990年代以降、国際社会では死刑制度の廃止に踏み切る国家が増大している。特に死刑の廃止を主張する欧州連合の影響国の強いヨーロッパでは、死刑存置国も死刑の執行停止をせざるを得なくなっており、唯一死刑の執行を続けていたベラルーシが「人権抑圧国[115]」として糾弾されている。また国際連合も死刑廃止条約を推進するなど、人権外交の一環として死刑制度に対する国際的圧力は増大している。そのため死刑廃止論者が死刑制度のモラトリアムないし廃止も検討すべきと主張している。

それに対し死刑存置派は国内状況が死刑制度の廃止ができない状態であれば、維持すべきものであるとしている。また個々の国の刑事政策は国際社会の状況に左右されるべきではないとしている。例えば、戦力放棄規定や刑事手続についての詳細な規定が定められた日本国憲法のような憲法は、世界的には少数派であるが、アメリカ合衆国や中華人民共和国やイスラム教国などで、未だに維持され続けている。また国の規模も内部事情も異なる中で、単純に数だけを比較する意味は薄い。それに国連総会の死刑モラトリアム決議に対し日本の神余隆博大使が「国民の大半が死刑を支持しており制度廃止に踏み出すことは困難[116]」や「決議に賛成すると憲法違反になる」と表明[117]しており、日本の内政問題であるから世界の大勢に従うべきでないとしている。

[編集] 犯罪組織対策

冷戦終結後、世界では国境を越えた多国籍の犯罪組織が急速に台頭してきており、一部の国、特にコロンビア・メキシコ・ロシア・イタリア・日本では政治・経済の最深部にまで浸透しており、政府関係者や企業への暗殺等、テロが頻発している。このような状況の国で死刑を廃止することは犯罪組織撲滅をあきらめるに等しい行為との指摘がある。

犯罪組織は厳罰の国には上陸を避け、罰則の甘い国へと拠点を構える傾向が強い。近年原油高で好景気に沸くアラブ諸国に上陸する犯罪組織はほとんどなく、その理由は特に死刑適用が厳しいからであり、このことから犯罪組織に対して死刑は抑止効果があるとの指摘がある。実際にアラブ諸国には好景気にもかからわず、イタリアのマフィアや日本の暴力団、メキシコ・コロンビアの麻薬カルテルのような大規模な犯罪組織は存在しないことを、死刑制度の効果があるためだとしている。

また死刑制度のない国が、死刑制度のある国に対し国際犯罪者の引渡しを拒否する事態も発生しており、その意味では犯罪対策に一部支障が生じているともいえる。

[編集] テロ組織対策

アラブ諸国には犯罪組織が少ない一方で、ファタハやアルカイーダのような国際テロ組織がネットワークを構築している上に、特に後者はアラブの死刑存置国であるサウジアラビアが発祥の地である。また同じく死刑存置国であるスーダンではダルフールでアラブ民兵組織ジャンジャウィードによる住民虐殺が頻発しているにもかかわらず政府が黙認しているばかりか、支援すら行っているとされている。そのため『死刑存置国イコールテロ対策に熱心な国』という図式が成り立たなくなっている。そもそも自爆テロに見られるように自己の生命すら捨てる覚悟のテロリストには死刑制度の威嚇効力は全く意味が無いとの指摘もある。

なおアメリカ合衆国政府はグァンタナモ米軍基地(キューバ)に対テロ戦争で拘束したイスラム過激派に対し死刑を求刑したが、同施設が戦時国際法の適用が必要な捕虜と犯罪者の区別を行わず、またアメリカ合衆国法で認められた権利章典を遵守せず被疑者に拷問を加えているとして国際的批判を受けている為、人道上問題であるとの指摘もある。

日本における死刑制度に対する近年の動き

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%AD%98%E5%BB%83%E5%95%8F%E9%A1%8C#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E6.AD.BB.E5.88.91.E5.88.B6.E5.BA.A6.E3.81.AB.E5.AF.BE.E3.81.99.E3.82.8B.E8.BF.91.E5.B9.B4.E3.81.AE.E5.8B.95.E3.81.8D


日本の刑法では、内乱罪及び外患罪が存在し、最高刑は死刑であるが、政府や裁判所は適用に極端に消極的でもある。 しかし、政治犯以外での凶悪犯罪に対しては、日本の裁判所は近年積極的に死刑判決の判例を出し、処刑も速やかに実行されるようになってきている。日本国憲法における死刑の合憲性については、1948年の最高裁判決[43]において判断がなされており、「異常な方法」(例えば「釜茹で」)でなければ死刑も憲法違反に該当せず、許されるという。

日本は、1989年の死刑廃止の任意条項にアメリカ(上段で述べたとおり一部の州では調印済み)、中国やイスラム諸国とともに調印しなかった。1994年には亀井静香議員を中心とする超党派の議員連盟「死刑廃止を推進する議員連盟」が発足し、日本における死刑廃止の動きは組織化されている。しかし現在でも各国任意の「死刑廃止条項」には批准していない。さらに、ここ数年、世論および法務当局が厳罰化推進の流れにあって死刑存続派が勢いを増しており、死刑判決及びその執行が増加傾向にある。この動きが顕著になったのはオウム真理教による事件以後、犯罪報道の過熱化により、一種のモラル・パニックが生じた事が背景にある。

日本において死刑執行を最終判断するのは刑事訴訟法475条の定めにより法務大臣が指定されている。検事長が法務大臣に死刑執行に関する上申書を提出したうえで、法務省刑事局が、確定死刑囚について裁判に提出しなかった証拠記録を送付するよう命令したうえで死刑執行起案書を作成し、法務大臣に上申する。この法手続きは司法権が下した生命を奪う刑罰を適用する判断を行政権が再度チェックするために設けられたものである。そのため法務大臣の裁量権のなかに主観的判断が介在するといわれている。そのため中垣國男法務大臣のように在任中に33名の死刑執行命令を出したり、田中伊三次法務大臣のように記者の前で一度に23名の死刑執行命令書に署名するなど、死刑推進に熱心な大臣もいれば死刑執行命令に消極的な大臣も存在する。実際に苦悶しながら署名する法務大臣も少なくないが自己の信念で死刑執行を拒否した法務大臣もいる。

戦後の1964年と1969年および1990年から1992年までは死刑執行が行われなかった。そのうち1964年は、当時の賀屋興宣法務大臣(在任1963年7月-1964年7月)は元A級戦犯であり、収容されていた巣鴨プリズンで東條英機らA級戦犯7名が絞首刑に処されるのを見送ったうえに最期の叫びも聞いたため心情的にできなかったという。後者の1969年は当時の赤間文三法務大臣が「勘弁してくれ。今度、俺にお迎えがきたらどうする」などと発言して署名を拒否した。

1990年代初期のモラトリアム(死刑執行一時停止)は長谷川信から梶山静六、左藤恵、田原隆と歴代の法相に引き継がれた。特に自分が浄土真宗の住職であるという信仰上の信念から、死刑執行命令書に署名しなかった左藤恵(在任1990年12月-1991年11月)の例がある。しかし1993年3月26日に三人の死刑が執行され、このモラトリアムは終わった。当時の警察官僚出身の後藤田正晴が「法秩序、国家の基本がゆらぐ」(国会答弁)として再開させた。これは死刑執行が途絶えることで事実上死刑制度が廃止になることを危惧した法務官僚の意向があったともいわれている。

近年では弁護士出身で真宗大谷派の信徒である杉浦正健法務大臣(在任2005年10月-2006年9月)が、就任直後の会見で「私の心や宗教観や哲学の問題として死刑執行書にはサインしない」と発言したものの、1時間後には記者会見を開いて撤回した。結局、杉浦法相は死刑執行することなく任期を終えたが、職務を執行しないのであれば法務大臣を受けるべきではないとの強い批判があり、以後の法務大臣任命に影響を与えた[47]。

杉浦の後任である長勢甚遠は、2006年12月25日に4人の執行書にサインした。「執行を1年でも途絶えさせてはならない」という法務省の強い意向が、異例の年末の執行になったとされる[48]。

2007年8月23日に、新たに東京拘置所の死刑囚2人と名古屋拘置所の死刑囚1人の合計3人に死刑が執行された。これにより、長勢甚遠法相の下では3回目で、8ヶ月の間に死刑執行が累計10人に達した。3年4ヶ月の中断を経て、後藤田正晴法相が1993年3月に再開以降の20人の法相の中で最も多い執行数である。次に就任した鳩山邦夫法相も同年12月に3人を執行したため、2007年に執行されたのは9人となり、1976年に12人が執行されて以来、この30年間でも最も多い数である。これにより、現在収容中の死刑囚は104人となり、執行再開以降の執行数は60人となった。


[編集] 厳罰化傾向の強まり

「犯罪被害者の権利確立」「被害回復制度の確立」「被害者の支援」を訴える全国犯罪被害者の会の活動や、光市母子殺害事件といったマスメディアを席巻した凶悪事件を契機として、犯罪被害者や家族ないし遺族への心理的ケアの問題が以前にもましてクローズアップされている。そのため世論の犯罪者に対する動向が厳罰化への傾向が強まっているとされている。特に1990年代の『失われた10年』の日本においてマスコミを席巻した凶悪事件が続発したため、死刑存置派が「被害者感情」を前面に主張したことも厳罰化の一因がある。

刑罰自体も懲役刑の最高有期年数が20年から30年に引き上げられたほか、交通事故に対する刑罰の厳罰化が図られたが、従来よりも死刑ないし無期懲役の判決が宣告される刑事被告人も急増することになった。この傾向は近年顕著になっており、2006年に日本で言い渡された死刑判決は44件(控訴棄却決定により確定した麻原彰晃を含めると45件)と、裁判所別の統計があり、1979年(昭和54年)以降では過去最多となった。死刑が確定した人数は20人(麻原を含めると21人)で、これも1964年以来42年ぶりに20人台となった。

近年の犯罪白書や警察白書は「治安の悪化」という観点からまとめられることが多く、マスメディアにおいても、「外国人犯罪の急増」「少年犯罪の悪化」などといった「体感治安」を悪く感じさせる報道の仕方がされることもあるが、殺人等の凶悪事件の発生件数そのものは減少傾向にある[49]。

「従来の量刑基準なら無期懲役だった事件でも、死刑が言い渡されるようになっており、厳罰化を求める世論の影響ではないか」との指摘がされている。「平成12年(2000年)の改正刑事訴訟法施行により、法廷で遺族の意見陳述が認められたことが大きいと思う。これまでも遺族感情に配慮しなかったわけではないが、やはり遺族の肉声での訴えは受ける印象がまったく違う」とコメントしている現役裁判官もいる[50]。

2009年から導入予定の裁判員制度では、日本が世界で唯一の参審制裁判で国民が死刑を選択できる国であるため、凶悪事件、特に死刑を適用できる事案に対する厳罰化感情が無視できない影響を与えるとの指摘がある。その一方で被害者感情に応える為とはいえ、近代刑罰がいさめる応報的な復讐を国家が率先して行うようになっているとの批判もまた存在する。


[編集] 世論調査

日本では、政府の総理府(現在の内閣府)が5年毎(平成時代以前は不定期)に実施している世論調査において死刑制度に関する調査が行われている。以下は最新の調査結果である。

「死刑制度に関してこのような意見がありますが、あなたはどちらの意見に賛成ですか」(2004年12月内閣府実施「基本的法制度に関する世論調査」から引用)

(ア)どんな場合でも死刑は廃止すべきである‐6.0%

(イ)場合によっては死刑もやむを得ない‐81.4%

わからない・一概に言えない‐12.5%

このように、司法当局は近年の世論調査では8割以上が死刑存置に賛成しているとしている。

この数字は1967年に行われた昭和42年度世論調査「死刑に関する世論調査」で死刑肯定意見が70.5%であったのと比べると増加している。なお、この世論調査は1956年(死刑肯定意見65.0%)に初めて行われ、1967年、1975年、1980年、1989年、1994年、1999年、2004年に行われている。また世論調査の設問が毎回違う[51]ため、恣意的な設問との指摘[52]もある。実際にアンケートの取り方によっては、死刑に変わる適切な刑罰が存在すれば死刑は必要ないとする消極的賛成も相当いるとの主張もある。

また、研究者による法曹関係者へのアンケートでは、法学研究者や弁護士の過半数が死刑反対である一方で検察官や警察官は多数が死刑賛成である[53]など、法制度における立場の違いと見ることができる。ただし、検察官・刑事裁判担当の裁判官は職務上死刑を求刑・判決しなければならないため、必然的に死刑反対派は少なくなる。死刑に反対することを理由に検察官を止めて弁護士になった元検事[54]、死刑判決をしたくないという理由で民事裁判のみを希望する裁判官[55]も存在する。

この世論調査の高い死刑存置支持率を理由として、司法当局は死刑執行のペースを以前より早めているとの指摘もある。実際に鳩山法務大臣は国連で死刑執行モラトリアムが可決された事に関係なく、2007年12月と2008年2月に、それぞれ3人ずつの死刑執行を行い、記者会見でその事実を公表するとともに死刑囚の犯した犯罪を厳しく指弾している[56]。

日本では死刑制度存置を強く主張する政治家は、検察官など法務官僚に一定の支持を得る必要がある現職の法務大臣以外は実はほとんどいないとの指摘がある。たとえば東京拘置所の処刑設備を見学した事のある国会議員の保坂展人が、インターネット放送局「ビデオニュース・ドットコム」で死刑制度に関するディベート番組が制作されたが、保坂は死刑廃止論者として出演したが、死刑存置派の国会議員を放送局で探したところ誰も出演しなかったため、仕方なしに刑法学者が出演したという。そのため保坂は死刑推進派といえる国会議員は実際には存在せず『小選挙区制になったことから、多くの人の支持を得る為には死刑廃止とはいえない、俗論におもむっているだけである。そのため(欧州諸国とは違い世論を政治家が変えようというリーダーシップがないので)日本はみんな横並び意識が働いている』と主張[57]しており、実際は死刑制度を存置するのは一般世論に迎合している政治家の不作為だとしている。

[編集] 秘密主義

日本の法務省は刑務所などの刑事施設や刑罰の執行状況などの情報をなるべく公開していない。とりわけ死刑執行に関しては秘密主義(行刑密行主義)が貫かれてきた。特に死刑執行のに関しては、日本弁護士連合会がこの秘密主義を非難する声明を出し続けている。特に2006年末の執行では、欧州連合から死刑囚に執行の告知がないことが人権上問題があると強く批判された。また近年の死刑囚の待遇は面会交渉権を著しく制限するなど昭和時代中期と比較しても待遇が悪化しており、死に対する恐怖だけでなく拘禁作用によって精神に異常をきたす死刑囚が存在しており、いくら凶悪な犯罪者とはいっても人道とはかかわりがないということは問題ではないだろうかとの指摘[58]もあるが、死刑囚の待遇は公式には伝えられることはない。

日本では、2007年まで法務当局が処刑の事実(執行者の氏名等)を公式に発表することがなく、死刑囚に対し処刑の日の朝まで告知しない秘密主義をとっている。このことに対する国際的批判も根強い。この方針に対し法務省は、事前に死刑執行日が判ると、本人の心情の安定が害されるほか、死刑執行反対の抗議行動が起きる問題があるからだという[59]。ただし1970年代ごろまでは、一部の刑務所で死刑執行を前日に対象者に告知する事も行われていたようである。しかし1975年に福岡拘置所で死刑執行直前の死刑囚がカミソリ自殺する事件があったため[60]、拘置所の責任を回避するため現在では死刑執行を知らせないのは死刑囚の精神の安定のための措置と主張される場合もある。しかし、毎朝いつくるか判らない死刑執行通達におびえた上に、そしてある朝突然に(朝食の後の午前9時だという[61])死刑執行を告げ、家族や弁護人とも最期の別れをさせずに死刑を執行する慣習に対して、死刑賛成派でも日本の死刑執行の秘密主義に対しては批判的な見解も多い。

反対派は日本における最近の死刑執行は、ほぼ例外なく、国会閉会直後、年末[62]、閣僚の交代時期、重大ニュースの発生時期[63]など国民の関心が分散しやすい時期に、政府側が意図的に死刑の存廃が議論となることを避けて執行していると主張する。ただし近年は国会の開催中であっても、法務当局が『国民の死刑存置支持率』が高いとして死刑執行が行われるようになっている[64]。

賛成派は死刑執行の手順上、法務大臣の辞任直前に執行書に署名が行われることは手続き上の結果であり、死刑執行日の多くが木曜日ないし金曜日に行われるのは、刑場の準備に時間がかかるためであると主張している。実際に死刑執行命令書が法務大臣から通達されるのは処刑5日前(例外もあるとみられる)とされ、その間に処刑設備の調整に時間が掛かるためである。なお法律上は元旦と大晦日、大祭祝日は死刑の執行は行えないと規定されているほか、土曜日と日曜日の執行も以前から行われていない。

司法当局は以前は『死刑囚の家族の心情に配慮する』ためとして、死刑執行の事実を公式に認めなかったため、白書による総数のみの発表であり、かつては報道機関が情報を摑めなかった為に死刑囚の命日すら不明のケースもあった。この秘密主義を改善するとして、1998年には当時の中山正三郎法務大臣が『死刑の執行は裁判所の判決に基づいて法務省が行う行政行為だ。行政の情報公開を進める為にも、また、死刑制度を正しく議論する為にも、死刑の執行の有無については国民に知らせるべきだ』と延べ、同年11月以降はマスメディアに対し「本日、死刑確定者に対し死刑を執行した」と事実が公開(実名は公表されないが報道機関の取材で判明する)された。以後死刑執行の部分公表が慣例化された。

特に死刑執行に熱心だった長勢法務大臣は、2007年8月には「国会閉幕中」「内閣改造前」「首相外遊中」という死刑反対派が指摘する執行条件が揃っていたため3名の死刑が執行された。また長勢は周囲に「任期中二桁を執行する」と漏らしており、法務省も「執行を増やすことが大切」という状況[65]だったといわれ、実際に任期1年未満で10人の死刑執行命令書に署名した事になり、その意味では公約は果たしていたといえる。次の鳩山邦夫法務大臣が2007年12月から誰に死刑を執行したかを実名で明らかにする事をはじめ、2008年2月には法務大臣自身の記者会見で死刑囚の罪を批判すると共に実名を公表したが、死刑囚に事前に死刑執行を伝えないことに対する批判についての改善が行われているかは不明である。

[編集] 裁判員制度と死刑

2009年に始まる裁判員制度により、死刑判決の可能性のある事案を国民が裁判官とともに審理することになる。そのため死刑廃止に向けた活動を行っている団体などから、国民の間で死刑制度の存廃について議論がより深く広がることが期待されている。ただ、裁判員法第18条の規定[66]にもとづき、死刑の適用が問題となる事件においては死刑を前提とした量刑の判断について質問(具体的には死刑に対する考え方などにも)を行い、不公平な裁判をするおそれの有無を判断すると規定されたこと[67]から、一方的な裁判員選定が行われる可能性がある。実際にアメリカでは陪審員の選考に際し検察・弁護側双方が恣意的な選定を行っていることが問題になっている。

日本の裁判員制度では、裁判員として参加する国民が有罪か無罪かとともに量刑を多数決(9人中5人以上)で決定[68]。そのため、場合によっては国民が同じ国民に対して死刑を宣告する形式となる。そのため日本ように国民が裁判官として参加する参審制(陪審制は無罪か有罪かを判断するもので、通常は量刑までを決定しない)を採用する国で死刑を宣告できるのは世界唯一(ほかの参審制導入国は欧州諸国の死刑廃止国のみ、死刑制度存置国では韓国で2008年に裁判員制度が始まったが死刑は凍結中)である。2審では従来どおりの職業裁判官による公判が行われるが、裁判が1審で確定した場合、一般国民が死刑を宣告したことになる。そのため一般国民が場合によっては「人殺し」になる危険性があり、死刑制度を廃止した上でなければ裁判員制度を導入すべきではないとの指摘が死刑廃止論者側[69]から提示されている。

2008年3月に「死刑廃止を推進する議員連盟」が、裁判員による死刑適用について「死刑という重い判断はより慎重に決定されるべきだ」として全員一致を条件とする裁判員法改正案を作成する方針を明らかにしている。これは導入される裁判員制度では原則多数決で量刑が決定するが、死刑判決たけは全員の賛同を必要とし、もし反対者がいれば仮釈放のない終身刑に自動的に可決するというものである[70]。なお、余談であるが、アメリカ合衆国の陪審員制度も全員一致が評決の条件となっている場合が多い。

[編集] 高齢死刑囚の処刑

日本では死刑を求刑出来る最低年齢は犯行時18歳とされているが、最高年齢については明文化はされていない。ただし、死刑は健康を害していない死刑囚のみに執行されると刑事訴訟法に規定されているため、高齢を要因として健康を害した死刑囚には死刑が執行されないのではないかとの指摘があった。実際に80歳以上で獄死した死刑囚も少なくはない。

戦後、最高齢での執行は70歳(1985年5月31日執行)であったが、2006年12月に77歳と75歳の死刑囚が死刑を執行された。このケースの75歳の死刑囚は、遺言で身体の衰えによって立つこともままならない状態であったと述べている[71]。2007年12月にも73歳の死刑囚の死刑が執行された。今後は死刑確定から年数が経過している高齢死刑囚の執行が増える事が指摘されている。最高裁は2004年11月19日に当時77歳の女性(保険金殺人)に死刑判決を下しているため、世界史上稀な80歳代で死刑が執行される可能性[72]もあるといえる。

[編集] 国外逃亡犯と死刑

日本で犯罪を犯した外国人犯罪者が死刑廃止国へ逃亡した場合、日本が死刑存置国であることを理由に犯罪者の引渡しが拒否される場合もある。

日本国内で殺人を犯し、海外逃亡したイラン人がスウェーデンで拘束された事例では、両国間で犯罪者引渡条約がないため、日本側が任意の引渡しを要請したが、死刑にしない保障をしないかぎり応じないとされた。この事件では、過去の判例の上では量刑が死刑となるようなケースではなかった(喧嘩による偶発的な殺人で計画的な殺意はなかったという)が、裁判を行う前に死刑にならないことを保障することは不可能であったため、結局引き渡されず、スウェーデンにおいて代理処罰された。

現在のところ、日本と逃亡犯罪者引渡し条約があるのはアメリカと韓国だけであるが、今後国際犯罪が増える場合、カナダのように死刑適用の可能性のある犯罪者の引渡しの拒否を明言している国に逃亡した場合、捜査の障害になる危惧もある。

[編集] 鳩山法務大臣の死刑制度への発言

2007年9月に鳩山邦夫法務大臣が、「法務大臣による署名」を廃止して死刑を自動化できないかと発言。法務大臣を死刑執行の責任から開放し、かつ刑執行の効率化を図り、未執行者が増加している現状に対応する事を意図して提言をおこなった。具体的には死刑執行決定権を法務大臣から剥奪し、司法当局が死刑執行者の決定を機械的(鳩山は乱数表と表現)に行い、主観的かつ恣意的な判断を介在させず、死刑囚個々の状況を考慮せずに行うできとのものであった。

この発言に対し、死刑廃止を推進する議員連盟会長亀井静香衆議院議員(国民新党)は強く批判した。[73]このなかで、亀井は「本当は死刑の執行命令をしたくないのが本音だろう」との主旨を発言している[74]。実兄の鳩山由紀夫は死刑制度の存置に理解を示しつつも「弟としてはある意味で多少軽率な発言だった」と話したという[75]。また、死刑の自動化の弊害としてイギリスにおける死刑制度が廃止された理由は「刑執行後に絶対的冤罪が判明(エヴァンス事件)」であり、その制度の欠陥に気付いていなかったといえるまた死刑執行は「司法判断を受けての行政処分」というのが基本であり、法務大臣が事実上三権分立の統治機構を理解していなかっと指摘[76] された。

また現在の刑事訴訟法の基礎を構築した団藤重光元最高裁判事(死刑廃止論者でもある)は、大臣が開催した勉強会の中で、死刑執行を自動化するのは法手続きの厳格化を定めた刑事訴訟法の精神に反しており、法律学に対する不勉強が著しいと指摘[77]した。また団藤は「鳩山大臣は世界の大勢を知らなさすぎる」と批判[78]した。

鳩山大臣は法務省内に死刑執行のあり方を検討する勉強会を発足させ、様々な方面で議論がなされている。たが、あくまで死刑制度の現状維持が基本路線となっている。また、それまで公式には全く行われてこなかった死刑囚に対する処遇に対する情報のうち、死刑の結果を実名とともに公式に発表する方針を打ち出し、2007年12月、2008年2月1日の死刑では実名報道をしているほか、2008年2月には死刑囚の病死の事実を公表している。

2007年12月18日に国連総会において、死刑の執行停止を求める総会決議を採択したが、鳩山大臣は『世論には死刑制度や死刑執行にかなりの支持がある。国連の決議があっても我が国の死刑制度を拘束するものでは、まったくない』と発言したほか、決議前の18日の閣議後の記者会見では『死刑を存続するかしないかは内政の問題だ』という日本政府の立場を改めて強調した。ただし同総会では北朝鮮による日本人拉致問題等に対する「北朝鮮の人権状況を非難する決議」も採択しているため、同じ総会で採択された決議案に対し、日本が異なる対応をした事になった。そのため神奈川大学法科大学院の阿部浩己教授(国際法)から『自国に有利な決議は最大限利用し、不利なら『意味がない』では説得力がない。日本は決議に反対することによってどんな社会を実現したいのかを主体的に示すべきだ』と批判された[79]。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%AD%98%E5%BB%83%E5%95%8F%E9%A1%8C#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E6.AD.BB.E5.88.91.E5.88.B6.E5.BA.A6.E3.81.AB.E5.AF.BE.E3.81.99.E3.82.8B.E6.AD.B4.E5.8F.B2.E7.9A.84.E5.8B.95.E3.81.8D

近代以前

日本では、平安時代に仏教思想や穢れ思想、怨霊信仰などの影響から、嵯峨天皇の勅令(弘仁の格・818年)により平家政権の成立まで死刑が停止されていた時代がある。この時代、中央政界では政変がしばしば起きたものの、武力が用いられることはなく、政争の敗者は寛刑により死一等を免れ、後に政権復帰することも可能であった。[41]

中世は自力救済の時代であり、殺人に対しては、報復殺人のほか加害者代理人を殺害したり、加害者宅を破壊する場合や金品で代行する場合などさまざまであった。現代日本の死刑存廃論で引き合いに出される仇討ちは、近世で武士階級にのみ例外的に認められたもので、自力救済の名残といえる。

江戸時代における死刑制度は、火付け(放火)は火あぶりの刑、10両(現代の価値に換算して150-200万円前後)以上の窃盗は死罪(「十両盗めば首が飛ぶ」)となっていた。また奉公人による主人の傷害も死罪になっていたことから犯罪抑止効果よりも、むしろ見せしめのための厳罰という政策が見て取れると同時に、刑罰の威嚇により幕府の権威を高めようとする目的があった。刑場までの道行きには、下層刑務官僚に幟や刑具を持たせて仰々しく行進させ、莫大な経費を要したという。

8代将軍徳川吉宗の治世に大岡忠相が編纂した法典『公事方御定書』によって死刑の種類は火刑、獄門、死罪、切腹などに限定され、残虐なやり方による死刑を制限する方向へとつながった。ただし公事方御定書は江戸町奉行のみが閲覧を許される秘法であったため、民衆に事前に刑罰の適用範囲を予告する罪刑法定主義による死刑が行われていたわけではない。そのため秘密主義による恐怖感を煽る効果が期待されていたといえる。

なお、江戸時代の国家体制は幕藩体制であったため、地方では独自の刑罰が行われていた。たとえば金沢藩では腰斬と斬首を組み合わせた三段切りという処刑方法があった。 一方で尾張藩の徳川宗春の治世の間、尾張藩ではひとりの処刑者も出さないという当時としては斬新な政策も打ち出している。


[編集] 明治維新以後

明治時代になっても明治政府初期は江戸時代の立法を準用していたため、引き続き江戸時代の刑罰が実施されていた。1870年に暫定刑法である新律綱領を定め、死刑を「斬罪」と「絞首」の2種類に限定した。この網領で刑法典の出版と頒布が初めて認められ、罪刑法定主義が一応担保された。1873年の改定律例では欧米の近代刑法の影響を受けて、刑罰を簡略化して残酷な刑を廃止した。フランス刑法典を基本に日本社会の特性を加味して1880年に制定された刑法(旧)は絞首のみに死刑執行方法が限定された。この刑法によって江戸時代と比較して死刑が適用される犯罪は大きく限定されることになった。また例外として大日本帝国の兵士に対して適用された陸海軍軍法(陸軍刑法および海軍刑法)は最高刑として銃殺刑による死刑が存在した。

近代日本において死刑制度廃止法案が帝国議会に提出されたのは1900年のことで、安藤亀太郎、高須賀穣、根本正らが共同提出した。これは当時欧州の死刑廃止論の影響を受けた小河滋二郎ら実務派が主張していたことが背景にあるが、大きな社会的潮流になることはなかった[42]。

1908年には現行刑法が施行され、現在まで幾度かの改正が行われているが、基本的には現在と死刑が適用される犯罪は変わらない。しかしながら死刑適用犯罪として皇室に関する罪のうち、天皇及び皇族を殺害もしくは危害を加えようとする大逆罪は、生命を奪うまで至らず未遂(予備も含む)であっても死刑のみが適用されていた。そのため幸徳事件では24名が、虎ノ門事件と桜田門事件では1名ずつ(朴烈事件は死刑判決を受けたが恩赦された)が死刑になった。戦後になってGHQにより国民主権の理念に反するとの判断から廃止された。以上のことから、死刑の適用事件は日本においても他の近代諸国と同様に大幅に限定されるようになってきているといえる。


[編集] 第二次世界大戦以後

1945年、日本は第二次世界大戦(太平洋戦争もしくは大東亜戦争とも呼称)に敗北したため、連合国の占領政策のもと従来の法制度を民主的に改革することが求められた。刑事政策関係では従来の刑事訴訟法が比較的厳格な法手続きを尊重する英米法に倣ったものに改正されたが、死刑制度自体は存続していた。この時期には戦後の混乱期の凶悪犯罪の増加という背景もあり、死刑の宣告及び執行は多かったが、従来の自白偏重主義の捜査方法が行われていたため、後年問題となった冤罪事件が数多く生じていた。

死刑制度であるが、日本国憲法施行後の1948年3月12日に最高裁判所は死刑制度の存在と憲法の規定は矛盾したものではなく是認しているとの判決を出し死刑は合憲であるとした(死刑制度合憲判決事件‎ [43])そのため、現在でも日本においては死刑制度存置の根拠のひとつとされている。なお死刑囚の恩赦であるが、現在ではまず行われないが、1952年のサンフランシスコ平和条約発効による恩赦では、殺人犯のみで死刑が確定していた者のうち13人が無期減刑されている。また個別恩赦で戦後11人が恩赦されているが、この中には戦時中に樺太で発生した強盗殺人事件の死刑囚のように、ソ連軍が樺太に侵攻したため裁判記録が事実上消滅し死刑起案書が作成できない為に減刑されたもの、少年法の改正(死刑にすることの出来る年齢が18歳以下に引き上げ)で犯行時17歳の死刑囚が無期減刑になった例がある。

戦後日本の国会で死刑廃止法案が提出されたのは1965年3月のこと[44]で、当時の日本社会党の参議院議員ら39名が提出した。この時期に提出されたのは西側欧州諸国で立法府による死刑廃止が検討されていたこともあるが、帝銀事件といった死刑囚の冤罪が疑われる事件が続出していたことが背景にある。また1968年4月に国会に連合国による占領時代に死刑判決を受けた未執行死刑囚を対象にした「死刑の確定判決を受けた者に対する再審の臨時特例に関する法律案」が提出された。この法案の主旨は前述のように冤罪の疑われた死刑囚に再審の途を彼らにその機会を与えるものであったが、この法案が成立することはなかった。ただし、何人かの死刑囚に対しては恩赦で無期懲役に減刑されたが、これは死刑廃止論の象徴となっていた戦後初めて死刑判決を受けていた女性死刑囚(子供を養うために僅かな金銭を強盗し放火殺人した事件、精神異常と結核が亢進し廃人状態だった)を恩赦する政治判断があったとの指摘もある[45]。なお、死刑囚が無期懲役に減刑されたのは1975年6月(福岡事件の死刑囚1人)を最後に行われていない。

これら死刑制度廃止の動きに対して、法務省は総理府(現在の内閣府)が行った世論調査の結果、日本の国民世論が死刑制度存置論が多数であるとして、死刑制度を維持すべしであるとして現在に至るまで死刑制度を廃止すべきではないとの立場を取り続けている。

なお、1946年以降2007年3月までの死刑確定者(自殺・獄死・恩赦減刑を除く)は728人で、それまでに死刑に処せられた者は627人、この時点での未執行者は101人であった[46]。また戦後女性被告人に死刑が確定したものは9人(恩赦減刑1人、執行3人)であり、日本において死刑が適用される凶悪犯はほぼ男性であるといえる。

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ヨーロッパ

欧州連合 (EU) 各国は、不必要かつ非人道的であることを理由として死刑廃止を決定し、死刑廃止をEUへの加盟条件の1つとしている。このため、現EU加盟国に於いて死刑制度を存続している国は、法律上死刑制度を存続させているラトビアを除き、1ヵ国も存在しない(ラトビアもEU加盟に当たって、死刑の全廃を公約している)。また死刑制度は欧州人権条約第3条に違反するとしている。そのため、欧州評議会においても同様の基準を置いているため、ヨーロッパ唯一の死刑存置国ベラルーシは欧州評議会から排除されている。またEU加盟を目指しているトルコ共和国は死刑制度を廃止した。EUは日本やアメリカなど死刑を存続している他国に廃止を迫り、2001年6月には、日米両国に2003年1月までに死刑廃止に向けた実効的措置の遂行を求め、それが成されない場合、両国の欧州評議会全体におけるオブザーバー資格の剥奪をも検討する決議を採択した。これに対しては、日米両国は現在まで、何ら回答していない。


[編集] フランス(1981年に廃止)

フランスは、西欧諸国でも死刑執行に熱心であり、現在では忌諱される公開処刑を1939年まで継続していた。19世紀中頃から、処刑される時刻は、午後3時から、朝、そして夜明け前というように変遷した。処刑は市場の広場のような公共の場で実行されたが、徐々に刑務所の処刑場に変更された。なおフランス革命以来、死刑執行方法はギロチンが廃止まで使用されていた。最後の公開処刑はベルサイユの聖ピエール刑務所で、1939年6月17日に6人を殺害した死刑囚に執行されたのが最後であった。この時の処刑の写真は新聞で発表されている。

ナチス占領下にあった当時、反独闘争を行うレジスタンスなどに対し死刑適用が濫発された結果、19世紀以来なかった女性に対する初の処刑を含め執行数が増加し、2948人の処刑が執行されているが、これは1870年から1977年までのフランスでの処刑件数よりも多い数字だという。

そのためか、フランスでは死刑執行が戦後大幅に減少していった。たとえば1969年から1974年の間に在職したジョルジュ・ポンピドゥー大統領の時代には、一部を除き死刑囚を恩赦していた。最後の処刑は1977年9月10日に執行された。

1981年に就任した社会党のフランソワ・ミッテラン大統領(当時)が「私は良心の底から死刑に反対する」と公約し当選。弁護士のロベール・バダンテールを法務大臣に登用し、「世論の理解を待っていたのでは遅すぎる」と死刑廃止を提案。国民議会の4分の3の支持を得て決定した。西ヨーロッパで最後の死刑廃止国となった。世論調査機関TNSソフレスによる、死刑制度廃止当時の世論調査では、死刑制度の存続を求める声は62パーセントを占めていた[10]。

1985年12月20日に、フランスは人権と基本的な自由を保護するための"additional protocol number 6" を批准し、戦時以外にフランスが死刑を復活することはないことを意味するものであった。また2002年5月3日に、フランスと30カ国は"additional protocol number 13" に署名し、戦時も含めあらゆる状況における死刑を禁じるものであった。2003年7月1日に実施された。

2006年9月18日にソフレスが発表した世論調査によると、「死刑廃止25周年」を迎えて、52パーセントが「死刑制度復活反対」と答え、死刑制度復活を望む意見は42パーセントを占めた。支持政党別で、死刑復活賛成は、右派政党の国民戦線支持層で89%。与党・国民運動連合(UMP)で60%。社会党支持層は賛成は30%となった。若齢、高学歴者ほど死刑復活反対の傾向が強かった[11]。ただし、フランスの政治家で死刑制度復活を公言しているのは国民戦線指導者のジャン=マリー・ル・ペンなど少数であるうえに、死刑制度を廃止する国際条約に批准しているため、事実上不可能となっている。

2004年には、フランス下院に悪質なテロ行為に対する死刑を復活させる1512号法案が提出されたが、成立することは無かった。2006年1月3日には、ジャック・シラク大統領(当時)が死刑を禁止する憲法の改正を発表した。2007年2月19日にフランス国会は圧倒的多数の賛成で憲法修正案を可決した(賛成828票、反対26票)。そのため憲法に死刑の廃止が明記された。


[編集] ドイツ(1949年に廃止)

1849年に開催されたフランクフルト国民議会で起草されたドイツ憲法案では、自由主義的色彩の濃いものであり死刑の適用をほとんど除外するように規定されていたが、実際に成立することは無かった。

ナチス・ドイツ政権のヒトラー総統は、犯罪に対する行きすぎた厳罰化政策を推進した結果、およそ40,000人に死刑宣告が行われた。処刑の効率を上げるためにギロチンが使われたが、1942年からは落差のない高さで行う絞首刑も行われた。また軍人に対する銃殺執行隊も準備されていた。なお死刑が適用できる犯罪として殺人、国家反逆罪、反逆罪教唆のほか、スパイ活動、地下出版や外国のラジオを聞くこと、良心的兵役拒否者を隠匿する行為など、第三帝国が「不必要」と判断したで者を死に追いやることが出来た。また罪を犯していなくても粛清によってユダヤ人を含め多数の国民を処刑した。

1945年から1946年にかけて行われたニュルンベルク裁判ではナチスの戦争犯罪人に死刑が適用されたが、旧西ドイツ最後の処刑は、1949年に強盗殺人犯に対するギロチン刑が行われた。その後旧西ドイツは戦争中に多数の国民を処刑した反省からドイツ基本法制定時に死刑が廃止された。一方の旧東ドイツも1987年には死刑を廃止していた。


[編集] イタリア(1994年に廃止)

イタリアでは、前述のようにトスカーナ地方の専制君主レオポルド1世(後の神聖ローマ皇帝レオポルト2世)によって1786年には完全には死刑を廃止した。欧州諸国では初の死刑廃止であった。イタリア王国として統一された1860年以後も死刑制度はトスカーナを除いて存続していた。その後イタリアの両上下両院の承認によって1889年に刑法改正で廃止されたが、実際には1877年以降死刑が執行されていなかった。これはイタリア国王ウンベルト1世の勅令(1878年1月18日)によるものであった。ただし死刑制度は、軍法会議によるものとイタリア植民地の刑法では存続していた。

1926年にイタリアの独裁者ベニート・ムッソリーニによって大逆罪に対する死刑が適用されるようになり、刑法改正で1931年7月1日以降は、一般犯罪に対しても死刑が復活した。そのためファシスト政権下で死刑が多用されるようになったが、死刑を復活させたムッソリーニがイタリアのレジスタンスによって死刑にされたのは歴史の皮肉である。

イタリア最後の死刑執行は1947年3月4日に行われた。これは1945年に10人を殺害した強盗犯3人に対する銃殺刑であった。その直後制定されたイタリア共和国憲法(1947年12月27日国民投票で承認、1948年1月1日から施行)は、平時における死刑制度を廃止したもので、1948年1月22日に立法によって実施された。ただし1994年10月13日まで軍法会議の判決の最高刑は死刑(実際には執行例はない)であったが、2007年に憲法改正が行われ憲法第27条4項の『死刑は、戦時軍法の規定する場合を除いては、これを認めない』が改正され、いかなる犯罪に対しても死刑が禁止された。


[編集] ポルトガル(1867年に廃止)

ポルトガルでは、西欧では最も早く1867年に死刑を廃止している。ポルトガル国民の多くはカトリックであり、殺人行為に対する嫌悪感が非常に強いことが背景にある。この政策はサラザール独裁政権下にも引き継がれ(サラザールはカトリック聖職者から経済学者、政治家に転身した)、その後の政権においてクーデターが数度起きるなど政情不安の時代もあったが、死刑は復活せず今日に至っている。


[編集] イギリス(1969年にイングランド等3地域廃止、1973年に北アイルランド廃止、1998年に完全廃止)

イギリスにおける死刑廃止思想は古く、トーマス・モアにまで遡ることができる。これは当時のイギリスでは数多くの罪状に対し死刑が適用されており、非常に多くの人びとが処刑されていたことが背景にある。1723年のブラック法では窃盗犯や紙幣偽造犯など50もの罪状に適用されていた。なお一般庶民は絞首刑に処せられており、例外的に貴族は斬首刑が適用されていた。また殺人や強盗といった凶悪犯の処刑が一般的であったが、少年犯罪者に対する死刑宣告は実行されない場合もあった。しかし子供であっても当時「被害者が自衛する機会がない」として強盗犯よりも悪質とされていた窃盗犯に対しては処刑される場合も少なくなかった。

死刑判決が教会の儀式のひとつとして赦されたり、また軍務につくと永久に執行猶予される場合もあった。そのため1770年から1830年の間にイングランドとウェールズでは35000人に死刑が宣告されたが、実際には7000人に対し死刑が執行され、相当が免除されていたが、それでも少なくない数字であった。

このように、19世紀まで、あまりにも死刑の適用範囲が広すぎたため、1808年にはスリのような窃盗犯が除外され、1823年には裁判官に反逆罪と殺人以外には死刑を適用できないように法を変えた。このように19世紀には徐々に死刑を適用できる犯罪を制限するようになったが、それでも国家反逆罪や殺人に対しての死刑制度は存置された。また1866年にはイギリス国内では公開処刑は廃止され、死刑執行は刑務所内で行われるようになった。

1908年には16歳以下に対する死刑が禁止され、1933年には18歳以下に年齢が引き上げられた。また1931年には妊婦の死刑が禁止された。そして1938年には死刑廃止案は下院を通過したが、第二次世界大戦勃発により死刑廃止は立ち消えとなった。なお1900年から1949年までに、イングランドとウェールズでは621人の男性と11人の女性が処刑されたが、戦時特別立法によって13人のドイツのスパイも処刑された。

イギリスでは戦後も死刑制度が存置されていたが、1957年の法律では殺人犯のうち囚人による看守の殺害や警察官殺害犯、爆弾テロ犯などに死刑の適用が限定されるようになった。これによって死刑制度擁護派に譲歩した形になった。しかしながら、エヴァンス事件やA6殺人事件など、決定的な証拠が無いまま処刑され冤罪が疑われる事件をきっかけとして死刑廃止要求が再燃したため、1965年11月9日に5年間死刑執行停止する時限立法が議会で可決された。なおイギリス国内最後の死刑執行は1964年8月13日に、リバプールのウォールトン刑務所で行われた。

その後ジェームズ・キャラハン内務大臣の下1969年12月に死刑廃止を決定した。なお当初は北アイルランドは適用が除外されていたが、1973年に北アイルランドも死刑が廃止された。またIRAのテロが活発になった1975年以降、死刑復活が叫ばれるようになった。復活論者であったマーガレット・サッチャー率いる保守党政権が総選挙で圧勝し、2度死刑復活法案が提出されるが大差で否決(1度目は362対243、2度目は357対195)された[12]。

なお、イギリスでは死刑が実際に全面的に廃止されたのは1998年のことである。それまでは海賊行為、国家反逆罪、軍隊内部の犯罪について死刑の適用ができるとされていたが適用された事例は皆無だという。またイギリス王室領であるチャンネル諸島では執行された事例はなかったが、2006年まで死刑制度が存続していた。そのため1984年には死刑を宣告された被告人がいたという。またマン島では1993年にようやく死刑が廃止されたが、最後に処刑が行われたのは1872年の事であり、それまで死刑判決が確定しても、内務大臣によって終身刑に減刑されていたという。


[編集] スウェーデン(1921年に廃止)

スウェーデンでは1800年から1866年の間に644人の死刑執行が行われていたが、殺人罪以外で死刑が適用されたのは1853年に発生した集団暴行事件の首謀者に対するものが最後であった。だが、1866年以降1921年までに死刑が執行されたのは15人と激減した。最後の執行は1910年1月に発生した強盗殺人犯に対するもので、1910年11月23日にストックホルムで行われたが、ギロチンがスウェーデン史上唯一死刑執行に使われた。それまでは斬首刑で行われており、絞首刑は1864年の刑法改正で削除(実際には1836年を最後に使われていなかった)されていた。

スウェーデンで死刑が廃止されたのは、1921年3月であるが、この時は戦時犯罪を除くとされた。全体的に死刑が廃止されたのは1973年1月1日以降である。また1975年の憲法改正で死刑の絶対禁止項目が盛り込まれた。

スウェーデンの世論であるが、死刑制度への支持率は30から40%の間を変化しているという。スウェーデンの世論調査会社SIFOによる2006年の調査によれば、スウェーデン市民の36%が『死によって罰されなければならない犯罪があると思う』と考えており、特に若い男性のほうが他の年齢層よりも支持率が高かった。しかし他の年齢層では死刑に対する支持は概ね低かったという[13][14]。


[編集] バチカン(法規上は無いが死刑制度は全面否定)

カトリック教会の伝統的な見解では、報復のための死刑は不可、犯罪予防、威嚇のための死刑は人命救助の観点から可という教義上の立場をもち、長くその立場を維持している。近代社会においては終身刑によって犯人の再犯の予防および他の犯罪者に対しての威嚇の役目は十分果たされているとの見解である。よって「全ての命は神聖である」として死刑には反対している。また現代の多くの死刑が報復の役目を果たしていることにも言及し「死刑は憎悪と復讐心に満ちた行為」「罪をもって罪を裁くことは殺人である」と表明している。

ただし一部の極貧の途上国(カトリック信徒の多いアフリカ諸国を念頭においていると考えられる)においては近代国家並みの懲役制度の維持が不可能な場合があり、この場合は凶悪犯罪者を社会から隔離することがができない場合もあることを認めており、この場合は例外として全カトリック教会の総本山である教皇庁(バチカン)は死刑もやむなしとの見解を示している。


[編集] ロシア(存続)

ソ連時代末期の1988年に当時の民主化と人道主義の観点から、死刑の適用対象から60歳以上の高齢者と経済犯罪を除外した。その後は非常に悪質な故意殺人に対してのみ死刑制度が存置されていた[15]。

1996年の欧州議会加盟時に死刑執行を停止。1999年に憲法裁判所が死刑判決を正式に禁止した。しかし一部の下級裁判所は死刑判決を継続している。停止は2007年初めに期限切れとなる。ロシアが2006年5月に欧州評議会議長国に就任したことをきっかけに、ヨーロッパ諸国から死刑廃止議定書批准を求める声があがっている[16]。

だがテロ事件頻発を背景に、死刑復活を求める世論が高まりを見せている。プーチン大統領は死刑廃止を行う事を示唆しているものの、詳細な具体策を明らかにしていない。2006年2月9日には多数の児童が殺害された2004年9月の北オセチア共和国で発生したベスラン学校占拠事件(犠牲者数386人)の被告人(32人いた犯行グループ唯一の生存者とされている)に対しロシア検察当局が死刑を求刑した[17]。しかしながら、結局2006年5月16日の判決公判では終身刑が宣告された[18]。なお同人は刑務所内で復讐のため殺害される危険から身柄を守るため、偽名で安全体制の整った刑務所に収監されているとされるが、ロシア当局は彼の生死を含む現状の情報を一切公開していない。またチェチェン人武装勢力によるMi-26ヘリコプターの撃墜事件(2002年8月19日発生、犠牲者数127人)では、地対空ミサイルを使用し墜落させた実行犯に対し、2004年4月に終身刑が宣告され確定している[19]。以上の事からテロリストかつ大量殺人犯であっても、現在のところロシアでは必ず死刑になるわけではないといえる。


[編集] 南北アメリカ

[編集] アメリカ合衆国(存続)

死刑制度自体は「合憲」と連邦最高裁の判断が出ているが、執行方法について残虐であるとして違憲とされたケースもある。また死刑を適用できる対象を制限する傾向にある。1972年に合衆国最高裁はファーマン事件の違憲性の判断の中で誰を死刑にするか実質的説得力がない[20]とされた。なお合衆国最高裁は2000年以降に死刑の適用範囲を制限する判例を出している。2002年6月に陪審員による裁判を選択した被告人は、裁判官ではなく陪審員によって死刑の是非を判断してもらう憲法上の権利があるとされた。2004年11月にはテキサス州の精神遅帯者(知能指数が低い)被告人に対する死刑判決を『異常な刑罰』として憲法違反とした[21]。2005年3月にはミズーリ州の18歳以下の少年犯罪者に対する死刑適用は憲法違反との判決を出した。当時全米19州が少年犯罪者に対する死刑を規定[22]していたが、テキサス州など6州は存置意見を表明[23]していた。そのため連邦最高裁は死刑制度を容認しているが、誰を死刑にするか慎重になってきている。

州に強い主権を持たせているアメリカでは、死刑制度の存廃は州の法律によって決められている。また連邦自体も死刑制度を維持[24]しているうえ、アメリカ合衆国軍人に対する軍法会議で求刑できる最高刑は銃殺刑である。死刑に対する態度は州による差異も大きく、死刑を廃止した州もあれば、死刑制度を存置している州もある。存置州でもテキサス州のように2000年代にはいっても全米で毎年死刑執行数の三分の一が同州で行われている一方で、死刑執行を10年以上していない州もある。

アメリカ国内では1973年から2004年までに944名の死刑が執行されたが、多くは南部諸州で行われている。1999年には98人と最高の執行数を記録した。特にテキサス州はそのうち336名の死刑が執行されており、2004年には全米59件のうち23件が同州でおこなわれている。なお2004年12月当時全米には3471名の確定死刑囚が収監されている[25]という。

死刑制度の有無は、州によって異なるが、一般的には、民主党優位の州では廃止、共和党優位の州では維持される傾向にある。具体的にはニューイングランド諸州、ニューヨーク州で死刑廃止、または禁止された。ただし、共和党勢力が強い中北部諸州も死刑廃止されている州があるが、これらの州が治安的に安定している事が背景にある。逆に、民主党が強い西海岸諸州でも死刑制度が存続している州がある。これは、賛成派と反対派が拮抗している状態であるためである。また凶悪犯罪の率の高い州で死刑制度が維持される傾向にある、特に南部諸州で顕著である。死刑維持派は主に被害者の権利を根拠とし、廃止派は人権保護の普遍性人命の尊重とを根拠としている。(参考:レッドステートとブルーステート)なお、死刑存置州でもニューヨーク州、カンザス州の裁判所は2004年に死刑を違憲とした。またニューハンプシャー州、サウスダコタ州では1976年以来死刑が執行されていない。そのため事実上死刑停止州となっている。

イリノイ州は、ジョージ・ライアン知事(共和党)が任期満了による退任直前の2004年に州内の確定死刑囚18名全員が仮釈放無しの終身刑に減刑された。これは2001年1月に死刑執行直前であった死刑囚の冤罪が明らかになり、この事を受けライアン知事が「死刑を宣告されたすべての者が本当に罪を犯したと確信できるまで」の措置として死刑執行の停止とともに、死刑制度調査委員会を設置した。2002年4月に委員会が出した報告書は検察側の不正な法手続きを挙げ「無実の人間が処刑されないよう保障できる制度の確立はありえない」という結論に対応して減刑した。なお、この委員会に参加していた作家で弁護士のスコット・トゥローが、調査の過程で死刑存置から死刑廃止に主張が変わったという。

ニュージャージー州では、州議会が2007年12月13日に死刑廃止法案を可決し、アメリカ連邦裁判所が1976年に死刑は合憲との判断を下して以降で初めて死刑を廃止した州(実質的には1976年以降停止されていた)になった。同州の死刑囚8名は「仮釈放のない終身刑」に減刑されたが、そのうちの一人は性犯罪の公表を定めた「ミーガン法」制定のきっかけとなった女児殺害犯人だったという。ノース・カロライナ州では、薬殺刑の執行に際し医師の同伴を州法で規定していたが、同州の医療監察委員会が「生命を助ける医師が、医師が死刑執行に関わる行為は倫理の観点から許されない」として、死刑執行に立ち会った医師は医師免許の剥奪等の処分を下すとの結論を出したため、実質的に停止せざるをえない状況に追い込まれた。

かつてアメリカでは「レイプを罪状とする死刑」が横行していた。1870~1950年までにレイプを理由に771件が死刑判決を受けたが、そのうち701人が黒人であった。人種差別との批判が相次ぎ、1972年に連邦最高裁によって「レイプを罪状とする死刑」は違憲と認定された。しかし、「未成年に対する殺害を伴わない性犯罪の再犯者」へ死刑が適用される州法がサウスカロライナ州、フロリダ州、ルイジアナ州、モンタナ州、オクラホマ州の5州で最近成立し、殺人を犯していない性犯罪者に対する死刑適用は過酷であり、憲法違反であると強く批判されている。

近年の犯罪捜査ではDNA鑑定が導入されてきている。迷宮入りしていた事件が解決することもあるが、過去に死刑判決を受けた数多くの死刑囚の冤罪が明らかになり、全米に大きな衝撃を与えた。1973年から2001年までにアメリカ国内でDNA鑑定で96名の死刑囚の無罪が判明し釈放されているが、特にフロリダ州では21名も釈放されており、フロリダでは5名の死刑執行が行われる間に2名が無罪放免になったという。そのため2004年には連邦議会は有罪判決確定後もDNA鑑定を受ける権利を保障した、冤罪者保護法(Innocent Protection Act 2004)を成立させた。

アメリカでは依然として死刑制度が維持されてはいるが、DNA鑑定による大量の誤判の存在が判明した上に合衆国最高裁が死刑適用範囲の厳格化を求めているため、裁判所が慎重になり死刑の言い渡し件数は減少傾向にあるという。具体的な数字[26]として1999年に282件の死刑言い渡しがあったのに対し、2003年に144件、2004年に130件であった。また全米の多くの州では死刑執行もまた減少傾向にある。

なお、テキサス州であるが、全米のほかの州では死刑執行が減少傾向にあるため、2007年には全米で執行された42人のうち26人が同州であり全米の3分の2が執行されていた。そのためアメリカのメディアが「死刑の格差」と報道しており、同州でこのような姿勢をニューヨーク・タイムズは「「執行に対する住民の積極的な支持」、ロイター通信は『犯罪者に厳罰を科すことをいとわない「カウボーイ気質」のほか、一部で根強く残る人種差別意識がある』と報道した[27]。これはテキサス州の黒人住民の割合は12%なのに対し、黒人死刑囚が40%であり、黒人の方が白人より数倍死刑になる率が高いためである。2008年現在全米13州とコロンビア特別区及び海外領土で死刑制度が廃止されている。


[編集] カナダ(1976年に廃止)

カナダでは絞首刑で死刑が行われており、イギリス同様特定の死刑執行人が執り行うことになっていた。また第一次世界大戦では敵前逃亡罪などで25人(うち殺人罪2人)のカナダ軍兵士が銃殺された。また第二次世界大戦でも1人が銃殺された。最後の死刑執行は1962年12月10日に2人に対して行われた。

1961年に刑法が改正され、死刑の適用が計画的な殺人などに限定されたが、1963年の総選挙で勝利した自由党政権によって死刑宣告の方法が改定されたため事実上カナダの死刑制度は終焉を迎えた。その後、死刑制度をめぐる様々な論争が行われたが、1976年7月14日に死刑が廃止されるまで、カナダで1,481人が死刑を宣告され、そのうち710人(男性697人、女性13人)であった。カナダ政府は死刑を廃止した理由として「誤審のために、個人の生命を奪う権利を国が行使することに対する懸念と、犯罪抑止力としての死刑の働きが不確実であるため」としている[[2]。廃止派はロジャー・フッド『世界の死刑』(2002年) によると、カナダでは、人口10万人当たりの殺人の比率は、殺人に対する死刑廃止の前年(1975年)の3.09件から死刑廃止後には2.41件(1980年)に低下した事実を指摘している。Statistics Canadaの統計データによると、人口10万人当たりの殺人の比率は、1966年の一般殺人罪の死刑廃止(1.26人/10万人)から1977年まで(3.03人/10万人)殺人発生率が増加したと言うデータもしめされている。

またカナダ政府は、カナダに逃亡した犯罪者が相手国から死刑の適用が行われないと確証がないかぎり、引き渡さない方針をとっている。


[編集] メキシコ(1917年に廃止)

メキシコ内戦終結後の1917年に憲法で死刑廃止が規定された。しかし軍隊内で発生した軍法会議では死刑制度が維持されていた。ただし最後に死刑執行が行われたのは1937年の事であった。それでも死刑の廃止には異論が根強くあり、全面的に死刑が廃止されたのは2005年の事であった。


[編集] 中米・カリブ海沿岸諸国

[編集] グアテマラ(存続、執行は停止)

2000年から刑の執行は無いが、死刑宣告は継続して出されている。2002年ポルティージョ大統領が死刑制度廃止の法案を提出するが、議会が否決[28]。


[編集] キューバ(存続)

2000年以来の刑の執行を停止していたが、2003年年4月に、アメリカへの渡航目的でフェリーを乗っ取り逮捕された3人に対し死刑が執行された。この際、国連人権高等弁務官事務所から執行停止を勧告されたが、キューバ政府は拒否した[29]。。


[編集] 南米

[編集] ペルー(存続)

これまでペルーでは、死刑適用は国家反逆罪のみ、一般刑法犯は終身禁固を最高刑としていた。しかし、2006年6月に就任したアラン・ガルシア大統領は、選挙公約の一つに掲げた、「7歳未満の子供に、性的暴行を加え殺害した被告への死刑適用」を認める法案を、9月21日に議会へ提出、審議が行なわれている。

背景に、日本の広島県で2005年に発生した少女暴行殺害事件(広島小1女児殺害事件)で、容疑者として逮捕された日系ペルー人が、母国において同様の性犯罪を繰り返していたにも関わらず、司法の不手際で収監を逃れたことにより、「年少者に対する性犯罪」の厳罰化世論が高まったことや、殺害した場合の死刑適用に8割が賛成するなどの世論調査の結果が挙げられる[30]。

※ラテンアメリカ諸国の傾向として、78%の国が一般犯罪に対する死刑を廃止し、59%の国が完全な死刑を廃止している。死刑制度存続国も、10年以上死刑を執行していない。


[編集] アジア

[編集] 日本国(存続)

後述の日本における死刑制度に対する近年の動きを参照のこと。


[編集] 韓国(10年以上執行なし・法規上は存続)

大韓民国では死刑執行法は絞首刑としているが、軍刑法は銃殺刑が規定されている。犯行時18歳未満の場合、死刑は宣告されず最高懲役15年に処せられる。また身体障害者と妊婦の死刑は猶予される。

1997年12月30日に23人に死刑執行されて以降行われていない。これはカトリック教徒である金大中政権が発足したためである。なお裁判所による死刑の求刑は許容されているため2007年4月12日に1人が死刑判決が出された。そのため死刑既決囚の総数は64人まで増加したが[31]、2007年12月31日に6人が恩赦で無期懲役に減刑されたため現在は58人となっている[32]。

2005年4月には国家人権委員会が死刑廃止を勧告。一方で20人連続殺人事件が発生。犯人が悪びれる様子が全く無かった事で死刑廃止を疑問視する声が挙がったという。2007年12月30日には前の死刑が実行されてから10年以上経過することを根拠にアムネスティは事実上の死刑廃止国としている。その直前の2007年10月10日には "死刑廃止国家宣言"を行った。法規上は死刑制度を存置しているため、韓国社会で大きな影響力を持つキリスト教団体が死刑制度を撤廃することを要請している。たとえばカトリック大韓聖公会は『人間が他の人間の生命をむやみに奪うことができないという点と同じく、たとえ殺人のように凶悪犯罪を行ったものであっても、悔い改める機会を与えなければならない』として死刑廃止論の根拠としている。またキリストが十字架刑で処刑されたことも強調しているという。なおアムネスティ韓国支部では死刑執行の過程で死刑囚に対する人権侵害が生じる点を指摘し反対している。

2006年2月21日には、法務部(日本の法務省に相当)において、死刑廃止し、絶対的終身刑(重無期刑)の導入の検討を行うべく、2006年6月までに関連研究の検討と公聴会を行う予定であったが、結論は出なかったようである。これは死刑制度廃止論議に責任を持つ法務部は廃止には消極的であるためだという。

2007年5月に行われた韓国政策学会による大統領選候補者に対する政策評価では、多くの候補が死刑廃止であったが、当選した李明博大統領は『犯罪を予防するという国家としての義務を果たすため、死刑制度は維持しなければならない』とし、死刑制度廃止に反対であると主張したが、一方で『法定刑に死刑が定められている罪種があまりにも多い。人命を奪う罪や、人倫に反する凶悪犯罪などに対象を絞る必要がある』と指摘し、死刑適用を大幅に制限すべきだと主張したという[33]。また韓国の国会で死刑制度廃止法案が何度も上程されているが、審議未了廃案となっており、死刑制度の廃止については消極的[34]であるという。ただし、国際的には1985年以後に事実上の死刑制度廃止国となった国が、死刑執行を再開した国がないため、仮に韓国が再開すると欧州諸国から外交的に強い圧力を受けるようになるとして、韓国の死刑執行モラトリアムは継続されるとの指摘[35]もある。


[編集] 中華人民共和国(存続)

死刑の『中国の状況』についても参照のこと

中華人民共和国は毎年1000人以上(公式値、非公式分も含めると一万人近いという説もある)の死刑執行が行われる世界最大の死刑存置国家である。裁判手続きが当局に都合の良い形であり、安易なことや以前は死刑執行が自動的に行われるといった粗雑な司法制度が中国の人権問題のひとつとして問題視されている。中国の場合は、賄賂授受・麻薬密売・売春及び性犯罪など犯罪被害者が死亡しない犯罪などでも死刑判決が下されたこともある。また死刑を犯罪撲滅に対する最大の効果があると司法当局が確信しているため、死刑の適用が多用されている。特に麻薬犯罪に対しては公開処刑の実施や、バスを改造した移動死刑執行車を導入してアヘン栽培をした農民の処刑を行っている。

温家宝国務院総理は、2005年3月14日の記者会見で、中国の国情を理由に死刑廃止について否定的見解を示した。現在進められている司法制度改革に、最高人民法院による死刑再審査制度復活も含まれており、今後、制度改革により死刑判決の厳格さと公正さが保障されていくと述べた[36]。

最高人民法院弁公庁報道官の孫華璞主任は、2006年3月11日に、中国政府公式サイト「中国政府網」及び「新華網」のネット掲示板において、中国における将来的な死刑廃止の可能性について質問に答え、現在、中国を含めた世界半数以上の国々が死刑制度を有している。段階的な死刑廃止は世界的傾向であるが、現在の国情で死刑廃止の条件は整っておらず、死刑廃止を支持する国民的同意も得られる段階にないとのべ、死刑廃止に否定的見解を示した。

その上で、 現在の中国政府の政策は、法律及び司法の両面から死刑の適用・執行を厳格化して、極少数の犯罪や、深刻な犯罪への適用に留めている。死刑は、「即時執行」と「執行猶予2年」に分けられ、後者の死刑判決は、執行猶予2年間に罪を犯さなければ、無期懲役へ減刑される。このため、死刑執行例は実際は少ないと述べた[37]。なお死刑に執行猶予が付せられる規定(中華人民共和国刑法43条)であるが、この目的はいわゆる再教育を目指すものであり、国家に対する反革命(反政府)行為に対して死刑の重圧をかけて『労働改造』する目的があるとの指摘[38]もある。


[編集] 中華民国(存続)

2000年、中華民国(台湾)ではリベラル色の強い民主進歩党の政権誕生後、死刑廃止に向けた作業が続いているが、国内世論の意見集約は進んでいない。2001年5月17日、陳定南法務部長(法相)は、3年以内に死刑廃止のための法改正をすると表明した。

一方、その翌日の5月18日に、台湾の主要紙聯合報が行なった世論調査では、台湾国民の79%が死刑廃止に反対と答え、さらに死刑制度は凶悪犯罪阻止に有効と答えた割合は77%となった。2002年には18才以下の未成年者に対する死刑免除法案が可決。懲役刑の上限引き上げや仮釈放審査の厳格化を盛り込んだ刑法の改正が、2005年2月に可決、2006年7月1日から施行された。

刑法改正の具体的ポイントは、有期懲役の上限が20年から30年に。無期懲役の仮釈放が可能となる年数が25年に引き上げ。殺人や強盗、身代金目的の誘拐など、重大な刑事事件を複数犯した者は、仮釈放期間中または懲役終了後の5年以内に、再び重大な刑事事件を犯した場合、仮釈放は認められない(絶対的終身刑)。また、連続犯罪規定の削除により、連続して罪を犯した場合、犯した罪ごとに罰則が科される事になった。

2006年6月14日、陳水扁総統が、国際人権連盟 (ILHR) 代表との会見の中で、死刑廃止は世界的潮流と述べ、廃止に賛同。また、懲役刑の上限引き上げや、仮釈放審査の厳格化を含む刑法改正により、将来的に死刑制度廃止の国民的コンセンサスは得られるだろうとの見通しを述べた。横浜弁護士会の発表によると、台湾では、死刑を廃止する条項が盛り込まれた「人権基本法案」の検討が開始されている


[編集] フィリピン(2006年に廃止)

フィリピンの死刑制度は、1987年のアキノ政権下で一度廃止されたが、1993年のラモス政権下では華僑の圧力により復活した。2001年発足したアロヨ政権では死刑執行が凍結され、2006年6月7日上下院で再度死刑廃止法案が可決された。死刑廃止後の最高刑は「仮釈放なしの終身刑」となった。2006年6月24日、アロヨ大統領が死刑廃止法案に署名、同法が成立。

アロヨ政権による死刑廃止の背景には、国内で大きな政治的影響力を有するカトリック教会が、かねてから死刑廃止を訴えており、カトリック教会の大統領への支持をつなぎとめるための決断と見られている。加えて、2006年6月25日から同大統領がヨーロッパ歴訪。バチカンでローマ教皇と会見するため、死刑廃止法案の成立を急いでいたという政治的背景も指摘されている。


[編集] カンボジア(1989年に廃止)

王政復古した1989年に死刑廃止している。これはポル・ポト派による大虐殺が影響している。ポル・ポト派は死刑制度を利用し、政治犯を処刑し、体制反対者やポル・ポト派から見て邪魔な人物は死刑に処せられたため、当時の国民の3分の1にあたる400万人が虐殺された為である。現在は憲法により死刑は禁止されている。


[編集] ネパール(1997年に廃止)

1997年、憲法の規定に、総ての犯罪に対して死刑を廃止する条文が盛り込まれた。


[編集] ブータン(2004年に廃止)

国王令によりあらゆる犯罪に対して廃止。


[編集] スリランカ(1976年凍結、1999年復活)

1976年6月の死刑執行を最後に凍結され、歴代大統領により死刑囚は自動的に減刑された。1999年3月13日、犯罪増加報告を受けた政府は、「今後、チャンドリカ・クマラトゥンガ大統領は死刑判決を自動的に減刑しない」と発表。2004年11月19日に発生した高等裁判所判事殺害事件を機に死刑復活世論が高まり、同年11月20日、クマラトゥンガ大統領は、強姦、殺人、麻薬に関する死刑を復活すると発表した。しかしながら死刑執行の再開まではまだ踏み切られていない。


[編集] イラク(2003年凍結、2004年復活)

イラク戦争後のアメリカ軍を主体とする多国籍軍による占領時、アメリカ政府が派遣したブレマー行政官により凍結された。2004年6月30日イラク暫定政府のヤワル大統領は、アラブ有力紙のインタビューで、死刑復活を決定したと表明。適用範囲は、テロ行為や殺人、強姦に限られると述べた[39]。2005年5月22日、イラク中部クートの特別法廷は、イラク警官の殺害、拉致などの20件の犯行に関与して訴追された、反米武装勢力「アンサール・スンナ軍」の男3人に死刑を言い渡した。死刑判決はフセイン政権崩壊後初めて[40]。その後、フセイン元大統領に対しても、死刑判決が下った。2006年12月25日、フセイン元大統領に対する死刑が執行された。余談ではあるが、この死刑執行を世界中の子供が真似しこれまでに7人が事故死した。また、この死刑執行に対し潘基文国連事務総長が死刑を肯定するとも取れる意見をし、国連の立場と矛盾した発言を行ったと非難が集中。のちに弁明した。


[編集] オセアニア

オーストラリア、ニュージーランド共にいかなる場合も死刑を廃止している。ニュージーランドには死刑廃止後、復活させた事があったが、今日は死刑を非人道的として完全に廃止している。島嶼諸国も死刑廃止している。パプアニューギニアは10年以上死刑停止状態である。


[編集] アフリカ

アフリカ53カ国のうち13カ国が死刑廃止している。また20カ国が死刑執行していない。合計すると53カ国のうち死刑を行っていない国は33カ国である。政情が安定している南部諸国における廃止が目立つ。政情が安定しているアラブ圏ではイスラム法の影響もあり死刑存続している国が多い。フランスの文化的影響の強い西部アフリカ諸国は、死刑を中止しているか、国事犯を除く通常犯罪への適用を行っていない国が多い。

死刑制度の世界の現状地図

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%AD%98%E5%BB%83%E5%95%8F%E9%A1%8C#.E4.B8.96.E7.95.8C.E3.81.AE.E7.8F.BE.E7.8A.B6

この図は2008年1月1日時点における世界各国の死刑制度の状況を表した地図である。

世界198ヶ国の色分けは次の通り。

(青):あらゆる犯罪に対する死刑を廃止(91ヶ国)

(緑):戦時の逃走、反逆罪などの犯罪は死刑あり。それ以外は死刑を廃止(11ヶ国)

(橙):法律上は死刑制度を維持。ただし、死刑を過去10年以上実施していない死刑執行モラトリアム国。もしくは、死刑を執行しないという公約をしている国。(33ヶ国)

(赤):過去10年の間に死刑の執行を行ったことのある国(62ヶ国)

となっている。この場合、死刑反対派は実質上の死刑廃止国が91+11+33の135ヶ国の多数派であると主張する一方で、死刑存置派は死刑制度維持国は11+33+61の105ヶ国で大多数であると主張している。なお死刑制度維持国の数字は1990年代以降減少傾向が続いている。

1990年代から21世紀初頭にかけて死刑廃止国が増加しているが、これは欧州連合が死刑制度を廃止するように各国に働きかけているためでもある。実際に欧州連合への加盟を目指しているトルコは死刑を廃止した。またカンボジアやリベリア、ルワンダといった過去に多数の国民が虐殺された国において死刑制度が廃止されている。


死刑制度を全面的に廃止した国の一覧

下記の表であるが、法律上死刑を廃止した年と、戦時を除く通常犯罪に対する廃止年である。また参考に最後に死刑執行が行われた年も判明している場合記載している。これから判るように長期の死刑執行モラトリアムを経て死刑が廃止される国も少なくない。実際に「ギネスブック」に「1798年に世界で最初に死刑を廃止した国家」として掲載[7]されているリヒテンシュタイン公国の実際の死刑制度廃止年は1987年(最後の死刑執行が行われた年は1785年)の事であり、それまで2世紀にわたり事実上死刑存置国であった。また平時で死刑が廃止されていても、戦時では死刑が執り行われる場合もある。

国名 全面死刑廃止年 通常犯罪のみ廃止年 最後の死刑執行年

アルバニア 2007年 2000年

アルメニア 2003年 - -

アンドラ公国 1990年 - 1943年

アンゴラ 1992年 - -

オーストラリア 1985年 1984年 1967年

オーストリア 1968年 1950年 1950年

アゼルバイジャン 1998年 - 1993年

ベルギー 1996年 - 1993年

ボスニア・ヘルツェゴビナ 2001年 -

ブータン王国 2004年 - 1964年

ブルガリア共和国 1998年 - 1989年

カンボジア王国 1989年 - ?

カナダ 1998年 1976年 1962年

キプロス 2002年 1983年 1962年

カボベルデ 1981年 - 1835年

コロンビア 1910年 - 1909年

コスタリカ 1877年 - -

コートジボアール 2000年 - -

クロアチア 1990年 - -

チェコ共和国 1990年 - -

デンマーク王国 1978年 1933年 1950年

ジブチ 1995年 - 建国以来執行無

ドミニカ共和国 1966年 - -

東ティモール 1999年 - -

エクアドル 1906年 - -

エストニア 1999年 - 1991年

フィンランド 1972年 1949年 1941年(戦時)

1825年(平時)

フィリピン 2006年 - -

フランス 1981年 - 1977年

ギリシア 2004年 - -

グルジア 1997年 - 1994年

ドイツ連邦共和国 1987年(旧東独)

1950年(西独) - 1949年(西独)

ギニアビサウ 1993年 - 1986年

ハイチ 1987年 - 1972年

ホンジュラス 1956年 - 1940年

ハンガリー 1990年 - 1988年

アイスランド 1928年 - 1830年

アイルランド 1990年 - 1954年

イタリア 1994年 1947年 1947年

キリバス 1979年 -

リベリア 2005年 - -

リヒテンシュタイン公国 1987年 - 1785年

リトアニア 1998年 - 1995年

ルクセンブルグ大公国 1979年 - 1949年

マケドニア 1991年 -

メキシコ 2005年 - 1937年

マルタ 2000年 1971年 1943年

マーシャル諸島 1991年 - 独立以来執行例無

ミクロネシア連邦 1991年 - 独立以来執行例無

モルドバ共和国 1995年 - -

モナコ公国 1962年 - 1847年

モンテネグロ 2002年 - -

モザンビーク 1990年 - 1986年

ナミビア 1990年 - 1988年

ネパール 1997年 1990年 1979年

オランダ 1982年 1870年 1952年

ニュージーランド 1989年 1961年 1957年

ニカラグア 1979年 - 1930年

ニウエ(ニュージーランド保護領) 2004年 - -

ノルウェー 1979年 1905年 1948年(国家反逆罪)

ベラウ共和国 1986年 - 独立以来執行例無

パナマ 1903年 - 1903年

パラグアイ 1992年 - 1928年

ポーランド 1997年 - 1988年

ポルトガル 1976年 1867年 1849年

ルーマニア 1989年 - 1989年(被死刑囚は大統領夫妻)

サンマリノ共和国 1865年 1848年 1468年(?)

サントメプリンシペ 1990年 - -

セルビア 2002年 - -

セーシェル 1993年 - -

セネガル 2004年 - -

トルコ 2004年 - 1984年

トルクメニスタン 1999年 - -

モーリシャス 1995年 - 1987年

ルワンダ 2007年 -

スロバキア共和国 1990年 - -

スロベニア 1989年 - -

サモア 2004年 - -

ソロモン諸島 1981年 1966年 -

南アフリカ共和国 1997年 1995年 1991年

スペイン 1995年 1978年 1975年

スウェーデン 1972年 1921年 1910年

スイス 1992年 1942年 1944年(戦時)

ツバル 1981年 - 独立以来執行例無

ウクライナ 1999年 - -

イギリス 1998年 1973年(北アイルランド) 1964年(イングランド)

ウルグアイ 1907年 - -

バヌアツ 1981年 - 独立以来執行例無

バチカン市国 1969年 - -

ベネズエラ 1863年 -

出典:亀井静香『死刑廃止論」花伝社 2002年を最新データに更新して改変

中華人民共和国のうち香港とマカオは死刑を廃止している。

アメリカ合衆国のうち13州とコロンビア特別区、海外領土は死刑を廃止している。

[編集] 死刑制度を平時のみ廃止した国の一覧

死刑の適用を平時の犯罪のみ廃止した国。そのため戦時下では死刑もありうるとしている。

国名 通常犯罪のみ廃止年 最後の死刑執行年

アルゼンチン 1984年 -

ボリビア 1997年 1974年

ブラジル 1979年 1855年

チリ 2001年 1985年

クック諸島(ニュージーランド保護領) 不明 -

エルサルバドル 1983年 1973年

フィジー 1979年 1964年

イスラエル 1954年 1962年(戦争犯罪人)

キルギスタン 2007年 -

ラトビア 1999年 1996年

ペルー 1979年 1979年


[編集] 過去10年以上死刑執行モラトリアムの国の一覧

国名 最後の死刑執行年 国名 最後の死刑執行年

パプアニューギニア 1950年 モルジブ 1952年

ブルネイ 1957年 マダガスカル 1958年

ナウル 独立以後無 ニジェール 1976年

スリランカ 1976年 グレナダ 1978年

トーゴ 1978年 マリ 1980年

ガボン 1981年 中央アフリカ 1981年

ガンビア 1981年 コンゴ民主共和国 1982年

コンゴ共和国 1982年 スリナム 1982年

トンガ王国 1982年 スワジランド 1983年

ケニヤ 1984年 バルバドス 1984年

ベリーズ 1985年 ドミニカ国 1986年

ベナン 1987年 モーリタニア 1987年

ブルキナファソ 1988年 ラオス 1989年

アンティグア・バーブーダ 1991年 チュニジア 1991年

マラウイ 1992年 ガーナ 1993年

アルジェリア 1993年 モロッコ 1993年

ミャンマー 1993年 タンザニア 1994年

セントルシア 1995年 セントビンセント・グレナディーン諸島 1995年

コモロ 1996年 ザンビア 1997年

カメルーン 1997年 大韓民国 1997年

グアテマラ 1998年 セントクリストファー・ネビス 1998年

シエラレオネ 1998年 - -


[編集] 2006年に公式に死刑執行があったことが確認できる国の一覧

国名 国名 国名 国名

アメリカ合衆国 中華人民共和国 アフガニスタン バングラディシュ

イラン イラク エチオピア 日本

バーレーン ボツワナ エジプト 赤道ギニア

インドネシア ヨルダン 朝鮮民主主義人民共和国 クウェート

マレーシア モンゴル パキスタン サウジアラビア

シンガポール ソマリア スーダン シリア

ウガンダ ベトナム イエメン

以上27ヶ国[8]


国際社会の動向

この節の内容に関する文献や情報源を探しています。ご存じの方はご提示ください。出典を明記するためにご協力をお願いします。

1989年12月には、国連で採択された「国際人権規約」の「市民的及び政治的権利に関する国際規約の第二選択議定書」に随意項目として死刑廃止が存在する。これを加えて廃止を選択する国は、国際条約に基づき『戦時中に犯された軍事的性格を有する極めて重大な犯罪に対する有罪判決によって、戦時に適用することを規定』(第2条1項)されている戦争犯罪を除き平時全ての死刑を廃することになる。

1990年ごろまでは、死刑維持国が大多数を占めたが、一党独裁ないし軍事独裁政権であった国家が民主化した直後に東欧や南米の諸国が死刑を廃止し、死刑廃止国の数が増加した。一方で、アジア・アフリカ・中東の民主化の結果として、民主国家で死刑を維持する国の数もまた多数存在する。なお死刑廃止国において世論の動向に関わる無く廃止を実施したところも多く、死刑復活の意向が多数派である国も存在する。

国連の死刑廃止条約や、EUの死刑廃止ガイドラインは、通常の犯罪に対してのみ死刑のみを禁止しており、有事の際の死刑については死刑廃止国の権利として認めている。尚、死刑廃止論の祖であるベッカリーアを始め、現在に至るまで、大部分の死刑廃止論者・団体は、平和時の通常犯罪に限定して死刑廃止を主張しており、戦時下など国家の危機における死刑については対象としないことが通例である。

2006年に死刑を執行した国は、日本を含む25カ国。人数は1,591人が確認されているが、この数値には秘密裏に処刑されたものが入っていないので、実際はこれよりも多いとされる。全世界の死刑執行数の約9割以上が中国であり、続いてイランであり、イスラム圏諸国が多い。また人口に占める死刑執行の割合が多いのはサウジアラビアであり、1980年から2002年に1409人が処刑されたが、人口比では208,772人に一人に相当[9]するという。死刑執行が中国では犯罪に対する威嚇として窃盗・賄賂といった人命が奪われたわけでない犯罪に対しても死刑が適用される場合がある。また新疆ウイグル自治区ではイスラム教徒による東トルキスタン分離運動をテロリズムとして死刑が適用された事例がある。またシンガポールでは麻薬の所持で外国人を含む多くの者が処刑されている。

なおイランやサウジアラビアといったイスラム教国でもイスラム法を現在も幅をきかしている国においては、廃教・不倫・同性愛など宗教的戒律を破った者に対しても死刑を行っている。そのため石を群集が投げつけて生命を奪う見せしめが行われている。その一方で、イスラム法では殺害された被害者の遺族が死刑囚を許した場合には死刑の執行が猶予される場合もある。

歴代死刑囚について語ろう@2chまとめ

http://www40.atwiki.jp/rekidaishikeishu/

2ちゃんねる内のニュース議論板内の「歴代死刑囚について語ろう」スレッドのまとめサイト。2チャンネル内では最も伝統のある死刑関連スレッドだと思われます。死刑確定者・既執行者についての情報や個別事件等充実した情報が満載です。ただ死刑存廃議論はこのスレッド内で行うことはできません。

●●現行スレッド(歴代死刑囚 について語ろう〜縄二十四本目〜)●●

 http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news2/1204182780/



●●過去スレ一覧●●

 http://www40.atwiki.jp/rekidaishikeishu/pages/19.html



●●関連サイト一覧●●

 http://www40.atwiki.jp/rekidaishikeishu/pages/13.html



●●死刑確定者一覧●●

 http://www40.atwiki.jp/rekidaishikeishu/pages/14.html



●●死刑確定者一覧(1970年以前)●●

 http://www40.atwiki.jp/rekidaishikeishu/pages/23.html



●●死刑被執行者等一覧●●

 http://www40.atwiki.jp/rekidaishikeishu/pages/15.html



●●死刑囚の一日●●

 http://www40.atwiki.jp/rekidaishikeishu/pages/16.html



●●死刑となる罪●●

 http://www40.atwiki.jp/rekidaishikeishu/pages/20.html



●●死刑執行の順序(法務省編)●●

 http://www40.atwiki.jp/rekidaishikeishu/pages/17.html



●●死刑執行の立会人●●

 http://www40.atwiki.jp/rekidaishikeishu/pages/18.html



●●死刑事件考察のための参考書●●

 http://www40.atwiki.jp/rekidaishikeishu/pages/24.html



●●コミュニケート●●

 http://www40.atwiki.jp/rekidaishikeishu/pages/22.html

ニッポンリポート

http://homepage3.nifty.com/tetuh/

フリーライターの佐久間哲氏が報告する戦後の事件のサイト。法廷での被告人を多角的に捉えることで事件の真相を炙り出していく。死刑問題・冤罪事件の紹介は単なる裁判システムの批判に留まらず、人間模様を描き出していきます。




現代社会の深層をつかむために

現場からの報告ファイル


法廷編


001 覚せい剤密輸北朝鮮ルート事件(上)

002 覚せい剤密輸北朝鮮ルート事件(中)

003 覚せい剤密輸北朝鮮ルート事件(下)

004 覚せい剤密輸中国ルート事件(上)

005 覚せい剤密輸中国ルート事件(下)

006 覚せい剤密売イラン人グループ事件(1)

007 覚せい剤密売イラン人グループ事件(2)

008 覚せい剤密売イラン人グループ事件(3)

009 覚せい剤密売イラン人グループ事件(4)

010 トカレフ所持事件

011 警察官発砲関連事件

012 青物横丁医師射殺事件(上)

013 青物横丁医師射殺事件(下)

014 暴力団トカレフ射殺事件

015 拳銃密造事件

016 外国人ヤクザ射殺事件

017 会社社長射殺事件(上)

018 会社社長射殺事件(下)

019 入浴死偽装殺人事件(上)

020 入浴死偽装殺人事件(下)

021 警察官強姦事件

022 警察官射殺・尾道事件

023 トカレフ警察官射殺事件(上)

024 トカレフ警察官射殺事件(下)

025 覚せい剤男警察官射殺事件

026 田園都市線強制わいせつ事件

027 拳銃運び屋事件

028 神奈川県警復讐発砲疑惑事件

029 警視庁クリープ発砲事件

030 重信房子蔵匿事件

031 台湾人覚せい剤密輸グループ事件

032 薬物密売イラン人殺傷事件

033 沖縄覚せい剤大量密輸事件(上)

034 沖縄覚せい剤大量密輸事件(中)

035 沖縄覚せい剤大量密輸事件(下)

036 警察官覚せい剤使用事件

037 警察官発砲・韓国大盗事件(上)

038 警察官発砲・韓国大盗事件(下)

039 覚せい剤CD捜査・市原事件

040 一橋大学教授轢死事件(上)

041 一橋大学教授轢死事件(下)

042 神奈川県警乱射事件(上)

043 神奈川県警乱射事件(下)

044 覚せい剤密輸・関空事件(上)

045 覚せい剤密輸・関空事件(下)

046 暴力団拳銃所持事件

047 覚せい剤大量所持事件・留学生の転落



平成の死刑編


101 冤罪の恐怖

102 無念の獄死

103 恩赦の明暗

104 処刑認めず

105 法秩序維持

106 生きて償え

107 ポロリと涙

108 突然の別れ

109 貧しい子へ

110 7人目の女

111 ツーダウン

112 喜びの暗転

113 贖罪の方法

114 DNA鑑定

115 犯行時少年

116 絶対極刑に

117 異国の地で

118 頭が爆ぜる

119 闘い続ける

120 存廃論議へ



事件史余聞編


201 下山事件

202 三笠宮の中国


首都移転問題編


301 金丸ドンの置き土産

302 "北東陣営"対"西陣営"

303 世界の珍事平成の乱

304 地震怖いと1人逃げ

305 君が代無視の"不敬"

306 国民合意そっちのけ


シットダウンから小泉天下の皆々様へ


杉浦法務大臣さま

読売新聞社さま

国会議員さま


リポートは,随時、追加されます。

事件史探求

http://gonta13.at.infoseek.co.jp/

戦後から現在までの事件・事故を紹介するサイト。新聞の社会面の縮刷版のようにその時代時代の事件・事故を克明に描いています。死刑関連データのページも充実しています。

無期懲役刑に関する誤解の蔓延を防止するためのホームページ

http://www.geocities.jp/y_20_06/index.html


誤った認識・前提により日本の現行の無期懲役刑が著しく過小評価されている現状を憂い、正確な情報を広めるべく立ち上げたホームページです。

日本の現行の無期懲役刑には「仮釈放」の制度が存在するが、その運用は世間で思われているほど甘いものではなく、特に2000年以降においては、基本的に最低でも刑確定後20年を超える服役を経ないと仮釈放されない運用がされており、「矯正統計年報」によれば、2003年以降に仮釈放を許された無期刑受刑者28人のうち、在所20年以内の者は1人もおらず、2000年以降の7年間でもごくわずかである。また、最近3年間の無期刑仮釈放者の平均在所年数は各年とも25年を超えており、2005年のそれは27年2ヶ月であった。なお、これはあくまで「仮釈放者」のデータであり、未仮釈放の長期在所者のデータに着目してみると、2000年8月の時点で、在所20年以上の無期懲役囚が175人、在所30年以上の無期懲役囚が42人、在所40年以上の無期懲役囚が17人、在所50年以上の無期懲役囚が2人存在していることが確認されており、2002年5月31日の衆議院法務委員会会議録によれば同年2月末時点の最長は「52年10ヶ月」、2番目が「52年0ヶ月」とのことである。法律上は、10年経過後(少年のとき無期刑の判決を受けた者は7年経過後)から仮釈放が可能な規定(刑法28条、少年法58条1項1号)となっており、特にマスコミなどがこの点などを強調して報道しているため、「無期懲役といっても通常7年か10年で仮釈放される」などと誤解している者も散見されるが、実態との乖離が著しく、このような誤解の蔓延は「無期懲役刑の犯罪抑止効果」という観点から考えても、極めて好ましくなく、非常に問題である。

無期刑(Life imprisonment)とは、刑の終期(満期)の無い、一生の期間にわたる自由刑という意味であり、単に刑期を決めていない絶対的不定期の刑罰という意味ではない。「刑期を決めていない刑」は、不定期刑(相対的不定期刑と絶対的不定期刑の2種類があり、後者は禁止されている)である。刑の終期が来ることのない以上、刑に終わりはないため、無期懲役とは、一生続く、終生の懲役刑というのが正確な定義である。仮釈放制度とは、刑事施設に拘禁されている受刑者を、刑期満了前に一定の条件をつけて仮に釈放する刑事政策上の制度である。前述の通り、無期懲役は、終生の懲役刑であるが、現行法は、無期刑にも仮釈放を認めているため(刑法28条)、無期懲役の受刑者も、「終生という刑期の途中で仮釈放によって社会に復帰できうる」のである。3年の懲役刑が、「3年という刑期の途中で仮釈放によって社会に復帰できうる」のと同様のことである。仮釈放は、刑罰からの解放を意味するわけではなく、仮釈放中の者は、保護観察に付されることとなっており(犯予法33条)、場合によっては仮釈放が取り消される可能性もある(刑法29条)。仮釈放期間については、わが国では、残刑期間主義が採られているため、無期刑の場合は一生、有期刑の場合は満期日までである。

本来、終身刑とは、刑期が終生にわたるものをいい、仮釈放の可能性がなくその刑期全てを実際に必ず刑務所で過ごさなければならない刑のみを終身刑というわけではない。無期刑と終身刑は、少なくとも刑法用語の正しい定義からすれば全く同じ意味であり、仮釈放の有無によって区別されず、いずれも英語では「Life imprisonment」または「Life sentence」との語が充てられ、「仮釈放なしの無期刑」(=「仮釈放なしの終身刑」)は「Life imprisonment without parole(LWOP)」との語が充てられる。両者(無期刑と終身刑)の違いは、本来的には、原語の訳の違いに過ぎず、現地の用語を日本語に「直訳」した場合、アジア圏のそれは「無期懲役」という訳となることが多く、アジア圏以外のそれは「人生」や「生涯」に相当する語が用いられている場合が多いため、「終身刑」という訳となることが多いというだけの話である。例を挙げれば、イギリスの場合は「Life sentence」、ドイツの場合は「Lebenslange Freiheitsstrafe」、フランスの場合は「Reclusion criminelle a perpetuite」、ロシアの場合は「Пожизненное заключение」、中国の場合は「无期徒刑」である。しかしながら、わが国においては、一般的に、誤った定義が多用されており、恩赦がない限り一生を必ず刑務所で過ごさなければならない刑のみが単に「終身刑」と呼称されるとともに、「仮釈放のある無期刑」のみが単に「無期刑」と呼称されて、両者は区別される場合が多い。また、このことに加え、諸外国の「無期刑」が「仮釈放なしの無期刑」ではなく「仮釈放のある無期刑」である場合であっても、「終身刑」と(特にマスコミなどから)日本語に直訳される場合が多いため、様々な誤解や混乱が生じているが、LWOPを置いている国は、アメリカ合衆国(一部の州を除く)、オーストラリア(同)、中国など、むしろ比較的少数にとどまっている。




皆様へお願い


◆はじめに

◆概説(わが国の無期懲役)

◆無期懲役刑の性質

◆仮釈放者のデータ

◆無期懲役刑総合データ集

◆終身刑の本来の定義

◆各国の自由刑の状況

◆各国の自由刑の状況(Ⅱ)

◆各国刑法・参考文献

◆考察・拙論

◆刑法28条等改正論

◆付随知識・各種統計

◆リンク

ここでは、実際に起きた犯罪事件について考えます。

特に、死刑問題を中心とします。

OUTLINE  (last update 2002.7.1)

   このサイトが初めてな方は、まずこちらをお読み下さい。


私が考える死刑論  (last update -)

   私が考える死刑論です。


死刑に関するニュース  (last update 2008.3.14)

   新聞その他から引き出した、死刑に関するニュースです。


死刑確定囚リスト  (last update 2008.3.3)

   93. 3.26以降における死刑確定囚リストです。


最高裁係属中の死刑事件リスト  (last update 2008.3.3)

   最高裁係属中の死刑事件リストです。


高裁係属中の死刑事件リスト  (last update 2008.2.4)

   高裁係属中の死刑事件リストです。


無期懲役判決リスト 2008年度  (last update 2008.3.14)

   2008年に無期懲役の判決が出た事件のリストです。

   【2003年度リスト】。【2004年度リスト】。【2005年度リスト】。【2006年度リスト】。【2007年度リスト】。


求刑無期懲役、判決有期懲役 2008年度  (last update 2008.3.14)

   2007年度に地裁、高裁、最高裁で求刑無期懲役に対し、有期懲役の判決が出た事件のリストです。

   【2006年度リスト】。【2007年度リスト】


求刑無期懲役事件公判予定  (last update 2008.3.13)

   無期懲役が求刑された事件の判決予定リストです。


死刑執行・判決推移  (last update 2008.3.3)

   戦後の死刑執行者数の推移です。近年の死刑判決数も載せています。


求刑死刑・判決無期懲役  (last update 2008.3.13)

   1990年以降の求刑死刑で判決が無期・有期懲役・無罪だった事件を集めています。


死刑・犯罪文献を考察する  (last update 2007.6.20)

   死刑・犯罪について書かれた本の紹介、感想です。このページの参考文献でもあります。


ノンフィクションで見る戦後犯罪史  (last update 2008.3.14)

   戦後の日本犯罪史及びその犯罪についてのノンフィクション作品の紹介です。

犯罪の世界を漂う

http://www.geocities.jp/hyouhakudanna/climb.html

ここでは、実際に起きた犯罪事件について考えます。

特に、死刑問題を中心とします。


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私が考える死刑論  (last update -)

   私が考える死刑論です。


死刑に関するニュース  (last update 2008.3.14)

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   2007年度に地裁、高裁、最高裁で求刑無期懲役に対し、有期懲役の判決が出た事件のリストです。

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求刑無期懲役事件公判予定  (last update 2008.3.13)

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死刑執行・判決推移  (last update 2008.3.3)

   戦後の死刑執行者数の推移です。近年の死刑判決数も載せています。


求刑死刑・判決無期懲役  (last update 2008.3.13)

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死刑・犯罪文献を考察する  (last update 2007.6.20)

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ノンフィクションで見る戦後犯罪史  (last update 2008.3.14)

   戦後の日本犯罪史及びその犯罪についてのノンフィクション作品の紹介です。

刑部 死刑制度に対する考察(個人サイト)

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Suzuran/7136/linker.html


はじめに 死刑の現状と私の見解

死刑になる罪 現在、法定刑に死刑がある罪および、その適用状況

主な争点 死刑問題に関する主な争点

執行一覧 1993年以降の死刑被執行者(表)

確定者一覧 現在死刑が確定している者(表)2.29更新

未決者一覧 一・二審で死刑判決を受け、上訴中の被告(表)3.3更新

死刑求刑事件検察上告一覧 検察が二審の無期懲役を不服として上告した被告の一覧(表)

公判予定 死刑事件の公判予定3.12更新

死刑(非執行)既済者一覧 1980年以降の執行されなかった死刑既済者(表)

戦後死刑事例 戦後・死刑が適用された事例

各種統計 確定から執行までの期間など

管区別死刑被告収容者 現時点での確定者・二審判決済・一審判決済の管区別死刑被告収容状況2.29更新

Q&A 死刑に関する簡単な応答集

死刑年表 戦後死刑史

死刑囚列伝 戦後の死刑囚たちを、ちょとした文で紹介

裁判や死刑に

関する辞典 その名の通り、裁判や死刑に関する辞典

犯罪に関する辞典 大量殺人や警察庁指定事件等を扱っています2.29更新

傍聴記 色々な方による、裁判の傍聴記公判予定3.6更新

ひとりごと(刑部版) 笑月の思ったこと、感じたことを、つらづらと

リンク こちらから直接リンクを見れるようにしました1.1更新

東京拘置所のそばで死刑について考える会

http://homepage2.nifty.com/sobanokai/


東京拘置所のそばで死刑について考える会(そばの会)

東京都荒川区南千住1-59-6-302

メール連絡先:RXE10306@nifty.ne.jp

まえがき


 わたしたちは毎月1回、東京拘置所のそば、綾瀬駅前で「死刑について考えてみませんか?」というビラを配っているグループです。

 この集まりは、1996年末の死刑執行を受け、本当にこれ以上執行させたくない、そのために私たちに何ができるだろうか、と話し合う中から、うまれました。

 様々な地域の方々が地道に(ときには派手なパフォーマンスも含め)それぞれ創意工夫をこらして運動を展開している、そのスタイルを見習いながら、私たちは処刑場を持つ東京拘置所周辺の地域運動として死刑廃止の声をあげていこうと思いました。しかし「死刑廃止」を前提とすると、これからいっしょに考えていけるかもしれない人たちとの回路を閉ざしてしまいそうで「死刑について考える」会としたものです。また、私たちの中にも、いきなり「廃止」とは呼びかけづらい、せめて「考える」ということであれば・・・という仲間もいます。

 そして、綾瀬駅前でビラを配ることから始め、執行に抗議するデモや地域ビラ入れ、ミニ集会などを重ねてきました。執行の危険が高まるたび東京拘置所へ申し入れに赴いたり、毎月1度のビラまきを続けてきました。

 多くの仲間の参加を期待します。また、ビラ配布後に短いミーティングをもち、反省や次回の日程・ビラの内容等を相談しています。意見や提案などもお待ちしています。

これからのビラまき予定:2008年3月22日(土曜)午後4時~

         場所:綾瀬駅前(東口)


今月の余談

★鳩山法務大臣は、問題発言を繰り返しており、法相としての資質を問う声が高まっています。ストレートに辞任や罷免を求める意見も多いのですが、大臣の首の入れ換えで一件落着とされることにも納得できないものを感じます。大臣の職を奪われても、ほんとに彼の首が絶ち切られるわけではありません。しかし、歴代の法務大臣の多くは、ほんとに死刑囚の首を吊るしてきたのです。

 以前、名古屋刑務所で、革手錠を使った刑務官による受刑者への虐待・死傷事件が明るみに出たとき、当時の森山真弓法務大臣は受刑者からの大臣あての情願など見たこともなかったことを告白し、その後は直接自分で眼を通すようにしたといいます。当時も、森山大臣に辞任を求める声はありましたが、彼女がほんとに反省しているのなら、辞めさせるより、死ぬまで獄中者の訴えを読み続け、善処し続ける「刑」を科したいものだと思ったことです。

 しかし、鳩山氏の場合は、せいぜい「誤解を招く不適切な表現をした」程度の釈明をするばかりで、本質的な反省はみられません。もともと、安倍政権下で任命され、福田政権でも続投となってしまった鳩山氏ですが、政府・与党には、もはや、法務大臣を担える人材は底をついたのでしょうか。

★死刑問題関係でのさまざまなイベントが企画・予定されています。

 2月のビラでも紹介した「光市事件」報道を検証する会の集会が3月15日(午後1時~)四谷プラザエフにて。

 「死刑と日常」というテーマ(仮題)での辺見庸さんの講演会が4月5日(午後2時~)九段会館大ホールにて。

などです。どうぞ、ご注目・ご参加ください。(2月23日記)





ビラなど

08年02月 「凶悪犯罪」は増えていません/テレビがあおる厳罰化

08年01月 死刑廃止に向かう世界/ 死刑大国の道を歩む日本

08年01月裏面 国連総会の決議文

07年12月 情報公開は何のため?/鳩山法務大臣が死刑を執行

07年11月 死刑があれば死刑を求めてしまう・・・/国連決議に注目を

07年10月 大きい権限は大きい責任/鳩山法相の発言について

07年09月 必要的上訴制度の問題/死刑囚はなぜ増える?

07年08月 拷問禁止委員会の勧告/日本の死刑制度の問題点

07年07月 票にならない声/死刑と選挙

07年06月 死刑確定者と外部との交流/窓が少し開いた

07年06月裏面 東京拘置所への抗議及び要請書

07年05月 Stop! 死刑執行/死刑と厳罰化に反対する6月共同行動

07年04月 執行を日常化させるな/国会会期中の死刑執行

07年03月 死刑確定囚が100人に/厳罰化の果ては?

07年02月 「それでもボクはやってない」/冤罪事件の映画に観る裁判

07年01月 当局を責めず法務大臣に抗議を/処刑された死刑囚の遺言

06年12月25日号外 長勢甚遠法務大臣による/死刑執行に抗議する!

06年12月 袴田巌さんのこと/冤罪の危険は高まっている

06年11月 法務大臣の「怠慢」?/死刑執行の権限について

06年10月 世界死刑廃止デーを機に考える/死刑のない社会

06年09月 大道寺幸子基金のこと/死刑囚の作品にふれる

06年08月 あなたも絶対「自白」する!/冤罪は必ず作られる

06年07月 更生の余地はない? あったとしても?/光市事件の判決について

06年06月 凶悪犯罪が増えている?/昔はよかった、ですか?

06年05月 アメリカといってもいろいろ/各州で異なる死刑制度

06年04月 えん罪を訴える高橋和利さんに/最高裁の死刑判決

06年03月 宗教者と市民が集った/法務大臣の地元集会

06年02月 届かなかったアンケート/事前告知をめぐって

06年01月 絵画作品を見ながら考える/死刑囚の表現手段

05年12月 監獄法の大改正/どうなる死刑囚の処遇

05年11月 私は死刑執行のサインはしません/新法務大臣の「信条」

05年10月 10月10日は世界死刑廃止デーです/死刑制度について考えてみませんか

05年09月 死刑囚との面会・文通/誰とも会えない人たち

05年08月 近く死刑執行の可能性/新刑場を使わないで!

05年07月 死刑囚の表現/永山則夫さんの残したもの

05年06月 名張事件の再審決定に思う/裁判官の責任は?

05年05月 死刑求刑事件に/四一年ぶりの一審無罪判決

05年04月 名張事件/奥西勝さんの再審決定!

05年03月 誘導尋問のようだけど……/世論調査の示すもの

05年02月 重罰化で犯罪は減るか?/増加している死刑判決

05年01月 検察の量刑基準をめぐって/死刑と無期のあいだ

04年12月 多田謡子反権力人権賞を受賞/死刑囚へのTシャツ・現金差入訴訟

04年11月 日本の死刑制度と死刑囚処遇/死刑について考えてみませんか

04年10月 死刑を執行するのは誰?/法務大臣を責めないで!?

04年09月 野沢法務大臣が死刑執行/死刑を求めた死刑囚のこと

04年08月 ドストエフスキーの作品から/処刑寸前から生還した文豪が語る「死刑」

04年07月 むずかしい問題ですが/「被害者感情」と死刑

04年06月 死刑廃止の条件をめぐって/犯罪被害者の人権

04年05月 6月に死刑執行の可能性/執行は止められます

04年04月 人権擁護大会に向けた日弁連の催し/揺れるアメリカの死刑制度

04年03月 イラク戦争開始から一年/戦争と死刑をめぐって

04年02月 フセインを死刑にする?(ブッシュは?)/戦争犯罪と死刑制度

04年01月 安田好弘弁護士に完全無罪判決/でも冤罪の人はいっぱいいる

03年12月 死刑の現実を知ることから/執行はどのように行なわれるか

03年11月 これでは再審請求も困難です/死刑確定囚と外部の交流

03年10月 ホームページへの反響から/犯罪被害者の人権をどう考えているのか!?

03年09月 処刑と獄死/森山法務大臣が三度目の死刑執行

03年08月 国会議員の刑場視察

03年07月 刑よりも罪をおそれる心を

03年06月 永遠に時期尚早?

03年05月 死刑執行停止法案を考える

03年04月 戦争と死刑を止めよう

03年03月 上田大さんのこと

03年02月 イリノイ州で全死刑囚を減刑

03年01月 政治の世界は厳しい?

02年12月 日本弁護士連合会の提言

02年11月 疑わしきはこれを罰す?

02年10月 鶴見事件の高橋和利さん

02年09月 死刑は日本の文化?

02年08月 データが語る死刑廃止

02年07月 なぜ死刑に賛成/反対するのか?

02年06月 外国人に対する死刑判決

02年05月 三崎事件・荒井政男さんの場合

02年04月 無実を訴える死刑囚の声

02年03月 元刑務官の方のお話

02年01月 年末の死刑執行

01年08月 第一回死刑廃止世界大会の報告集会が開かれます

01年07月 第一回死刑廃止世界大会が開かれました

01年05月 ヨーロッパで死刑廃止世界会議が開かれます

01年04月 国と拘置所はなぜ死刑囚を隠すのか?

01年03月 欧州会議調査団の続報です

01年02月 欧州会議の調査団が来日します。

01年01月 ビラへの反響を特集しました。

00年12月 責任は誰がとるんですか?

00年10月 「日独裁判官物語」を見ながら死刑について考えてみませんか

00年09月 あなたが裁判官ならどうします?

00年08月 残り少ない死刑存置国アメリカでも死刑執行停止の波

00年07月 ボタンを押すのは誰ですか?

00年06月 法務大臣がサインを拒むと……

00年05月 知らなくっていいの……?

00年04月 「世論」が求めていることは?

00年01月 なぜ? 再審請求中・人身保護請求中の死刑執行

99年8月 死刑について考えてみませんか

No21 死刑制度 賛成?反対?

No19 死刑について考えてみませんか

No18 死刑について考えてみませんか

要望書3 1998/11/11

No17 死刑について考えてみませんか

No16 死刑について考えてみませんか

No15 死刑について考えてみませんか

No14 死刑について考えてみませんか

No13 東京拘置所で死刑の執行がありました

死刑執行に対する抗議および要請

要望書 6月18日の朝、そばの会の3人が東京拘置所に行って、「要望書」を手渡しした。

No12 死刑について考えてみませんか

No11 死刑囚の「いのち」に触れてみませんか

No10 死刑について考えてみませんか

No9 死刑について考えてみませんか

No8 「ジャーニー・オブ・ホープ」を観て、死刑について考えてみませんか?

No7 死刑について考えてみませんか

No6 死刑について考えてみませんか

No5 死刑について考えてみませんか

抗議ならびに要望書 死刑執行に抗議する東京拘置所一周デモ 参加者一同

No4  死刑物語 ………本当にあったお話です。

9/13東京拘置所一周デモ

No3  8・1 4名の死刑執行に抗議します

No2

No1

1981年9月17日、フランス国民議会、死刑廃止法案の審議における、法務大臣ロベール・バダンテールの演説全文訳

http://kihachin.net/tips/badinter.html

死刑廃止について、リレーエントリー「お嬢さま、玲奈と死刑廃止を考える」を次のブロガーの皆さんが書きました。

第1回 とりあえず(luxemburg)

第2回 お玉おばさんでもわかる政治のお話(お玉おばさん)

第3回 とむ丸の夢(とむ丸)

第4回 華氏451度(華氏451度)

第5回 doll and peace(ぷら)

第6回 薫のハムニダ日記(ハムニダ薫)

第7回 とりあえず(村野瀬玲奈)

第8回 喜八ログ(喜八)


その基調文献としてこの演説の全訳をここに公開し、皆さんの参考に供したいと思います。ご感想、ご意見、お問い合わせなどは村野瀬玲奈か喜八宛てにメールしていただくか、上記の各エントリーのコメント欄までお願いします。




1981年9月17日、フランス国民議会、死刑廃止法案の審議における、法務大臣ロベール・バダンテールの演説全文訳

原文(フランス語)

訳: 村野瀬 玲奈

[...]

大統領(フランソワ・ミッテラン): では、法務大臣にご発言いただきましょう。

法務大臣(ロベール・バダンテール): 大統領閣下、議員のみなさん、共和国政府の名において、フランスにおける死刑廃止を国会にお願いすることは私の名誉であります。

ロベール・バダンテール、

国璽尚書、

法務大臣、

1981年6月23日 -

1986年2月18日

出典 : フランス法務省

みなさんがそれぞれ、私たちの国の司法と私たちにとっての影響を推し量っていらっしゃる今この瞬間、私はまず、提出された法案の精神を理解してくれた法務委員会に感謝を申しあげます。特に、報告者であるレーモン・フォルニ(訳注:当時の与党である社会党の議員で法務委員会委員長。この審議では、バダンテール演説に先立って、委員会の名で報告を行なっている。死刑廃止法案提出にいたるまでの歴史に触れ、恩赦権を大統領に預け続けることはもうこれ以上できないと述べ、死刑廃止が国民投票にかけられる問題でない憲法上の理由を示し、世論は死刑存置に傾いているが議会の決定する死刑廃止の成否はいずれ世論が判断することになると説明し、代替刑の創設を急いではいけないと念を押した。また、生きる権利はすべての人に保証されると同時に犯罪犠牲者への配慮も怠らないことも強調した。最後に、議会に諮られる死刑廃止法案は勇気の法令ではなく、人間への信頼の法令であると述べた)に感謝いたします。なぜなら、氏は心と才能を兼ね備えた人であると同時に、過去何年にもわたって死刑廃止のために闘った人であるからです。私たちが経験している大きな政治的変化が生じる前に死刑廃止が決定されるべく、氏だけでなく特に以前の法務委員会で過去何年にもわたって力を尽くしたすべての人々に、その政治的所属を問わず、私は氏と同様に感謝を申し上げます。

この精神の共同体、政治党派のちがいを超えたこの思想の共同体は、今日みなさんの前に開かれたこの議論がまず良心の議論であるということを示しています。みなさん一人一人がするべき選択は個人としての社会的意思表明となるでしょう。

レーモン・フォルニが、ある長い歩みが今日終わると先ほど強調したのは正しかったのです。フランスが経験した最初の議会制議会でルイ=ミシェル・ル=ペルティエ=ドゥ=サン=ファルジョー(訳注:1760-1793。政治家。暗殺され、フランス革命の最初の殉難者と言われている)が死刑の廃止を求めてから2世紀近い年月が流れています。それは1791年のことでありました。

フランスの歩みをふりかえってまいります。

フランスは偉大です。その力によってだけでなく、その力以上に、その歴史で特別に重要な数々の瞬間にフランスを導いたさまざまな思想の輝き、さまざまな主義主張の輝き、寛容さの輝きゆえに偉大なのです。フランスは偉大です。なぜなら、拷問無しにはフランスの司法は非武装になってしまうだろう、拷問無しには善人は悪人に運命をにぎられてしまうだろう、と主張する用心深い人々が当時この国にいたにもかかわらず、拷問を廃止した欧州最初の国だったからです。

フランスは、今もなお人類の名誉を傷つけている奴隷制を廃止した、世界でも最初の数カ国に名を連ねています。

ここで声を低めて申しあげなければなりませんが、勇気あるこれほどの努力にもかかわらず、西ヨーロッパにおいて、フランスは死刑を廃止する最後の数カ国の一つ、実はほとんど最後の国ということになりそうです。フランスはこれほどしばしば、ヨーロッパの中心であり極であったのにもかかわらずです。

なぜこの遅れが生じたのでしょうか。これが私たちが自らに向ける最初の問いです。

国民の才能のせいではありません。なぜなら、しばしば、フランスから、この場所から、最も偉大な声、人類の意識の最も高く最も深いところに響く声、雄弁によって死刑廃止の主義主張を支えた声が上がったからです。フォルニさん、まさに正しくも、あなたはヴィクトル・ユゴー(訳注:1802-1885。作家。作品に「レ・ミゼラブル」、「ノートル・ダム・ドゥ・パリ」など。死刑反対をテーマにした作品もある)を思い出させてくれました。作家で死刑廃止を唱えた者として、私はそこにアルベール・カミュ(訳注:1913-1960。作家。作品に「異邦人」、「ペスト」など。人間存在の不条理をテーマにした作品で知られ、ノーベル文学賞を受賞)を加えます。また、この分野では、レオン・ガンベッタ(訳注:1838-1882。弁護士、政治家。急進的改革を主張した左派)、ジョルジュ・クレマンソー(訳注:1841-1929。ジャーナリスト、政治家。左派から保守派に転向し、帝国主義政策を推進した)、そして偉大なるジャン・ジョーレス(訳注:1859-1914。社会主義政治家で、雄弁家として有名。帝国主義戦争に反対し、熱狂的愛国者に暗殺された)のことを考えずにいられるでしょうか。みな死刑廃止のために立ち上がったのです。みな、死刑廃止の大義を支持したのです。では、なぜ沈黙がかくも頑固に続いたのでしょうか?なぜ、私たちは死刑を廃止しなかったのでしょうか?

これは国民の気質のせいとも思いません。フランス人は他の民族よりもいっそう抑圧的禁欲的であったわけでもなく、人間性が低かったわけでもありません。私は経験でそのことを知っております。フランスの判事や陪審員は他国の判事や陪審員と同じくらいに寛容でもあります。したがって、先の問いに対する答えはここにはありません。その答えはほかのところに求めなければなりません。

私の考えでは、政治的性格のある説明をそこに見い出すのであります。それはなぜでありましょうか。

私が先ほど申しあげたように、死刑廃止は、2世紀前から、あらゆる政治階級の男女を集めてきました。そして、それ以上に、国家のすべての層から支持者を集めてきたのです。

しかし、私たちの国の歴史を考えるなら、死刑廃止そのものは、フランス左派の主義主張の最も偉大なものの一つであり続けたことに気付きます。ご理解いただきたいのは、私が左派と言うとき、それは変革の力、進歩の力、時によっては革命の力、いずれにしても、歴史を進歩させる力という意味で申しあげているということです。(社会党議員席、多くの共産党議員席、一部のフランス民主連合(訳注:当時の主要な保守派野党の一つ。中道右派)の議員席から拍手。)ただ、真実を検証いたしましょう。では、真実をご覧ください。

私は1791年、最初の憲法制定議会、偉大なる憲法制定議会を思い出します。確かに、その時は死刑は廃止されませんでした。しかし、その当時のヨーロッパとしては驚異的な勇気のあるこの問いかけはなされたのです。その議会は死刑の適用範囲をほかのヨーロッパのどこよりも制限いたしました。

フランスが経験した最初の共和国国民議会、偉大なる国民公会は、和平が回復したらその時からフランスでは死刑を廃止する、と共和国年4年の霧月4日(訳注:フランス革命直後の革命暦で、西暦では1795年)に宣言いたしました。

アルベール・ブロシャール議員: ヴァンデー県(訳注:フランス西部、大西洋沿いの県。フランス革命のさなかに蜂起した農民と武装革命勢力との間で戦争状態となった)では高くついたのはわかってるだろ!

数人の社会党議員: 反革命王党員は黙りなさい!

法務大臣: 平和は回復しましたが、それと同時にナポレオン・ボナパルト(訳注:1769-1821。軍人、政治家。フランス革命後、フランスに帝政をしき、全ヨーロッパを侵略して席巻するも敗北した)が登場し、死刑が私たちの現行の刑法の中に規定されました。たしかに、今や死刑はもうこれ以上長くは続かないことになりますが、しかしとにかく、事態の進行をさらに追いましょう。

1830年の革命によって、情状酌量の拡大が1832年にもたらされました。死刑執行数はすぐに半減したのです。

1848年の革命は政治犯についての死刑廃止をもたらし、フランスは1939年の戦争までそれを見直すことはありませんでした。

官報 - 議会審議録 -

国民議会

第一会議

1981年9月17日

その次に死刑廃止の問題が人民の代表に新たに諮られるのは、1900年代にフランスの政界の中心に左派の多数派が形成されるのを待つことになります。まさにここでモーリス・バレス(訳注:1862-1923。ジャーナリスト、作家、政治家。フランスの国家主義者の代表的人物)とジャン・ジョーレスが討論で対決したのはその時です。雄弁の歴史が敬虔な心で記憶にとどめている生きた思い出の討論です。

私はみなさんの名においてジョーレスに敬意を表します。ジョーレスはあらゆる左派の演説家の中で、あらゆる社会主義者の中で、心の雄弁、理性の雄弁を最も高いところに、最も遠くまで、最も高貴な方法で導いた人です。誰よりも社会主義と自由と死刑廃止に奉仕した人です。(社会党の議員席と一部の共産党の議員席から拍手。)ジョーレスは...(フランス民主連合と共和国連合(訳注:当時の主要な保守派野党の一つ。シャルル・ドゴールの流れをくみ、フランス民主連合よりも右寄り)の議員席から野次。)

このような名前を聞いて平静でいられない方がまだみなさんの中にいらっしゃるのでしょうか?(社会党と共産党の議員席から拍手。)

ミシェル・ノワール議員: 扇動者め!

ジャン・ブロカール議員: 今あなたは法廷にではなく、議会にいるんだ!

大統領: 野党のみなさん、どうかご静粛に願います。

ジョーレスは、ほかの政治家たちと同じく、私たちの国の歴史に属しています。(同じ議員席から拍手。)

ロジェ・コレーズ議員: だけど、バダンテールはそうではない!

ロベール・ヴァグネル議員: あんたは法服の袖の足りない弁護士さんだね、法務大臣!(訳注:服の袖に言及しているが、フランス語を母国語とする人にもわかりにくい言い方。いずれにしても、単なる野次。)

大統領: 法務大臣殿、どうぞお続けください。

法務大臣: みなさん、私はバレスに敬意を表しましたが、死刑廃止についての私たちの考察から離れてしまいました。この話に固執する必要はありません。

しかし、ジョーレスの言葉は私たちの中から消えてはいないのは明らかですから、彼が述べた言葉をもう一度想起してください。「死刑は、人間が2000年以来考えてきた最も高邁なもの、人間が夢みている最も高貴なものの対極にある。死刑は、キリスト教精神とフランス革命の精神のどちらにとっても、その対極にある。」こうジョーレスは言ったのです。

1908年、今度はアリスティド・ブリアン(訳注:1862-1932。政治家、外交官。フランスにおける政教分離を推進。閣僚を歴任し、1932年まで仏独講和を追求。パリ不戦条約は彼の名を入れてケロッグ・ブリアン条約とも呼ばれる。1926年にノーベル平和賞受賞)が、議会に死刑廃止を提議しようと試みました。奇妙なことに、彼はそうするにあたって自分の雄弁術を使わなかったのです。彼は、実証主義学派のその直前の経験が明らかにしたばかりの非常に単純なデータを議会で再び発表して説得につとめました。

社会的、経済的に非常に安定していたその時代に次々に登場した共和国大統領たちがいろいろ異なる気質を持っていたために、10年という年月が2度繰り返されるうちに死刑の実施が特徴ある変遷をとげたことをブリアンは実際に示しました。大統領たちが死刑を執行させた1888年から1897年までの10年間と、エミール・ルーベ(訳注:1838-1929。政治家)、アルマン・ファリエール(訳注:1841-1931。政治家)という大統領たちが死刑執行を嫌い、その結果恩赦を一貫して与えていた1898年から1907年までの10年間です。そのデータは明瞭です。死刑を執行していた最初の10年間は3066件の殺人がありました。人々が穏やかになって殺人を嫌悪し、死刑が抑圧的慣行から姿を消した次の10年間には1068件の殺人がありました。ほぼ半減です。

これが、基本方針すら超えてブリアンが、犯罪抑止力がない死刑を廃止することを議会に提議した理由です。当時、死刑に犯罪抑止力がないことをフランスはこのようにデータによって測ったところでありましたから。

一部のジャーナリズムはすぐに、死刑廃止派を批判する非常に激しいキャンペーンを始めるにいたりました。議会の一部には、ブリアンが示した頂上に向かって進む勇気がありませんでした。かくして、1908年には私たちの法律と私たちの慣習に死刑が存続することになったのです。

その時以来、つまり75年以来ということになりますが、死刑廃止の提議をゆだねられた議会は一つもなかったのです。

私はブリアンよりも雄弁ではないと確信を持っており、それは皆さんにとってうれしいことであろうと存じます。しかし、皆さんにはそれよりもなお勇気があると私は信じております。そして、そのことが重要なのです。

アルベール・ブロシャール議員: それが勇気であれば、だけどな!

ロベール・オーモン議員: 今の野次は場違いだぞ!

ロジェ・コレーズ議員: その時期の間には、左派の政府だってあったじゃないか!

法務大臣: 時代は過ぎました。

私たちは自問してもよいでしょう。なぜ1936年(訳注:1930年代のヒトラーのファシズムの台頭に対抗して、フランス、スペイン、チリで統一政治運動が起き、1936年4月にフランスでは複数の左派政党が連立して社会党のレオン・ブルームを首班とした「人民戦線」と呼ばれる政権が樹立したことを指す。フランスでの有給休暇制度、労働者組合の地位の向上、週40時間労働制度はここに端を発する)には何もなかったのでしょうか?と。その理由は、左翼の時代が終わりつつあったからです。もう一つの理由は、もっと簡単です。戦争が人心にすでに重くのしかかっていたからです。ところで、戦争の時代は死刑廃止の問いを提起するのに適切なときではありません。戦争と死刑廃止は両立しないのは確かなのです。

解放。私としては、解放政府が死刑廃止の問題を提起しなかったのは、混乱していた時代、戦争犯罪、占領の恐ろしい試練のせいで人々がこの件に関して心の準備ができていなかったからだと確信をもって思います。兵器からの平和だけでなく、心の平和も戻ってくる必要があったのです。

この分析は植民地解放の時代についても言えることです。

死刑廃止という大きな問いは、こうした歴史的試練の後でしかみなさんの国会に実際に提議することがかないませんでした。

フォルニ議員がすでに先ほど説明しておりますので、私はこれ以上この問いに深入りはいたしません。しかし、直近の立法議会会期の間にいくつもの政府がみなさんの国会に死刑廃止を付託することを望まなかったのは何故でしょうか?法律委員会やみなさんのうちのこんなにも大勢の方々が勇気をもってこの議論を要求していたのにもかかわらず、です。何人かの政府のメンバー、それも少なくない人数は個人的に死刑廃止に賛成だと表明していました。しかし、死刑廃止を提案する責任を負っていた人々の発言を聞いて、私たちはそこでもまだ、急いで待っている状態だという気持ちでいたのです。

200年待ったのです!

待ちました。死刑、つまりギロチンが、摘み取る前に熟させなければならない果実であるかのように。

待つ、とはどういうことでしょうか。実際、その理由は世論への恐れだったと私たちはよく知っております。代議士のみなさん、そもそも、死刑廃止を可決するというのは世論を無視することになるから民主主義の規則を理解していないことになる、とおっしゃる方々もいるかもしれません。それは全く違うのです。

死刑廃止を議決する瞬間、みなさん以上に民主主義の基本の掟を尊重している人はいないのです。

ある偉大なイギリス人が使ったイメージにしたがうならば、私が参照するのは、議会は国のために闇から道を切り拓く灯台であるという発想だけではありません。普通選挙の意思であり、また、議員にとっては普通選挙の尊重であるという二つのことを意味する、民主主義の基本法則だけを私は参照しております。

さてそこで、この死刑廃止の問題ですが、(訳者補足:1981年の今回の大統領選挙と、それに続く総選挙で)これは2度にわたって世論の前で提起されたことを改めて強調いたします。

個人的感情、つまり死刑に対する嫌悪だけでなく、当選したら死刑廃止の要請を議会に付託するように政府に依頼するという意思をも、共和国大統領(フランソワ・ミッテラン)は非常に明快にすべての人に知らせておりました。この国はそれに対して肯定の意思表示をいたしました。

その後、総選挙がありました。選挙運動期間中、政策プログラムの中で...

アルベール・ブロシャール議員: 何の政策プログラムだ?

法務大臣: ...死刑廃止を公式に表明しなかった左派の政党はありません。この国は左派の多数派を選んだのです。つまり、この国は、死刑廃止を道徳的義務の冒頭に記載した立法プログラムを承認するということを、事情を心得たうえで知っていたのです。

議員のみなさんが死刑廃止法案を可決するというのは厳粛な協約です。選良を国に結びつける協約であり、選良としての第一の義務は選んでくれた人々との約束の尊重であるという協約であり、普通選挙の尊重とみなさんのものである民主主義の尊重というこの手続きなのであります。

死刑廃止はすべての人間の良心に問題を提起するという理由で、国民投票によってのみ死刑廃止は決められるべきだと言う人もいます。もしこの別の選択肢があるのであれば、この問いは考慮するに値するのかもしれません。しかし、みなさんも私同様よくご存知の通り、そしてまた、レーモン・フォルニも先ほどみなさんに指摘したように、この道は憲法上閉ざされております。

次のことは申しあげるまでもないのかもしれませんが、第五共和制の創立者であるシャルル・ドゴール(訳注:1890-1970。軍人、政治家。第二次世界大戦中、ドイツによるフランス占領に抵抗。第五共和政の初代フランス大統領を1958年から1969年までつとめた。彼の強硬な政治路線はドゴール主義と呼ばれ、フランス政界への影響は大きい)は、社会に関する問題、いわば道徳の問題が、国民投票の手続きで断じられることを望まなかったということを国民議会のみなさんに想起していただきたいのです。

また、これも代議士のみなさんに対して私から申しあげる必要はないと思いますが、憲法の用語でいえば代議士だけが持つ権限に属している中絶の刑法的制裁も死刑の刑法的制裁も、刑法の中に記載されております。

したがって、この問題を国民投票に頼ろうと主張すること、この問題に国民投票によってのみ対応しようとすること、それは憲法の精神と条文をわざと無視することになります。それはまた、世論を恐れるがゆえに、自分の立場を公にすることを、誤った資格によって拒むということを意味します。(社会党議員席と、一部の共産党議員席から拍手。)過ぎ去った年月の間、この世論を照らすために私たちは何もしませんでした。それどころか、死刑廃止国の経験を見ることを拒んできたのです。私たちの近所であり、姉妹であり、隣人である西洋の民主主義大国が死刑なしで経験することのできた本質的事実について問いを発することをしてきませんでした。欧州評議会、欧州議会、犯罪撲滅研究部会という枠内での国連自身も含めたあらゆる大きな国際機関によって行なわれてきた研究を私たちは無視してきました。私たちは、このような諸機関の不変の結論を無視してきたのです。刑法の中に死刑があるかないかということと、血みどろの凶悪犯罪の発生率グラフのカーブの間になんらかの相関関係があると立証されたことは決して、一度もありません。これらの明白な事実をはっきり示して強調するのではなく、私たちは逆に、不安を持ち続け、恐怖を刺激し、混乱を促進してきました。議論の余地がなく、痛みが伴い、それでいて直面しなければならないこの発展に当てる光を私たちはさえぎってきたのです。その発展は経済社会状況、暴力による小規模・中規模の非行の状況に結びついておりますが、いずれにしても死刑とは全く関係ありません。しかし、フランスでの凶悪犯罪発生率は、住民数を考慮に入れても、変化することは決してなく、むしろ滞る傾向があるという事実に、高貴な精神を持った人々ならば賛成することでしょう。そのことについて私たちは口を閉ざしてきたのです。一言で言えば、私たちは選挙のことを考えてきましたので、世論に関しては人々の不安をあおり、世論に対しては理性の弁護をしないできたということなのです。(社会党議員席と、一部の共産党議員席から拍手。)

実は、死刑の問題は、明晰な精神で分析しようとする者にとっては単純なことであります。犯罪抑止効果についても、抑圧手段についても、死刑の問いは提起されようがないのです。政治的選択についてか、あるいは道徳的選択についてしか、死刑の問いは提起されないのです。

すでに申しあげたことでありますが、以前の深い沈黙も見ましたから、すすんで繰り返し何度でも申しあげます。犯罪学者が行なってきたあらゆる研究が示してきた唯一の結果は、死刑と凶悪犯罪率の変遷の間には関係がないという事実が確認されたということです。この点について改めて次のような研究を指摘いたします。1962年の欧州評議会の研究。イギリスが死刑を廃止することを決定し、それ以降2度にわたって死刑復活を拒否する前に死刑廃止国すべてについて行なわれた慎重な研究であるイギリスの白書。同じ方法にしたがって行なわれたカナダの白書。国連によって作られた犯罪予防委員会によって行なわれた研究。その最後の文章はカラカスで昨年練り上げられておりました。最後に、欧州議会によって行なわれた研究。その研究には私たちの友人であるルディさんもかかわっております。そして、それらの研究はこの重要な採決にまでたどりついたのです。その採決を通して本国会では、本国会が代表するヨーロッパ、もちろん西ヨーロッパという意味ですが、そのヨーロッパの名において、欧州から死刑がなくなるようにとの圧倒的多数の意思表明がなされたわけです。すべての人が、私が申しあげた結論に賛成しております。

それに、誠実に問いを発しようとする者にとっては、なぜ死刑と凶悪犯罪の発生率の変遷の間に犯罪抑止的関係がないのか理解することはむずかしくありません。これだけひんぱんに探求に専念しているのに他のところではその根拠を見つけることができない犯罪抑止的関係のことにはあとで立ち戻ります。そのことについて単純に考えるなら、最も恐ろしい犯罪、大衆の気持ちを最も強くとらえるということが理解できる恐ろしい犯罪、すなわち凶悪犯罪と呼ばれる罪は、しばしば、理性の防御までなくしてしまう暴力と死の衝動に我を忘れた人間によって犯されるものだということなのです。この狂気の瞬間、この殺人の激情の瞬間に、死刑であれ終身刑であれ刑罰を想起することは、殺人者にはありえないことなのです。

これらの者たちを死刑にすることはないとはおっしゃらないでください。ここ数年の年報を見直すだけで、それと反対のことを納得できます。処刑されたオリヴィエは、司法解剖の結果、前頭部に異常があったということが明らかになっています。また、ジェローム・カラン(訳注:この演説の中で後述されるが、精神遅滞のあるアルコール中毒の殺人犯。バダンテール弁護士が弁護を担当。1977年に死刑に処せられた)しかり、ミシェル・ルソー(訳注:7歳の少女を撲殺した犯人で、アルコール中毒であった。バダンテール弁護士が弁護を担当し、死刑判決が回避された)しかり、ノルベール・ガルソー(訳注:1952年、27歳の時に若い女性を殺害し無期拘禁刑を宣告された。仮釈放後、再び若い女性を殺害した。インドシナ戦争への従軍の経験が彼に心理的影響を与えていたようだった。バダンテール弁護士が弁護を担当し、死刑判決が回避された)しかりであります。

一方、ほかの者たち、いわゆる冷静な犯罪者たち、つまり、いろいろなリスクを測る者たち、利益と刑罰について熟考する者たち、これらの者たちが死刑台にかけられる危険をおかす状況におちいることは決してありません。理性をそなえた強盗、犯罪から利益を追求する者、準備万端の犯罪者、売春斡旋業者、密輸人、マフィア、これらの者たちは決してそのような状況におちいることはないのです。絶対に!(社会党議員席と共産党議員席から拍手。)

死刑について現実に基づいて記載されている司法年報をひもとくなら、ここ30年の間、「大」ギャングの名前は出てきておりません。もしこの種の者たちを指してこの形容詞を使うことができるなら、ですが。つまり、「民衆の敵」の名は一人も出てきてはいないのです。

ジャン・ブロカール議員: では、ジャック・メスリーヌ(訳注:1970年代初頭、多くの脱走と武装襲撃で知られた「民衆の敵ナンバーワン」と言われた犯罪者)はどうなんだ?

ヤサント・サントーニ議員: ビュッフェはどうなんだ?ボンタンはどうなんだ?(訳注:1971年9月、フランス北東部シャンパーニュ地方オーブ県の小さな町クレルヴォーで、刑務所から二人の囚人が脱走を図り、人質をとって立てこもった。脱走を図ったのは、殺人で終身刑を受けて服役中だった元落下傘兵のクロード・ビュッフェと、強盗で20年の刑に服していたロジェ・ボンタンの二人。一昼夜の交渉の末、憲兵隊が突入したところ、人質は殺されており、この事件はフランス中を揺るがせた。オーブ県の県庁所在地のトロワで行われたこの事件の裁判でボンタンの弁護にあたったのがバダンテール弁護士であった。ビュッフェが人質殺害の張本人であり、ボンタンは殺害に手を下してはいなかったが、ボンタンはビュッフェの共犯とされて二人とも死刑を宣告され、破棄申し立ても大統領への恩赦請願も却下され、二人は1972年11月21日に処刑された。バダンテール弁護士はパリのサンテ刑務所の庭で二人の処刑を見た。)

法務大臣: 彼らは、司法年報がまとめていて、私が前に述べた、「ほかの人々」の分類に入ります。

実は、死刑の犯罪抑止価値の存在を信じる人たちは、人間の真実を知らないのです。犯罪の激情は、逆にほかの高貴な激情よりも死の恐怖によってもっと効果的に抑えることができるわけではないのです。

そして、もし死の恐怖が人間を押しとどめるのであれば、偉大な兵士も、偉大なスポーツ選手もいないことになってしまいます。私たちはそういう人たちを賛美しますが、彼らは死の前でためらうことはありません。ほかの激情に我を忘れたほかの人々も同じくためらうことはありません。死の恐怖こそが人間を極度の激情の中で抑制するのだという考えが作られてしまうのは、死刑があるからでしかないのです。その考えは正確ではありません。

ここで、処刑された二人の死刑囚の名前が出ましたので、ほかの誰よりもまず私から、死刑には犯罪抑止効果がないということを証明いたします。トロワ(訳注:下に出てくるパトリック・アンリによる児童誘拐殺人事件が起こり、その事件の裁判も行なわれたフランス東北部、シャンパーニュ地方オーブ県の県庁所在地。ビュッフェ・ボンタン事件の裁判があったところでもある)の裁判所の周りで、ビュッフェとボンタンが通るときに「ビュッフェを殺せ!ボンタンを殺せ!」と叫んでいた群衆の中に、一人の若い男性がいました。その名をパトリック・アンリといいます。(訳注:1976年2月、トロワで8歳のフィリップ・ベルトラン少年が身代金目当てで誘拐され、行方不明になった。ベルトラン家と付き合いのあった若い男性パトリック・アンリが容疑者として取調べを受けたが、容疑不十分で釈放になった後、「こんな誘拐事件の犯人は死刑にすることに賛成だ」と発言した。その数日後に、アンリが彼の借りていた部屋にいたところを警察に取り押さえられたとき、ベッドの下から死後約1週間のフィリップ少年の死体が発見された。殺人者アンリへのかつてない憎悪がたちまちフランス全土に広がり、世論は沸騰し、二人の内閣閣僚が三権分立を無視してアンリを死刑にせよとまで発言し、テレビ番組は声高に死刑を叫び、アンリの両親にマイクを突きつけて焦燥した父親に「死刑は息子の行いにふさわしい」などと無理やり言わせるほどだった。フランスにおける凶悪犯罪の代名詞のようになったこの事件で、トロワの近くの町の弁護士会会長ロベール・ボキヨンとともにパトリック・アンリの弁護を引き受けたのがバダンテール弁護士だった。バダンテールの弁護により、最終的に死刑判決は回避され、アンリは終身刑の判決を受けた。)信じていただきたいのですが、このことを知ったとき私は驚愕いたしました。その日、死刑の犯罪抑止価値が何を意味するのか私にはわかったのです!(社会党議員席と共産党議員席から拍手。)

ピエール・ミコー議員: そんなことはトロワに説明に行け!

法務大臣: みなさんはご自分の責任を意識する国会議員です。私たちの友人であり、偉大な西洋の民主主義諸国の運命を指導し、その責任を負う国会議員は、自由の国に属する道徳的価値への欲求が自分の中でどれほど強いものであろうとも、死刑には凶悪犯罪を抑止する価値があるとしてある程度の有用性があると考えたとして、責任あるこれらの議員たちは死刑廃止に賛成票を投じたであろうとみなさんはお思いになりますか?あるいは、死刑を復活させなかったであろうとお思いになりますか?そう考えることは国会議員への侮辱でありましょう。

アルベール・ブロシャール議員: ではカリフォルニアではどうなんだ?レーガン(訳注:ロナルド・レーガン。1911-2004。元俳優で、1966年にカリフォルニア州知事に選ばれ、アメリカ大統領を1981年1月20日から1989年1月20日までつとめた保守派政治家)はたぶんけったいな奴なんだろう!

法務大臣: レーガンさんにはその言葉をお伝えしましょう。きっとその形容を喜ぶと思いますよ!

いずれにしても、前任の共和国大統領(訳注:ヴァレリー・ジスカール=デスタン)が死刑への個人的な嫌悪を、通常プライベートながら前向きに告白していたのですから、1974年にフランスで死刑廃止法案が採決されていたならば死刑廃止が正確に何の意味を持っただろうかと具体的に問い直せばよいのです。

仮に死刑廃止が1974年に可決されていたとしたら、1981年に終わった7年間の大統領任期の間に、フランスの安心と安全のためにそれは何を意味したことでありましょうか。以下のことだけです。3人の死刑囚が私たちの教護施設に今いる333人に加わっただけだったでしょう。3人増えるだけ、なのです。

その3人とは誰でしょうか?思い出していただきます。クリスチャン・ラニュッチ(訳注:少女を誘拐し殺害したとされ、1976年に死刑に処せられたが、警察の捜査と予審に誤りが多いことが明らかになっていて、冤罪の疑いが強い)。彼の件についてはあまりにも多くの疑問が出されていますので、深入りしすぎないように気をつけましょう。正義に燃えた意識を持った人々にとっては、死刑を弾劾するにはこれらの疑問だけでよいと思います。ジェローム・カラン。精神遅滞があり、酔っ払いで、恐ろしい罪を犯しました。しかし、被害者の少女を殺す少し前に、村人みんなの前で彼女の手をとりました。このことは、彼を殺人に駆りたてた力が彼自身にはわからなかったということすら示しています。(共和国連合議員席とフランス民主連合議員席の一部からざわめき。)最後に、ハミダ・ジャンドゥビ(訳注:チュニジア人の労働者で、仕事上の怪我で片足を切断されていた。その事故までは勤勉で正直な人間と思われていたが、事故後サディストのポン引きになり、若い女性を拷問し殺した。1977年9月10日、フランスで最後に死刑執行された囚人)。彼は片足を失っていた人間で、彼の犯罪がどれだけ恐ろしいものであっても、そして、その恐怖という言葉は強すぎるとは言えませんが、彼は平衡障害のあらゆる症状を呈していました。そんな彼は義足をはずされてから死刑台に運ばれていったのです。

死後の憐みをかけるようにみなさんにお願いしようというのが私の考えではありません。ここはそういう場所でもそういう機会でもありません。しかし、私たちは、最初の人間についてはその無実について、第二の人間については精神遅滞であったことについて、第三の人間については片足を失った人間であったことについて、今もなお問い直していることをお考えいただきたいだけなのです。

もしこの3人の人間がフランスの刑務所に入れられているとしたならば、フランス市民の安全は何らかの意味で危うくなっていると主張できるでしょうか?

アルベール・ブロシャール議員: 信じられない!ここは法廷ではない!

法務大臣: これが死刑の真実であり、死刑の正確な範囲なのです。単にそういうことなのです。(社会党議員席と共産党議員席から長い拍手。)

ジャン・ブロカール議員: 私は審議を放棄する。

大統領: それはあなたの権利です!

アルベール・ブロシャール議員: あなたは法務大臣であって、弁護士ではない!

法務大臣: そしてこの現実は...

ロジェ・コレーズ議員: あなただけにとっての現実だろう!

法務大臣: ...見逃されているように思えます。

みなさんご存知のことでありますが、この問いは犯罪抑止効果の問題あるいは犯罪抑圧の手段の問題として提起されているのではなくて、政治的問題として、特に、道徳的選択の問題として提起されているのです。

死刑に政治的意味があるということを確認するには、世界地図を見さえすればよいのです。欧州議会でお見せしたようには、本国会でそのような地図をお見せできないことを残念に思います。その地図では、死刑廃止国とそれ以外の国、つまり、自由の国とそれ以外の国の分布を見ることができます。

シャルル・ミオセック議員: レッテル貼りのごたまぜ扱いもいいところだ!

法務大臣: 事実ははっきりしているのです。西欧の民主主義国の圧倒的多数、特にヨーロッパにおいて、自由が体制の中に定着していて実践上も尊重されているすべての国では、死刑は廃止されております。

クロード・マルキュス議員: アメリカ合衆国では死刑は廃止されていない!

法務大臣: 私は、西洋のヨーロッパでと申しあげました。しかし、そこに合衆国を加えることは有意義なことです。書き写しはこれでほとんど完全です。自由の国では、共通の法は死刑廃止なのです。死刑こそが例外なのです。

ロジェ・コレーズ議員: 社会主義諸国では死刑は廃止されていないぞ。

法務大臣: そうは言わせませんよ。世界中のあらゆるところで、例外なく、人権への軽蔑と独裁制がはびこっているところではどこでも、血塗られた文字で死刑が法律の中に記されているのです。(社会党議員席から拍手。)

ロジェ・コレーズ議員: 共産党議員たちはそのことをしっかり記憶しただろう!

ジェラール・シャスゲ議員: 共産党議員団は法務大臣の発言を評価しました。

法務大臣: 最初の明白な事実はこれです。自由の国ではほとんどあらゆるところで、死刑廃止が規則になっております。独裁制が支配する国ではどこでも、死刑が実施されているのです。

世界のこの色分けは単純な偶然の一致によるものではなく、一つの相関関係を表しております。死刑の本当の政治的意味は、国家は市民の命を奪うところまで市民を意のままにする権利を持っているという考えに死刑は由来するということなのです。それゆえに死刑が全体主義政体の中には規定されているのです。

まさにその意味でも、司法の現実の中で、また、レーモン・フォルニが指摘していた現実の中にまで、死刑の本当の意味が改めて見えてまいります。司法の現実の中では、死刑とは何でしょうか。12人の男女の陪審員。2日間の審問。事件にまつわることがらの奥底まで触れることは不可能。そして、数十分、時には数分で罪悪性についての非常にむずかしい問題に断定的に判断をくだす。それ以上に、ほかの人の生死を決定するという恐ろしい権利もしくは義務。12人の人が、ある民主主義国で、次のようなことを言う権利があるというわけです。「こいつは生きていてよい、こいつは死ななければならない!」と。私ははっきり申します。この司法の構想は、自由の国のそれではありえません。まさに、そこに含まれる全体主義的な意味のゆえにそう言えるのです。

一方、恩赦権ですが、レーモン・フォルニが改めて言及したように、このことについて問いを発するのは適切なことです。王がこの地上で神を代表していたとき、そして王が神意を聞いていたとき、恩赦権には正当な根拠がありました。ある一つの文明の中、あるいは、体制に宗教的信念が浸透しているある一つの社会の中では、神の代表者は生死を決定する権利を持つことができたというのは容易に理解できます。しかし、共和国においては、つまり民主主義国においては、いかなる人間も、いかなる権力も、その長所がなんであろうとも、また、その意識がどうであろうとも、平時においては誰に対してもそのような権利を持つことはできないのです。

ジャン・ファララ議員: 殺人者に対しては話は別だ!

法務大臣: 今日、死刑について、テロリズムがもたらす重大な脅威から民主主義を守る最後のよりどころの一種、あるいは、極端な防衛手段の一つであるとみなす人々がいると私は知っておりますが、それこそが大きな問題だと思います。ギロチンは民主主義の名誉を汚すのではなくて、場合によっては民主主義を保護するものだとそういう人々は考えているのです。

この論は現実についての完全な無知からきています。実際、死の威嚇の前で決してたじろがない種類の犯罪があるとしたらそれは政治的犯罪であると歴史は教えています。そして、さらに具体的には、死の威嚇によっても後退させることのできない種類の男女がいるとしたら、それはまさにテロリストなのです。なぜかといえば、まず、テロリストは暴力的行為のさなかに恐怖に直面するからです。また、次に、心の底でテロリストは暴力と死に心をかき乱され、魅了されているからです。その魅了の心は与えるものであると同時に、受け取るものでもあります。私にとっては、テロリズムは民主主義に反する主要な犯罪の一つであり、もしこの国でテロリズムが蜂起するとすれば、それは鎮圧され、きわめて厳格に訴追されるでしょう。テロリズムを喚起するイデオロギーがなんであろうとも、テロリズムの合言葉、スペイン戦争のファシストたちの恐ろしい叫びは「ビバ・ラ・ムエルテ!」(死よ万歳!)というものなのです。したがって、死によってテロリズムを止められると信じるのは幻想です。

もっと詳しく述べましょう。もし、テロリズムの餌食になっている隣の民主主義諸国で、その国が死刑を復活させるのを拒んでいるとしたら、それはもちろん道徳的要求によるものですが、それと同時に政治的理由もあるのです。実際、ある種の人々、ことに若者の目からは、テロリストの処刑はそのテロリストを超えて、テロリストをその行為の犯罪的現実から分かつように見えるのです。実は、一つの主義主張に仕えて行動を起こし、たとえその主義主張がどんなに憎むべきものであるとしても自分の道を最後まで貫き通すところまで行ったであろう英雄の一種となるのです。そのときから、一人テロリストが処刑されるたびに陰の中で20名の迷える若者が蜂起する大きなリスクが生じます。これは、友邦民主主義国の政治家が正確に調べたことです。このように、死刑はテロリズムと戦うどころか、テロリズムを育てるのです。(社会党議員席と一部の共産党議員席から拍手。)

このように事実を考えると、ひとつの道徳的与件(訳注:既知の事実、思考の前提)を加えなければなりません。テロリストに対して死刑を用いることは、民主主義国にとっては、テロリストの価値観をわが物とすることになるのです。テロリストたちが犠牲者を誘拐した後、恐ろしい対応関係を犠牲者から強引に奪い取ったあとに、司法の品位を落とすパロディにしたがって犠牲者を処刑するとき、テロリストたちは忌まわしい罪を犯しているだけでなく、民主主義に最も陰険なわなを仕掛けていることになるのです。それは、この民主国を死刑に頼るように強制することによって、テロリスト自身の流血の顔をその民主国に与えることをテロリストたちに許してしまう、人殺しの暴力の罠なのです。それは、価値観の一種の逆転によって生じるのです。

この誘惑は絶対に退けなければなりませんが、しかし、テロリズムという民主国では容認できない究極の形の暴力に妥協してはなりません。

しかし、テロリズムの激情面のこの問題を調べつくした後で、明晰な精神で最後まで考えをすすめたいなら、死刑の維持か廃止かの選択は、結局、社会にとっても、また、私たちの一人一人にとっても、道徳的選択だということがわかります。

権威の論を用いることはいたしません。なぜなら、それは議会においては場違いになってしまうからであり、この議場の中ではあまりにも安易すぎるからです。しかし、ここ数年で、フランスのカトリック教会、改革教会協議会、ユダヤ教律法学者が死刑に反対して大きく声をあげていることを指摘しないわけにはまいりません。アムネスティ・インターナショナル、国際人権協会、人権連盟といった、自由と人権の擁護のために世界中で闘っている国際的な大きな団体すべてが、死刑廃止を実現するためにキャンペーンをおこなったことも強調しないではいられません。

アルベール・ブロシャール議員: 犠牲者の家族は除いてだ!(社会党議員席から長いざわめき。)

法務大臣: 宗教的、あるいは非宗教的なこれだけの良心ある人々や神のしもべや自由人たちのこの連携は、道徳的価値の危機が絶え間なく語られるある時代にあっては意義深いものです。

ピエール=シャルル・クリーク議員: それから、フランス人の33%(訳注:直前の世論調査で死刑に反対していたフランス人の割合)もそこに含まれることを忘れないでくれ!

法務大臣: 死刑を支持する方々の選択については、死刑廃止を願う人々も私もいつもその選択を尊重してまいりましたが、その逆は必ずしも真ではなかったと残念ながら申しあげなければなりません。ある深い確信、つまり自由人において私がいつも尊重している信条の表明にすぎなかったものに対して、死刑支持派の方々からしばしば憎悪が向けられます。罪人の死が正義の要求だというのが死刑支持派の方々の主張なのです。死刑支持派の方々にとっては、犯罪遂行者が自分の命を代償にする以外の償いをするにはあまりにも残虐すぎる犯罪があるということなのです。犠牲者の死と苦しみ、この恐ろしい不幸に対して、絶対的で必要な対応物としてもう一つの死ともう一つの苦しみを要求するということなのです。最近のある法務大臣が宣告するには、それがかなわないならば、犯罪が社会の中に引き起こした不安と激情は鎮められないということだそうです。これは、私の考えでは、贖罪の犠牲と呼ぶものだと思います。そして、死刑に賛成する方々は、有罪者の死がこだまのように犠牲者の死に応えないならば正義は成されないと言うのです。

はっきりと申しましょう。これは、数千年にわたって同等報復刑法が人間の司法に共通する必要な法律であり続けるだろうというだけの意味にすぎません。

犠牲者の不幸と苦しみについては、それを引き合いに出す人々よりもずっと、私は自分の人生の中でひんぱんに、その影響の広がりを確かめてまいりました。犯罪が人間の不幸の遭遇点であり地理的場所であるということを、私は誰よりも熟知しております。犠牲者自身の不幸と、それ以上に、犠牲者の親族や近親者の不幸があります。また、犯罪者の親族の不幸もあります。そして、たいへんに多くの場合、殺人者の不幸もあります。そうです。犯罪は不幸であります。そして、感情、理性、責任感ある男女には、まずその不幸と闘おうと望まない者はいないのです。

しかし、自分自身の心の奥深くで犠牲者の不幸と苦しみを感じ、それでいて暴力と犯罪がこの社会の中で退くようにあらゆる方法で闘うという、この気持ちとこの闘いは、有罪者を必ず死刑にすることを意味することはできないでしょう。犠牲者の親族や近親者が罪人の死を望むことは傷ついた人間の自然な反応であり、私はそれを理解いたしますし、それを考えもいたします。しかし、それは人間の自然な反応なのです。一方、司法のあらゆる歴史的進歩は、個人的報復を乗り越えることでありました。まず同等報復刑法を拒否するのでなければ、どうして個人的報復を乗り越えられるでありましょうか。

死刑にこだわる動機の奥底には、しばしば告白されないままの、排除への誘惑があるものだというのが真実です。多くの人にとって耐えられないように思われるのは、刑務所に入った犯罪者の生命よりも、犯罪者がいつの日か再び罪を犯すという恐れなのです。そして、この点に関しての唯一の保証は用心のために犯罪者を死刑に処することだと多くの人が考えているのです。

かくして、この考えでは、司法は復讐のためというよりも慎重さのために殺すのだということになります。したがって、贖罪の司法を超えて排除の司法があらわれ、その天秤(訳注:公正さ、司法の象徴)の後ろにギロチンがあらわれます。殺人者は死ななければならない、理由は単純で、殺人者を殺せば再犯はなくなる、というわけです。これは非常に単純で非常に正当なように聞こえます!

しかし、正義の名のもとに排除の司法を受け入れるか賞賛するのであれば、どういう方向に進むかをはっきりと知らなければなりません。死刑賛成派からの承認も得るためには、犯罪者を殺す司法は事情を承知して殺さなければならないことになります。私たちの司法は、名誉なことに、心神喪失者を殺すことはいたしません。しかし、司法には心神喪失者を確実に見分けるすべはありません。偶然に非常に左右され、非常に不確実な精神鑑定にそれをゆだねることになるのが司法の現実です。精神鑑定が殺人者に有利な判定を出せば殺人者は死刑を免除されます。その場合、いきどおる者がないようにしながら社会は犯罪者が示すリスクを受け入れることになります。殺人者に不利な判定を出せば殺人者は処刑されることになります。排除の司法を受け入れるならば、歴史のいかなる論理の中に私たちが位置するかを政治の責任者は正確に知る必要があるのです。

私は、犯罪者と同じく心神喪失者や政治的反対者や社会を「汚染する」性格を持っているようだと思われる人々を排除する社会のことを話しているのではありません。そうではなくて、民主主義のうちに営まれている国々の司法だけに話を限っております。

まさに排除の司法の中に埋もれ、隠れて、密かな人種差別がのぞいております。1972年にアメリカ合衆国最高裁が死刑廃止に傾いた理由は主に、黒人は人口の12%しかいないのに、死刑囚の60%は黒人であるということを確認したからです。司法人からみて、何とめまいのするような結果でしょうか。私も声を落としてみなさん全員の方に向き直り、申しあげなければなりません。フランスでさえも、外国人比率は8%なのにもかかわらず、1945年以降に出された36の確定死刑判決のうち、外国人は9名つまり25%を数えます。その中で5人が北アフリカのマグレブ人(訳注:マグレブ諸国とは、北アフリカ北西部のモロッコ、アルジェリア、チュニジアなどのアラブ圏の国々を指す。フランスがその地方を植民地化していたことから、その地域からの移民をフランスは受け入れている)ですが、フランスでのマグレブ人の人口比率は2%にすぎないのです。1965年以降執行された死刑囚9名のうち、外国人が4人いて、そのうち3人がマグレブ人です。マグレブ人の犯罪はほかの人々の犯罪よりも憎むべきものだったというのでしょうか?あるいは、その瞬間の犯罪者が密かに恐怖を広めていたという理由でより深刻に見えるということなのでしょうか?これは一つの問いかけです。そしてこれは一つの問いかけにすぎませんが、あまりにも差し迫った問いかけであり、あまりにも胸の痛む問いかけです。私たちをこれほどの残忍さで問い詰めるこの問いに終止符を打つことができるのは死刑廃止ただそれだけなのです。

結局、死刑廃止とは一つの根源的な選択であり、人間と司法についてのある一つの構想なのです。人を殺す司法を望む人々は、二重の信念に動かされています。一つは、完全に有罪の人間、つまり自分の行為に完全に責任のある人間が存在するという信念。もう一つは、こいつは生きてよい、こいつは死ななければならないと言いうるほどにその無過誤を確信した司法が存在する可能性があるという信念です。

私はこの歳になって、この二つの断言はどちらも等しく間違っていると思います。彼らの行為がどれだけ恐ろしくどれだけ憎むべきものであろうとも、完全な有罪性を持っていて永遠に完全な絶望の対象にならなければならない人間はこの地上にはおりません。司法がどれだけ慎重なものであっても、また、判断をくだす陪審員男女がどれだけ節度がありどれだけ不安にさいなまれていようとも、司法はずっと人間の行いでありますから、誤りの可能性をなくすことはできません。

そしてまた、社会全体つまり私たちの名のもとに死刑の評決が下されて、死刑が執行された後、死刑囚は無実であると判明することは起こりえることです。そういうことが起こる時、司法が究極の不正義を行なってしまうという理由で社会全体つまり私たち全員がまとめて有罪になるとき、私はただ司法の絶対的過誤についてだけ申しあげているのではありません。私はまた、同じ被告が最初は死刑判決を下されたが形式上の不備で有罪判決が破棄されて新たに裁かれ、事実認定は同じなのに二度目は死刑をまぬがれるという、下された評決の不確実性と矛盾についても語っております。まるで、司法において、一人の人間の命が裁判所書記のペン先の誤りの偶然にもてあそばれているかのようではありませんか。あるいは、これこれの罪人がほんの少しの罪で処刑されるのに、もっと犯罪性の高いほかの罪人が審問の激情と雰囲気と誰それの逆上を利用して命を救われるということもあるでしょう。

人間の命がかかっているときにこの言葉を口に出して感じる苦悩が何であろうとも、この種の司法的くじ引きは容認できません。フランスの最高司法官であるモーリス・エダロ氏(訳注:フランスの法曹家に最も尊敬されている法律家で、破棄院主席名誉裁判長)は司法に捧げた長いキャリア全体の期間、ほとんどの活動を検事として行なった人ですが、彼は、死刑の適用ぶりが偶然に左右されるのを見るにつれて死刑が耐えがたいものになったと言っています。何かに完全に責任を負うべき人間は存在せず、どんな司法も絶対的に無過誤にはなれないゆえに、死刑は道徳的に受け入れられないのです。私たちのうちで神を信じる人たちにとっては、私たちが死ぬ時期を選ぶ力は神だけにあるのです。すべての死刑廃止賛成者にとっては、人間の司法がこの死の権限を持つことを認めることはできません。なぜなら、死刑廃止を支持する人々は司法が過ちうるものだと知っているからです。

したがって、みなさんの良心にゆだねられている選択ははっきりしています。一つの選択肢は、人をあやめる司法を私たちの社会が拒んで、基本的な価値観の名のもとに、つまりすべての価値のうちで司法を偉大で尊敬できるものにした価値観の名のもとに、恐怖をもたらす者、つまり心神喪失者あるいは犯罪者、あるいはその両方の命を引き受けることを受け入れることです。つまり、それは死刑廃止という選択です。もう一つの選択肢は、何世紀もの経験にもかかわらず、この社会が犯罪者を抹殺することで犯罪をなくせると信じることです。つまり、それは死刑という選択です。

この排除の司法、つまりこの不安と死の司法が決められるとき、偶然の誤差が伴います。しかし、私たちはこの排除の司法を拒否します。私たちがこれを拒否するのは、それは私たちにとって反司法であるからであり、それは理性と人間性を圧倒する激情であり恐怖であるからです。

これで、この重要な法律の精神と着想の源という重要なことは申しあげ終わりました。レーモン・フォルニが先ほど、方向性を示す方針をそこから引き出してくれました。それは単純で明確です。

死刑廃止は道徳的選択ですから、完全にはっきりと態度を明らかにしなければいけません。したがって、いかなる制限もいかなる留保事項も付けずに死刑廃止を可決するよう政府はみなさんに求めます。おそらく、死刑廃止の範囲を制限し、いろいろな犯罪カテゴリーをそこから除くことをめざす修正案が提出されるでしょう。それらの修正案の着想は理解いたしますが、政府はみなさんにそれを否決するように求めます。

その第一の理由は、「忌まわしい犯罪以外について死刑を廃止する」という条文は、現実には死刑に賛成する宣言しか含まないからです。司法の現実では、忌まわしい犯罪以外では誰も死刑を受けません。したがって、それならばむしろ、文体の便宜を避けて死刑支持を表明するほうがよいのです。(社会党議員席から拍手。)

犠牲の内容、ことに犠牲者の特別な弱さあるいは犠牲者が受けるリスクの大きさにかんがみて死刑廃止を排除する提案についても、私たちは犠牲者に寛容の情を抱くものではありますが、政府はそれを否決することを求めます。

これらの排除案は一つの明白な事実を無視しています。すべての犠牲者、私ははっきりとすべての犠牲者と明言しますが、それは同じ同情を誘うのであり、同じ憐憫の情をよびおこすのです。たぶん、私たち各自には、子どもあるいは老人の死は、30歳の女性や責任を負った熟年男性の死よりも容易に感情をよびおこすでしょう。しかし、人間の現実の中では、死は苦痛を伴うことに変わりはなく、この点についてのいかなる区別も不正義を生むことでありましょう!

警察官あるいは刑務官については、その代表機関が、そのメンバーの命に危害を加える者に対しての死刑の維持を要求しています。彼らを突き動かす心配を政府は完全に理解しておりますが、これらの修正案も否決するようにお願いいたします。

警察勤務者と刑務所勤務者の安全は保証されなければなりません。彼らを確実に保護するためのあらゆる必要な措置をとらなければなりません。しかし、20世紀が終わろうとしているフランスでは、警察官と刑務所看守の安全を守る役割をギロチンにゆだねることはいたしません。彼らを襲うかもしれない犯罪への制裁に関しては、それがどんなに正当であろうとも、私たちの法律の中では、この刑罰はほかの犠牲者に対して犯された罪の犯人に与えられる刑罰よりも重くすることはできません。はっきり申しましょう。何らかの職業または団体の利益になる刑法的特権がフランスの司法に存在してはなりません。警察勤務者と刑務所勤務者はそのことを理解してくれると信じております。私たちは彼らの安全について注意深く取り組みますが、フランス共和国の中で他とちがう団体を決して作るわけにはいかないということを警察、刑務所勤務者のみなさんには理解していただきたいのです。

明瞭さという同じ意図で、この法案はいかなる代替刑に関する条項も含んでおりません。

その理由は、まず道徳的なものです。死刑は体刑であり、体刑を別の体刑で置きかえてはならないからです。

また、政治上の理由、法律上の明瞭さという理由もあります。普通、代替刑は安全期間を対象にします。つまり、受刑者が条件付釈放の措置またはなんらかの形の延期措置を受ける可能性がない、法律に記された猶予期間を対象にします。このような刑罰はすでに私たちの法律の中に存在しており、その継続期間には18年におよぶものもあります。

私がこの点について国民議会に、この安全措置を変更することを目指す議論を始めないようにお願いするのは、2年の猶予期間後に、つまり刑法の法律の導入プロセスからみて比較的短い猶予期間の後に、政府は国民議会に新しい刑法の法案を謹んで提出するからです。その新しい刑法法案は20世紀末、そして21世紀の地平線にあるフランス社会に適した刑法になることを私は望んでおります。この機会に、今日と明日のフランス社会のために刑罰体系のあるべき姿をみなさんが定義し、確立し、吟味するのがよいのではないでしょうか。それが、死刑廃止の原則の議論と代替刑についての議論、というよりもむしろ、死刑廃止の原則の議論と安全措置についての議論とを混ぜないようにお願いする理由です。なぜなら、この議論は時期が悪いと同時に無益でもあるからです。

なぜ時期が悪いのかといえば、調和のとれた刑罰体系を作るためには、全部まとめて考慮し定義しなければならないからです。その目的からして必然的に熱がはいることになる議論を利用してはいけないからです。そんな議論では、部分的な解決に達するだけで終わってしまうでしょう。

無益な議論と申しあげたのは、議員のみなさんが私たちの刑罰体系を定義する前に過ぎるであろう2年後か最大でも3年後に無期禁固労働刑を言い渡されることになる人々に、現存の安全措置が適用されることが明らかだからです。したがって、そのために受刑者の釈放の問題がどんな形ででも発生してはならないからです。立法者のみなさんは、新しい刑法の中に書かれた定義が彼らに適用されることになるということをよくご存知です。それは、より温和になった刑法がすぐにもたらす効果によってであるか、あるいは、もしその刑法がより厳格になるならば、条件付き釈放の制度がすべての終身刑受刑者にとって同じく適用されて私たちがそれらの区別をすることができなくなるゆえかのどちらかであります。したがって、今はこの議論を始めないでいただきたい。

明瞭さと単純さという同じ理由で、私たちは法案の中に戦時に関する条項を入れませんでした。命の軽視や死をもたらす暴力が共通の法になるとき、また、平時の本質的な価値のいくつかが祖国防衛の優越性をあらわすほかの価値に置きかえられるときには、そもそも紛争の間は死刑廃止の根拠が集合意識から消えてしまい、もちろん、その場合は死刑廃止が凍結されることになってしまうということを政府は知っております。

今幸いなことに平和である私たちのフランスでみなさんが死刑廃止をやっと決定するこの瞬間に、戦時の死刑の適用範囲があるとしたらどんな場合かと議論することは場違いだと政府には思われました。しかし、戦争を告げるきざしが何もないのは幸いなことであります。もし仮に試練の時が来るならば、戦時立法が求める多くの特別条項と同時にそれに必要な措置をとるのは政府と立法者の役目です。しかし、死刑を廃止する今この瞬間に戦時立法の様式を決めるのは意味がないでしょう。190年の議論の末にみなさんがやっと死刑廃止を表明し決定するこの瞬間においては筋違いでしょう。

私の論はこれで終わりです。

私がおこなった発言、私が申し立てた理性は、みなさんの心とみなさんの良心が私に対してだけではなくてみなさんに対してもすでに伝えていた事柄です。フランスの司法史におけるこの重要な瞬間に、私は政府の名においてそれらのことを想起していただきたかっただけであります。

私たちの法律においては、すべてがみなさんの意志とみなさんの良心にかかっていると私は知っています。みなさんの多くが、多数派与党内においてだけではなく、少数派野党内においても死刑廃止のために闘ったと私は知っています。議会がその唯一の発議によったならば、私たちの法律を死刑から容易に解放することができたことだろうと私は知っております。みなさんは、政府法案という形で死刑廃止をみなさんの採決にかけることを承諾してくださいました。それによって、政府と私自身をこの大きな(立法)措置に参加させてくださったのです。そのことについてみなさんに感謝させてください。

明日、みなさんのおかげで、フランスの司法はもはや人を殺める司法ではなくなるのです。明日、みなさんのおかげで、夜明け方のフランスの刑務所の黒い天蓋の下で人目をしのんでこっそり執行される、私たちの共通の恥である死刑が無くなるのです。明日、私たちの司法の血塗られたページがめくられるのです。

この瞬間、ほかのどんな瞬間にもまして、私は古来の意味において、最も高貴な意味において、つまり、「奉仕」という意味において、私の大臣職の責任を全うしたという気持ちです。明日はみなさんに死刑廃止を可決していただくようお願いします。フランス立法府のみなさん、ご清聴に心から感謝いたします。(社会党議員席と共産党議員席、一部の共和国連合議員席とフランス民主連合議員席から拍手。社会党議員と一部の共産党議員は立ち上がり、長く拍手。)



出典:フランス官報 国民議会審議録 1981年9月17日(木)、第一会議

翻訳:村野瀬玲奈 (2006-10-18)

基本的法制度に関する世論調査 2.死刑制度の存廃

http://www8.cao.go.jp/survey/h16/h16-houseido/2-2.html

2.死刑制度の存廃

 (1) 死刑制度の存廃

 死刑制度に関して,「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」,「場合によっては死刑もやむを得ない」という意見があるが,どちらの意見に賛成か聞いたところ,「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」と答えた者の割合が6.0%,「場合によっては死刑もやむを得ない」と答えた者の割合が81.4%となっている。なお,「わからない・一概に言えない」と答えた者の割合が12.5%となっている。

 前回の調査結果と比較して見ると,「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」(8.8%→6.0%)と答えた者の割合が低下している。

 性別に見ると,「場合によっては死刑もやむを得ない」と答えた者の割合は男性で高くなっている。

 年齢別に見ると,「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」と答えた者の割合は20歳代,40歳代で高くなっている。(図2,表2,参考表)

   ア 死刑制度を廃止する理由

 「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」と答えた者(123人)に,その理由を聞いたところ,「生かしておいて罪の償いをさせた方がよい」を挙げた者の割合が50.4%,「裁判に誤りがあったとき,死刑にしてしまうと取り返しがつかない」を挙げた者の割合が39.0%,「国家であっても人を殺すことは許されない」を挙げた者の割合が35.0%,「死刑を廃止しても,そのために凶悪な犯罪が増加するとは思わない」を挙げた者の割合が31.7%,「人を殺すことは刑罰であっても人道に反し,野蛮である」を挙げた者の割合が28.5%,「凶悪な犯罪を犯した者でも,更生の可能性がある」を挙げた者の割合が25.2%となっている。(複数回答)

 前回の調査結果と比較して見ると,「生かしておいて罪の償いをさせた方がよい」(38.9%→50.4%)を挙げた者の割合が上昇している。(図3,表3)

   イ 即時死刑廃止か,いずれ死刑廃止か

 「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」と答えた者(123人)に,死刑を廃止する場合には,すぐに全面的に廃止するのがよいと思うか,それともだんだんに死刑を減らしていって,いずれ廃止する方がよいと思うか聞いたところ,「すぐに,全面的に廃止する」と答えた者の割合が39.8%,「だんだん死刑を減らしていき,いずれ廃止する」と答えた者の割合が53.7%となっている。

 前回の調査結果と比較して見ると,大きな変化は見られない。(図4,表4,参考表)

   ウ 死刑制度を存置する理由

 「場合によっては死刑もやむを得ない」とする者(1,668人)に,その理由を聞いたところ,「凶悪な犯罪は命をもって償うべきだ」を挙げた者の割合が54.7%,「死刑を廃止すれば,凶悪な犯罪が増える」を挙げた者の割合が53.3%,「死刑を廃止すれば,被害を受けた人やその家族の気持ちがおさまらない」を挙げた者の割合が50.7%と高く,以下「凶悪な犯罪を犯す人は生かしておくと,また同じような犯罪を犯す危険がある」(45.0%)の順となっている。(複数回答)

 前回の調査結果と比較して見ると,「凶悪な犯罪は命をもって償うべきだ」(49.3%→54.7%),「死刑を廃止すれば,凶悪な犯罪が増える」(48.2%→53.3%)を挙げた者の割合が上昇している。

 都市規模別に見ると,「凶悪な犯罪を犯す人は生かしておくと,また同じような犯罪を犯す危険がある」を挙げた者の割合は大都市で高くなっている。

 性別に見ると,「凶悪な犯罪は命をもって償うべきだ」を挙げた者の割合は男性で高くなっている。

 年齢別に見ると,「死刑を廃止すれば,凶悪な犯罪が増える」を挙げた者の割合は70歳以上で,「死刑を廃止すれば,被害を受けた人やその家族の気持ちがおさまらない」を挙げた者の割合は50歳代で,それぞれ高くなっている。(図5,表5)

   エ 将来も死刑存置か

 「場合によっては死刑もやむを得ない」とする者(1,668人)に,将来も死刑を廃止しない方がよいと思うか,それとも,状況が変われば,将来的には,死刑を廃止してもよいと思うか聞いたところ,「将来も死刑を廃止しない」と答えた者の割合が61.7%,「状況が変われば,将来的には,死刑を廃止してもよい」と答えた者の割合が31.8%となっている。

 前回の調査と比較して見ると,「将来も死刑を廃止しない」(56.5%→61.7%)と答えた者の割合が上昇し,「状況が変われば,将来的には,死刑を廃止してもよい」(37.8%→31.8%)と答えた者の割合が低下している。

 都市規模別に見ると,大きな差異は見られない。

 性別に見ると,「将来も死刑を廃止しない」と答えた者の割合は男性で,「状況が変われば,将来的には,死刑を廃止してもよい」と答えた者の割合は女性で,それぞれ高くなっている。

 年齢別に見ると,「将来も死刑を廃止しない」と答えた者の割合は70歳以上で,「状況が変われば,将来的には,死刑を廃止してもよい」と答えた者の割合は20歳代,40歳代で,それぞれ高くなっている。(図6,表6,参考表)

 (2) 死刑の犯罪抑止力

 死刑がなくなった場合,凶悪な犯罪が増えるという意見と増えないという意見があるが,どのように考えるか聞いたところ,「増える」と答えた者の割合が60.3%,「増えない」と答えた者の割合が6.0%,「一概には言えない」と答えた者の割合が29.0%となっている。

 前回の調査結果と比較して見ると,「増える」(54.4%→60.3%)と答えた者の割合が上昇し,「増えない」(8.4%→6.0%),「一概には言えない」(32.4%→29.0%)と答えた者の割合が低下している。

 都市規模別に見ると,「増えない」と答えた者の割合は中都市で高くなっている。

 性別に見ると,「増える」と答えた者の割合は男性で高くなっている。

 年齢別に見ると,「増える」と答えた者の割合は70歳以上で,「一概には言えない」と答えた者の割合は30歳代で,それぞれ高くなっている。(図7,表7,参考表)

欧州連合 - EUと死刑

http://www.deljpn.ec.europa.eu/union/showpage_jp_union.death_penalty.php

欧州連合は世界中で死刑制度が廃止されることを求めています

欧州連合(EU)は、世界のあらゆる国での死刑制度の廃止を目指して活動しています。この姿勢は、いかなる罪を犯したとしても、すべての人間には生来尊厳が備わっており、その人格は不可侵であるという信念に基づいています。これは、あらゆる人に当てはまることであり、あらゆる人を守るものです。有罪が決定したテロリストも、児童や警官を殺した殺人犯も、例外ではありません。暴力の連鎖を暴力で断ち切ることはできません。生命の絶対的尊重というこの基本ルールを監視する立場にある政府も、その適用を免れることはできず、ルールを遵守しなければなりません。さもないと、このルールの信頼性と正当性は損なわれてしまいます。

このように、死刑は最も基本的な人権、すなわち生命に対する権利を侵害する極めて残酷、非人道的で尊厳を冒す刑罰なのです。

人権的観点からの理由に加えて、死刑には無実の人の生命を奪ってしまう危険が内包されています。私たちの住む世界は不完全だからです。人間は間違いを犯すものです。裁判の当事者である検察官や裁判官、陪審員であっても、既決囚を赦免することのできる政治家であっても、絶対に間違いを犯さないという保証はありません。にもかかわらず、死刑はいったん執行されれば取り返しがつきません。屍を無罪とし、生還させることはできないのです。

1983年から90年にかけて、4人の日本人が冤罪により死刑判決を受け、再審の後、釈放されました。米国では過去12年間に116人の死刑囚が、累計にして1,000年を獄中で過ごした後、死刑執行を免れました。

何のために刑罰を科すのかという観点からすれば、死刑は刑罰でもなければ、明らかに再教育でもなく、復讐にすぎません。犯罪者に刑罰を科すことの目的は、その人に自らの過ちを理解させ、自責の念を育み、その人物を更生させ、最終的には社会復帰させることにあります。社会復帰がかなわない人——多くの場合、当人の精神状態のためですが——に限って社会から隔離すべきでしょう。死刑宣告では、刑罰の究極的目標が果たせないのです。

さらに、「死刑のない世界地図」で色分けされた死刑廃止国と存置国の状況を比較しても、他の刑罰に比べて死刑の犯罪抑止力が高いことは証明できません。欧州では、死刑廃止後に重大犯罪が激増したという事実はありませんでした。

死刑廃止に向けたEUの具体的な取り組み

EUの加盟国はすべて死刑を廃止しており、死刑廃止はEU加盟の条件でもあります。2002年5月以降は全加盟国が、戦時中を含むすべての状況における死刑の完全廃止を規定した欧州人権条約の第13議定書の署名国となっています。

1998年にEUは、その人権政策の一環として、全世界で死刑制度を廃止するために死刑反対運動を強化することを決定しました。EUは死刑廃止への第一歩としてモラトリアム(死刑執行停止)を導入すること、あるいは、少なくとも死刑の適用を減らすことを求めています。また、死刑が執行される場合でも、一定の最低基準を満たし、透明性のある手続きで行われることを要請しています。この目標に向かって、EUは具体的な政策指針を作成しました。

EUは、日本を含む、死刑制度をもつすべての国との対話において、この問題を取り上げています。こうした対話は、しばしば「デマルシュ」という外交的な働きかけを通じて、特にある国の死刑に関する政策に変化が見られる時に行われます。例えば、正式なあるいは事実上のモラトリアムが解除される可能性がある場合や、死刑制度が法的に導入または再導入される場合、あるいは、前向きな動きとして死刑制度廃止に向けた措置が取られた場合などです。相手国の政府が対話に応じようとしない場合には、対話を開始することも重要な目標となります。

次善の策としてEUは、死刑存置国に対し、次の最低基準を遵守するよう働きかけています。

死刑は、極めて重大で計画的な犯罪にのみ適用すること

死刑は、犯行の時点で死刑によって罰せられることが規定されていた犯罪に対してのみ適用し、より軽い刑罰が規定されていた場合には、その刑罰を適用すること

死刑は、犯行の時点で18歳未満の青少年、妊婦、出産後間もない母親、精神障害者には適用しないこと

死刑の適用には、明白で説得力のある証拠が必要であり、被告人が法的弁護を受けられる公正な裁判が行われること

死刑を宣告された者が、異議申し立ておよび減刑を求める権利を持つこと

死刑は、可能な限り最小限の苦痛を伴う方法で執行されること

EUは、国連人権委員会をはじめとする多国間のフォーラムでも積極的に活動しています。1999年に国連人権委員会は、EUの発議に基づき死刑問題に関する決議を採択しました。同決議は、市民的および政治的権利に関する国際規約の第2選択議定書の批准を各国に呼びかけるものです。この選択議定書の目標は、死刑を廃止することであり、死刑がいまだ廃止されていない国においては、最も重大な犯罪にのみ死刑が適用されるよう、またその国の政府がモラトリアムを導入するよう導くことにあります。

1999年以来EUは、ジュネーブで開催される国連人権委員会のすべての会合で死刑に関する決議を提出してきました。直近の2005年3月の決議は、前回の決議より多くの賛成票を得て採択されました。この決議も、死刑存置国に対し、死刑の廃止または執行停止を求め、国連経済社会理事会が1984年に採択した「死刑に直面する者の権利の保護の保障に関する決議」を遵守するよう呼びかけています。

欧州議会もまた、長年にわたり死刑制度に反対しており、国際的な死刑反対運動に積極的に関与しています。この立場は、欧州議会の決議や人権に関する年次報告書で再確認されています。

さらに、EUは欧州民主主義・人権イニシアティブによるプロジェクト支援などを通じて、非政府組織(NGO)とも協力して活動を行っています。

死刑廃止に対するEUのコミットメントは、2000年12月のニース欧州理事会(EU首脳会議)で宣言されたEU基本権憲章でも再確認されています。EU基本権憲章には、すべての人が有する生命に対する権利と死刑の禁止が盛り込まれています。

「あらゆる人は生命に対する権利をもつ。何人も死刑を求刑され、または執行されてはならない(第II条2)。何人も、死刑、拷問又はその他の非人道的もしくは尊厳を冒すような処遇もしくは刑罰を受けるであろう重大な危険がある国へ、退去、追放または引き渡されてはならない(第II条19)」

EUから日本へのメッセージ

EUの死刑廃止政策は、特に日本と米国に向けられています。この2大民主国家は、EUと多くの価値を共有しており、通常は国内外で人権尊重に対するコミットメントを明確に主張しています。

死刑廃止の是非は、世論調査によって決めるべき問題ではありません。凶悪犯罪の発生直後とあってはなおさらのことです。死刑制度の廃止は、国家としての主義の問題です。ひとつの社会を統括する政府には、この問題に関する議論の舵取りを行う責任があります。根強い偏見に賛同したり、死刑執行にまつわる秘密主義を助長したりすべきではありません。それより1日も早く、透明性を高めるための自由な討論を開始することが求められます。日本政府は、この問題が公開の場で偏見なしに議論されるよう、イニシアティブを取るべきです。

そのような議論を可能にするために、また、日本でも無実の人に有罪判決が下されたことがある点を考慮して、EUは日本に対し、死刑廃止への第一歩として、1993年に解除された事実上のモラトリアムを再導入するよう要請します。それがかなわなければ、少なくとも、死刑執行の際に一定の最低基準を遵守するよう求めます。死刑確定者のリストから任意に選び出し、その家族にも弁護士にも事前に通知することなく、絞首刑という残酷な方法で刑を執行することは、EUが防ぎたいと考える最低基準違反の一例です。

もし、世界で最も尊重されている人権機構のひとつである欧州評議会がかねてからの警告*を実行に移し、日本のオブザーバー資格を取り消すことになれば、とても残念なことになります。欧州評議会は正しくも「現代文明社会の刑罰制度には、死刑を合法的に位置づける場所はない」との立場をとっています。EUは、日本が今一度行動を起こし、「死刑のない世界地図」に示されている、死刑制度廃止を実現した大多数の国々の仲間入りをすることを強く願っています。


■■■ 欧州評議会の議員会議は2001年6月、日本および米国が2003年1月までに死刑の執行を停止し、死刑廃止に向けた措置を取らない場合には、欧州評議会全体における両国のオブザーバー資格を問題にする旨の決議を採択した。欧州評議会のオブザーバー国で、死刑を存置しているのは日本と米国のみである。

国連は人権と正義のために何をしているか

http://www.unic.or.jp/know/image04.htm

4. 国連は人権と正義のために何をしているか

国連は人権のために何をしていますか。

 国連の偉大な成果の一つは、すべての国が承認できる包括的な人権法体系を作り上げたことです。国連はまた、人権擁護のための実効的なメカニズムを開発していますが、これにより、世界全体の人々が恩恵を受けています。人権擁護の役割は、継続中の国連改革でも強化され、国連活動の中核的分野の一つとなるとともに、平和維持から開発、さらには人道援助に至る国連のあらゆる活動を結ぶ共通の糸にもなっています。

 国連は多くの方法で人権を推進しています。

国連人権高等弁務官は、各国政府に懸念を表明し、人権侵害の防止に努め、人権の侵害に対応し、特定国における人権侵害を調査します。

国連事務総長と高等弁務官は極秘に、囚人の解放や死刑の減刑など、人権関連の問題に関して各国政府に懸念を表明します。

一定の国連人権条約によれば、人権の侵害を受けた個人が、国内的救済を尽くした上で、国家を相手取った提訴を行うことができます。

個人および人権団体は、高等弁務官事務所に人権侵害を通報し、これを受けた同事務所は、適切な国連の機関および機構にこの情報を伝えます。人権高等弁務官事務所はFAXホットラインを設けて、人権侵害の報告を24時間受け付けています。FAX番号は(41 22) 917 0092です。

国連人権委員会は、世界のあらゆる場所で発生した人権侵害に関し、公開の会合を開く唯一の政府間機関です。委員会は各国の人権遵守状況を審査し、侵害に関する苦情を受け付けています。

国連の専門家は、特定国における人権状況、あるいは、拷問などの広範な違法行為を監視し、人権侵害について国際社会に警鐘を発しています。

人権高等弁務官事務所は、これらすべての活動を援助するほか、各国政府に対し、警察の訓練、法律の起草、刑罰・法律システムの改善などの問題に関する技術援助を提供することにより、その人権遵守責任を全うする手助けも行っています。

多くの平和維持活動には、被災者の人権保護が組み込まれるようになっています。

旧ユーゴスラビアとルワンダにおける犯罪を特定的に取り扱うために設置された国連の2つの国際裁判所は、戦争犯罪者を裁くことに貢献しました。


国連はどのように人権を促進しているのですか

 国連は人権を、あらゆる場所の人々の関心事項とすることに貢献してきました。各国政府がこれを無視することはますます難しくなっています。国連の画期的な活動としては、以下のような例があげられます。

国連は1948年の世界人権宣言、および、1966年の2つの国際人権規約(市民的および政治的権利に関するものと、経済的、社会的および文化的権利に関するもの)から構成される、はじめての地球的な「人権章典」を作り上げました。人権規約により、人権宣言の規定の多くは、各国に対して法的拘束力を持つものとなりました。

国連は政治的、市民的、経済的、社会的および文化的権利を醸成する80件以上の国際条約の交渉を助けています。

国連は、武器禁輸から国際条約に至る持続的な反アパルトヘイト・キャンペーンを通じ、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離)体制の終焉に寄与しました。1994年、国連の監視団は体制の移行を援助し、アパルトヘイトに終止符を打った選挙を監視しました。

国連は、女性の権利やすべての民族の開発に対する権利など、重要な権利の普遍的な承認を確保する上で、中心的な役割を果たしています。

国連は、旧ユーゴスラビアとルワンダでの人道に対する罪を裁く国際裁判所を設置したほか、さらに最近では、これらの罪が発生するたびに対処を行うため、常設の国際刑事裁判所を設置しました。


国連は社会的弱者をどのように擁護していますか。

 国連は少数者、移住労働者、先住民、特に困難な状況に置かれた子どもなど、社会的にもっとも弱い人々の擁護者となり、その惨禍の軽減に努めています。国連の主要な人権機関の一つに、少数者の差別防止と保護に関する小委員会があります。同委員会は毎年、会合を開き、全世界の少数者の権利を促進しています。国連を通じて交渉が行われた1989年の「児童の権利に関する条約」と1990年の「すべての移住労働者とその家族の権利の保護に関する条約」は、社会的弱者の保護を図るものです。国連機関は、社会的弱者(子ども、女性、少数民族)の権利を保護する条約の遵守を監視し、これを侵害した国々の責任を追及しています。

 国連はまた、社会的弱者に影響する問題に対する地球的な認識を高めるため、国際的なキャンペーンを指揮しています。全世界で3億人を数える先住民のために、国連は「世界の先住民の国際年」(1993年)、および、現在も継続中の「世界の先住民の国際の10年」(1995~2004)年を制定したほか、先住民の権利に関する宣言の交渉を行っています。武力紛争における子どもを担当する事務総長の特別代表は、30万人と見られる子ども兵士の主たる擁護者となっています。国際労働機関は、子どもの労働を根絶する地球的なプログラムを発足させる一方、国連児童基金は、ストリート・チルドレン、働く子どもおよび紛争状態に置かれた子どもの生活を向上させるプロジェクトを実施しています。

人権高等弁務官事務所は毎年、ほぼ20万件の援助要請を受けています。


国連は男女同権の促進のために何をしていますか。

 国連は変革の先頭に立ち、全世界で女性の権利に対する認識を高めることにより、女性の地位向上に重要な役割を果たしています。

男女同権は、国連憲章と世界人権宣言に謳われており、これによって、男女の平等は基本的人権として法的に確立されています。

国連は女性の権利について国際的な基準を設け、この権利が全世界でどのように尊重されているかを監視する手段を作り出しました。国連が1979年に採択した「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」は、女性にとっての国際的な権利章典であるとともに、これらの権利を保障するための各国による活動の青写真ともなっています。これまで160カ国以上がこの条約を批准し、男女の平等を確保することを法的に公約しています。国連の特別な独立専門家委員会は、条約の履行状況を監視しています。

1946年に設置された「国連婦人の地位委員会」は毎年、女性の権利に関する問題について会合を開き、緊急の注意を要する問題に関して勧告を行うとともに、女性の権利を促進するための国際立法を発案しています。

国連は全世界の女性の動員に力を貸しています。女性の権利に注意を集中させるため、国連は1975年を「国際婦人年」に、1976~1985年を「国連婦人の10年」に指定しました。国連はまた、世界中の女性が一堂に会し、その権利を促進する話合いの場も提供しています。国連は国際婦人年に際し、メキシコシティではじめて、女性に関する地球的な会議を開催しましたが、その後、コペンハーゲン(1980年)、ナイロビ(1985年)および北京(1995年)でも世界会議が開かれています。

国連の2つの機関は、女性問題を専門に取り扱っています。国連婦人開発基金(UNIFEM)は、特に開発途上地域の農村部で、女性に裨益する革新的な開発活動に資金を提供しています。婦人の向上のための国際訓練研修所(INSTRAW)は、訓練、研究および情報提供を通じ、経済、社会および政治分野への女性の十分な参加を支援しています。

国連は100カ国以上の女性の生活を質的に改善するプログラムを実施しています。


国連はどのように民主化を支援していますか

 国連は民主化を支援していますが、その援助を要請する国の数は増えてきています。選挙の準備および実施に際して技術援助を提供することにより、国連は、70カ国を超える国々が民主的プロセスを確立する手助けをしました。国連は1993年、カンボジアでの選挙を組織したほか、ナミビア、ニカラグア、ハイチ、アンゴラ、カンボジア、エルサルバドル、南アフリカ、モザンビークおよびリベリアには、自由で公正な選挙を確保する中立的な監視団を派遣しています。国連はまた、エルサルバドル、モザンビーク、グアテマラなどで、反政府武装集団が政党へと移行する手助けも行っています。

 民主主義を確立するため、国連は各国に対し、政治、司法および行政面で、機能的で責任の取れるプロセスおよび制度を構築・強化する援助を行っています。国連開発計画は議会手続を強化し、人権法を拡張し、司法制度を向上させ、腐敗対策を助けることにより、多くの国々で良い統治を支援しています。


国際刑事裁判所はなぜ必要なのですか。

 国際刑事裁判所はジェノサイド、戦争犯罪および人道に対する罪を取り扱うために創設されました。このような裁判所の設置は長い間、国連の検討事項とはなっていましたが、カンボジア、旧ユーゴスラビアおよびルワンダでの恐ろしい大虐殺が、その緊急性を一層高めました。

 総会が設置した100カ国以上の加盟国が参加する委員会によって起草された裁判所規程は、1998年にローマで開かれた会議において、120カ国による支持を得ました。国際刑事裁判所は、60カ国が規程を批准した段階で誕生することになっています。オランダのハーグに設置される国際刑事裁判所は、9年間の任期で選出される国際的に著名な裁判官18人、および、検察官と捜査官のチームから構成される予定です。裁判所は国連の一部とはならず、規程を批准した国々に対して責任を負うことになります。

 裁判所規程批准国は、このような罪で起訴された者を自国の法律によって裁くか、あるいは、同人を国際刑事裁判所に引き渡し、裁判を受けさせることに同意します。裁判所規程は、根拠のない起訴が行われないことを確保しています。批准国は自らの法廷で第一審を行わなければなりません。国際刑事裁判所が介入できるのは、国内裁判所が審理を行う能力あるいは意志を持っていないときだけです。しかも、検察官は、詳細に定義された国際的基準に基づき、その決定を正当化しなければならないため、政治的な動機のある嫌疑は排除されることになります。さらに、安全保障理事会は、ある起訴が不適切であると判断する場合、これを取り下げさせる権限を持っています。

最新記事【2008年03月14日】

あの中国も死刑執行を抑制する方針を打ち出しているようです。

北京五輪の影響もあるのかもしれませんが・・・・


死刑執行、15%を許可せず=「猶予付き」が上回る-中国最高裁

http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2008031100551

【北京11日時事】中国最高人民法院(最高裁)の肖揚院長は10日、昨年の死刑執行件数が大幅に減少し、証拠不足や手続き上の不備などを理由に最高法院が執行を許可しなかった死刑判決が全体の15%に上ったと語った。具体的件数は明らかにしなかった。11日の中国紙・北京青年報が伝えた。

 中国の死刑件数は世界最多とされ、西側の人権団体などから批判を浴びているが、中国は昨年から死刑執行の許可権限を最高法院に一元化するとともに、死刑を厳しく抑制する方針を打ち出している。

 肖院長は北京で開会中の全国人民代表大会(全人代)の広東省代表団会合に出席。服役状況が良ければ無期懲役に減刑される執行猶予付き死刑判決が昨年、即時執行件数を初めて上回ったことも確認した。さらに、「死刑執行の減少は社会秩序に影響を及ぼしていない」とし、治安悪化を招いていないとの認識を示した。

ナイジェリア:司法制度の見直し後もなお死に怯える受刑者たち

http://www.news.janjan.jp/world/0803/0803132693/1.php

アムネスティ・インターナショナルが先月発表した、、ナイジェリアの司法制度の現状に関する報告書によれば、「ナイジェリアでは昨年から司法制度改革を進めているが、人権尊重の立場に立った具体的な政策は未だ実施されていない。現在も貧困層が不利な状況にあることに変わりはない」という。


【ラゴスIPS=トル・サミュエル、3月6日】

 『アムネスティ・インターナショナル』は先月、ナイジェリアの司法制度の現状に関する報告書(『NIGERIA: Prisoners’ Rights Systematically Flouted』)を発表。「ナイジェリアでは現在784人の死刑囚が収監されており、さらに数千人もの受刑者が死刑宣告を待っている状況だ。彼らの中には高齢者や病人、子持ちの若い女性も含まれている」と報告した。

 ナイジェリアは昨年、70歳を越える死刑囚と(拘留が)10年以上経過した60歳以上の死刑囚に恩赦を与えると発表した。しかし、同団体の報告によれば、このような囚人が釈放されたという確認は取れていないという。

 人権団体はナイジェリアが今でも密かに死刑執行を続けていると主張。過去に非公式に行った「死刑モラトリアムを導入する」との約束を破った、と強く非難している。

 『Civil Liberties Organisation』のDemian Ugwu氏は、(死刑を支持する国民が多い)ナイジェリアは死刑廃止という時流に乗ることができずにいると述べた。同氏によると、ナイジェリア北部のカノ(Kano)州では昨年死刑執行が数回行われたという。

 『Legal Resources Consortium(法的資源コンソーシアム)』のOlawale Fapohunda氏は「同国の死刑囚の多くは貧困であるため、弁護士を雇うこともできない。従って、無実の罪で死刑宣告を受けるケースも多い」と、ナイジェリアの司法制度の問題点を指摘した。

 『アムネスティ・インターナショナル』も法的代理人の問題について「ナイジェリアで裁判を待つ囚人2万5,000人の80%は弁護士を雇えない。支援団体(『Legal Aid Council』)でさえ資金不足に陥っている」と伝えた。

 さらに、同報告書は「ナイジェリアでは昨年から司法制度改革を進めているが、人権尊重の立場に立った具体的な政策は未だ実施されていない。現在も貧困層が不利な状況にあることに変わりはない」としている。

 国連安保理が死刑存置国に対して死刑執行のモラトリアム(一時停止)を求める決議案を採択してから3ヶ月。しかし、依然として秘密裏に死刑執行を続けていると見られるナイジェリアの現状を報告する。(原文へ)

死刑執行、その瞬間は…元刑務官が激白

 藤田公彦氏  赤いランプがともると、「押せ」との命令。躊躇(ちゅうちょ)せずにボタンを押すと、空気が抜ける音と同時に90センチ四方の床板が抜け、死刑囚は落下していった。

 神戸刑務所教育部長などを歴任し、3月末で定年退官した藤田公彦氏(60、写真)は自ら執行した死刑を振り返る。

 児童8人殺害の死刑囚の収監にも立ち会ったが、自身は初任の大阪拘置所の勤務3、4年目で、70代の男性死刑囚の執行にあたった。

 夜勤明けの午前8時半、数人が名前を呼ばれ、待機命令が出された。前日に警備隊が刑場の清掃をしていたと聞いていたため、即座にその意味を察知した。

 所長から執行の言い渡しを受けた死刑囚が拘置所西の廊下に連行され、約5メートル置きに立つ警備の職員に「お世話になりました」と泣きながら刑場に向かう。

 2畳ほどの狭い部屋に入ると、赤いボタンが5つ。うち1つが踏み板を落下させるが、どれが通電するかは金庫のようなダイヤルで決められる。

 藤田氏は3番目のボタンの前に立ったが、後日先輩に「気の強いお前にダイヤルを合わせておいた」と言われ、苦笑するしかなかったという。

 下には死刑囚の体を抱きとめ、はねたり回転を止める係が。ベテランがあたる難しい役目だが、「もう孫ができる年。勘弁して」と頭を抱える刑務官もいた。

 藤田氏によると、執行の手順は残虐性の緩和や尊厳を守るため、こまやかな配慮があるという。

 「両手両足の錠は、ばたついて見苦しくならないための措置。ロープの結び目を首の横にするのは落下後、後ろに回って、顔が正面を向くよう計算している」という。

 ボタンを押すタイミングも「言い残したいことは?」との問いかけに答え終わってから。途中だと舌をかみ、口から血を流して見苦しくなるからだという。

 装置は毎月、作動を確認。砂袋で事前に強度も確認され、床板が落ちなかった場合のために非常用ハンドルもある。実際、刑務官の1人がボタンを押さず、使用されたケースもあった。

 執行後、刑務官には精進料理が出て、手当(当時は3000円、現在は2万円)が渡されるが、みな無言。「味気なく、手当もその日中にパチンコで使い切った」

国会開会中に3人死刑執行 極めて異例

2007年4月27日(金)12:17 * 共同通信

 法務省は27日、3人の死刑を同日執行したと発表。氏名などは明らかにしていないが、関係者によると、殺人事件の小田義勝=福岡拘置所、強盗殺人事件の田中政弘=東京拘置所、殺人事件の名田幸作=大阪拘置所=各死刑囚。従来は国会審議への影響を懸念し国会開会中の執行は避けており、極めて異例の執行。今年に入って死刑確定者が100人を突破。こうした状況が国会開会中の執行につながった可能性がある。

前回から4カ月でまた執行 人権団体などが死刑に抗議

2007年4月27日(金)19:52 * 共同通信

人権団体など死刑に抗議 会見する人権団体代表(共同通信)

 3人の死刑が執行されたことを受け、死刑廃止を求める人権団体や国会議員グループなどが27日午後、東京・霞が関で記者会見し「昨年12月の前回の死刑執行からわずか4カ月での執行は極めて問題」などとする抗議声明を発表した。声明の中で「連休直前で国会が事実上休会状態に入り、実質的な審議ができない時期を選んだ。首相も訪米中で日本にいない」と批判した。

死刑廃止を巡る鳩山法務大臣の言論を扱ったニュースをにまとめました。

法を厳密に執行すべき法務大臣としては、判決後6ヶ月以内に執行しなければならないとあるので、法を守る立場としては当然かもしれないですね。

でも、一方で、憲法9条などなしくずしにしたり、最近の司法の現状では、必罰化傾向が強まっており、法をなしくずしにしたり、と矛盾も抱えていると。

どう考えるべきかわからなくなりますね。

ただ、国家権力が一方で犯罪を抑止しようとしながら、一方で厳罰化で死刑を行っているということにも矛盾があると思います。


死刑廃止論「くみせず」=鳩山法相

2007年8月28日(火)00:33

 鳩山邦夫法相は27日夜、法務省で記者会見し、死刑制度について「凶悪犯罪の未然防止に果たす役割は大きい。死刑制度をなくせという意見にわたしはくみしない」と述べた。さらに「死刑を科すと裁判所が判断すれば、わたしは重んじる」と語り、状況に応じて死刑執行命令書に署名する考えを示した。 

[時事通信社]



「死刑執行、自動的に進むべき」 鳩山法相が提言

2007年9月25日(火)11:41

■■■ 朝日新聞

 死刑執行命令書に法相が署名する現在の死刑執行の仕組みについて、鳩山法相は25日午前の退任記者会見で「大臣が判子を押すか押さないかが議論になるのが良いことと思えない。大臣に責任を押っかぶせるような形ではなく執行の規定が自動的に進むような方法がないのかと思う」と述べ、見直しを「提言」した。

 現在は法務省が起案した命令書に法相が署名。5日以内に執行される仕組みになっている。

 鳩山法相は「ベルトコンベヤーって言っちゃいけないが、乱数表か分からないが、客観性のある何かで事柄が自動的に進んでいけば(執行される死刑確定者が)次は誰かという議論にはならない」と発言。「誰だって判子ついて死刑執行したいと思わない」「大臣の死生観によって影響を受ける」として、法相の信条により死刑が執行されない場合がある現在の制度に疑問を呈した。



死刑執行命令の見直しを=鳩山法相

2007年9月25日(火)11:37

■■■ 時事通信

 鳩山邦夫法相は25日の内閣総辞職後の記者会見で、退任に当たっての「問題提起だ」と断った上で、死刑執行について「法の改正が必要かもしれないが、法相が絡まなくても自動的に客観的に進むような方法を考えたらどうか」と述べた。

 刑事訴訟法は、死刑執行は法相の命令によると定めている。鳩山氏は「死刑は執行されねばならないと思うが、誰だって法相ははんこをついて死刑を執行したいとは思わない。精神的苦痛を感じないものではない」と述べた。 

[時事通信社]



「法相は人間の資格ない」=亀井静香氏

2007年9月26日(水)16:36

■■■ 時事通信

 国民新党の亀井静香代表代行は26日午後の記者会見で、鳩山邦夫法相が死刑執行をめぐり「法相が絡まなくても自動的に進むような方法を考えたらどうか」と問題提起したことについて、「鳩山氏には法相の資格もなければ、人間の資格もない」と厳しく批判した。 

[時事通信社]



法相の死刑執行見直し発言、官房長官「思いつきはまずい」

2007年9月28日(金)19:56

■■■ 読売新聞

 町村官房長官は28日夕の記者会見で、鳩山法相が死刑執行の在り方を研究する勉強会を設置する意向を表明したことについて、「法相の私的懇談会か、どういう形か知らない。色々なことを検討するのは自由だが、思いつきでやってはまずい」と述べ、問題があるとの見方を示した。

 法相が「自動的に死刑執行が進むような方法があれば、と思う」と発言した当初、長官は「法相が少しリラックスした雰囲気の中で話をしたのではないか」と許容する姿勢をみせていたが、野党が法相発言を国会で取り上げる構えを見せていることから軌道修正を図ったものと見られる。



法相の「死刑執行見直し」発言、新たな国会の火種に

 鳩山法相は28日の閣議後の記者会見で、死刑執行に関する制度の見直しについて、「できるだけ速やかに勉強会を開始したい」と述べ、改めて意欲を示した。

 ただ、野党が法相批判を強めているのに加え、政府内にも法相の対応を問題視する声があり、臨時国会審議の火種となりそうだ。

 鳩山法相は、死刑執行を法相のサインなしに進めたいとした自らの提案について「人名を軽視する考えは全くない。だが、死刑廃止の考え方には与しない。死刑を執行しないのも同じことになる」と指摘した。

 さらに、「法相の資格もなければ人間の資格もない」と批判した「死刑廃止を推進する議員連盟」会長の亀井静香・国民新党代表代行からの面会要請について、「人間でないとまで言われて会う必要はない」と怒りをあらわにした。

 刑事訴訟法は死刑執行について、判決の確定から6か月以内に法相が命令を下すと定めている。しかし、法務省によると、恩赦の可能性の有無や死刑確定者が心神喪失状況にないかなどを法相が総合的に判断して命令を下すという。

 法相が自らの宗教観や信条で命令を下さないこともあり、判決の確定から死刑の執行まで平均7年以上かかるのが現状だ。

 与党内では「鳩山法相の表現に行き過ぎはあるが、問題意識は理解できる」(自民党幹部)との声も出ている。

 これに対し、民主党の細川律夫「次の内閣」法務担当は28日、記者会見し、「法相の職責の重大さに対する自覚のなさを露呈している」と強く批判した。社民党の又市幹事長は「冤罪でないかどうかも含めて最終決断する重大な使命を放棄する言動だ。罷免要求は当たり前だ。福田首相の任命責任も追及する」と述べた。

(2007年9月28日21時5分 読売新聞)



死刑執行の勉強会、鳩山法相「できるだけすぐに」

18:02

産経新聞

 鳩山邦夫法相は28日の閣議後会見で、設置する意向を示していた死刑執行について考える省内の勉強会について「できるだけすみやかに開始したい」と、早急に始める考えを明らかにした。

 メンバーは鳩山法相のほか、副大臣、政務官、刑事局、矯正局、保護局の3局長ら。「死刑を執行する場合に関連する刑訴法の規定の趣旨、死刑執行に至る具体的な手続き、法務大臣の判断内容などいろいろ整理してあり方を勉強していこうと思っている」と述べた。 死刑執行について鳩山法相は25日の法相再任後の会見で、「それぞれの法務大臣に死生観、宗教的観念がある。そういうものではなく、粛々と執行されていくのが正しい」と、法相の個人的な思想で死刑の執行停止があってはならないとの考えを示している。



法相、亀井氏との面会拒否 「死刑発言」めぐり対立

2007年9月28日(金)12:00

■■■ 共同通信

 法相の署名なしでの死刑執行を提言した鳩山邦夫法相は28日の閣議後会見で、法相に対し「人間の資格がない」と批判した「死刑廃止を推進する議員連盟」会長の亀井静香氏(国民新党)が面会を求めていることについて「人間性が100パーセント否定された」として、拒否する意向を明らかにした。鳩山法相は「死刑制度廃止にはくみしない。人の命を奪う凶悪犯罪をなくすのが私の原点だ」と反論した。



鳩山法相、亀井静香氏の批判に反論 死刑「自動化」提言

2007年9月28日(金)12:13

■■■ 朝日新聞

 鳩山法相は28日の閣議後の記者会見で、死刑執行命令書に法相が署名する仕組みの見直しを求めた自らの提言について、亀井静香・国民新党代表代行の批判への反論を展開した。亀井氏の面会要請については拒否する考えを示した。

 死刑廃止議員連盟会長の亀井氏は26日、「大臣が絡まなくても(死刑執行が)自動的に進む方法がないか」とした鳩山法相の提言について、「人間の命を機械みたいにボタンを入れておけば次から次に殺されていくようなイメージで扱っていいのか。法相の資格もなければ、人間の資格もない」と批判。27日には真意を聞くために法相への面会を要請していた。

 これに対し、鳩山法相は「亀井先生のような尊敬すべき先輩が、私は人間でないとおっしゃっているわけですから、そこまで言われてお会いする必要はないでしょう」と述べた。さらに「人命軽視という考えはまったくない。人を何人殺そうと、自らの命が絶たれることはないという死刑廃止の考え方にはくみしないと申し上げている」と強調した。



死刑執行、省内幹部と勉強会=亀井氏との面会は拒否-鳩山法相

2007年9月28日(金)11:13

■■■ 時事通信

 鳩山邦夫法相は28日午前の記者会見で、死刑執行の在り方を研究する勉強会の概要を発表した。「法相が絡まなくても、自動的に客観的に進むような方法を考えたらどうか」との